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自分のお尻に火をつけて「今の自分よりちょっとマシ」を目指すために”ソロで踊ります宣言”をしちゃった件

1.ズボラな自分に火をつけるための特効薬とは


自分は「根っからのズボラ」だと自覚しているので、そんな自分をうまく動かす方法を模索して、自分を成長させようとしている。

一番効く方法は「デッドラインを設ける」ことだ。

せっかちで、短距離走が得意。おそらく動物でいえばチーターとか。

やるときにはやる、やらないときは一切やらない。オンオフがはっきりしているので、「コツコツ」とか無理。目的もなくただ歩く「散歩」とか無理ゲー。

その代わり、短期目標があると頑張れる。

ふだんはダラダラやる気がないくせに、目指すべき目標、しかも短期目標には、めっぽう気合を入れて頑張れるので、なるべく短期目標を作って自分を鼓舞するようにしている。

そうでもしないと、ただのゴロゴロしている太ったおばさんになってしまうのだ。

なので今回、また自分のお尻に火をつけるコミットをしてしまった。

2.「ソロライブに出ます」とうっかり宣言してしまった


わたしはスペインの舞踊「フラメンコ」を人生のライフワーク(趣味以上だけどプロにはならない、なれない)としている。

その件に関しては、以下の記事参照。


昨年の11月にフラメンコの発表会が終わり、すがしがしい気持ちで次回への目標を定めようとしていたときに見た

「練習生、ソロライブ参加者募集!」のお知らせ。

発表会は1年半後で、新しい振り付けはハードながらも気が緩みがち。

フラメンコは好きだけど、練習は面倒くさい。身体も固いし、そもそも身体を動かすのも好きじゃない。だから、特に目標がないと、ダラダラしがちなのだ。

ソロライブの募集は、わたしの気を引き締めるのにちょうどよい機会だ。「ヤバイ」となると必死こいて練習するので、おそらく自分比で上達もするだろうと、勢いで「参加します」と返事してしまった。

参加します、と言ってから「やべえやべえ、本当に参加することになっちまった」と騒ぐ自己矛盾。

自分で自分のお尻を叩かないと、頑張れないんです。頑張りたくないけど、頑張りたいんです、自分。て感じ。


3.憧れのソロ。みんなが思うより、ソロのハードルは高い


ソロで踊るのは、皆さんが想像するよりきっとずっと踊り手にはハードルが高い。

フラメンコ歴10年超というと、ほとんどの人は「すごく上手なのかな」とか「ソロで踊ってるの?」とか聞いてくる。10年というのは重みがあるように聞こえるだろう。

だがしかし、10年といえども週に1度のレッスンだ。ただ通っているだけでは大してうまくならない。ピアノなどの習い事と一緒で、そもそものセンス(身体能力)や、その間にどれくらい練習したかが上達に大きく比例する。

なので、わたしにとってはソロに出ることは「畏れ多いこと」である。

普段は群舞で踊っているので、多少あやふやな踊りがあっても、誰かが補ってくれるだろうと気を抜くことができてしまう。当然そうならないほうが良いが、やはり忘れてしまった部分など、仲間をガイドにできるのは心強い。

ソロはそうはいかず、自分の足音ひとつが頼りだ。

フラメンコは即興性が高く、すべてその場合わせの生伴奏。自分の合図やリズムがおかしいと混乱を招くし、自分のリズムがしっかりしていないと、一気にドツボにはまって不協和音を奏でることになる。周りから見てもいまひとつ分からなくても、「実は事故ッてる」ことが多いのはフラメンコの特徴。

わたしはソロは一昨年、一度だけ内輪の会でやったことがあるが、普段レッスンしているスタジオでの開催で、コロナ禍ということもあり、オンライン配信がメイン。来てくれた人は教室の仲間なので、お客さんというよりは応援隊という感じだった。

それでも一人で踊るというのはハードルが高くて、とにかく自分のできる限りのことをしようと必死こいて練習した。スタジオは遠いし、仕事もあるしで別の日に自主練するのが難しいので、ライブ開催まで毎週、レッスン前に1時間、自主練した。

自分では何がどう上達したかの自覚はないが、きっと目に見えない部分で上達しているだろう。だって、お尻に火がついて必死でやったんだもん。

できなかった足が打てるようになった気はするが、その他の変化はいまいち自覚がない。けれど練習は無駄にはならないし、目標がなければここまで気合を入れて練習しなかっただろう。


今回も、有限の短期目標としてソロライブに出ることを決め、レッスン前の1時間できるだけ自主練していこうと言う目論見。


4.失敗を恐れて尻込みするより、やって転ぶ方を選ぶ


もう一つ、今回のライブで自分なりの目標がある。

即興性の高いフラメンコは、生伴奏でお互いに合図を送りながら音楽と踊りで作り上げるものなのだ。だが練習生は与えられた振り付けを踊るのが精いっぱい。しかし今回は、群舞用に作られた振り付けを自分なりに少しアレンジするというチャレンジが私の中のテーマで1つある。

そもそもフラメンコはジプシーの即興音楽なので、不文律がとても多い。ルールがあるようでないし、ないようである。

だから言葉で説明できないことも結構あり、どれが約束でどれが約束ではないかがハッキリしない。

セオリー的には合ってはいるのだけれども、流れ的に変。

とかそういう空気を読め、みたいなことがすごく多いので、悩んでも正解がない。

あれこれ見て参考にして、つぎはぎしてみて、先生に見せて相談して、ちょっと何か違うとか言われてまた試行錯誤するの繰り返しだ。

でもそういうのも必死にやらないとわかっては来ないし、それでどれぐらい自分が成長するのかやれるだけやってみようと思っている。

ハッキリ言って、このチャレンジ、自分から転びに行っているようなものだなと思う。けれど、やらないままの人生より、転んで学んで起き上がる方がいいんじゃないかと思えるようになってきた。ある意味開き直りの精神。

5.自分のお尻に火をつけて「今の自分よりちょっとマシ」を目指す


踊りでもなんでもそうだが、自分の実力を試したり披露する機会がないと、なかなか私のようなずぼらな人間は本気を出さない。

例えば受験や資格試験など、普段の勉強の成果を実力として発揮する瞬間だったり、踊りで言えば、ただなんとなく踊っていると言うよりは、発表会のような場所で自分の実力を出し切る「区切り」みたいなものが必要だと思う。

それが分かりやすい目標としてモチベーションにもなるし、お尻に火がついて、「ヤバイ!!!」となって本気で焦り、慌てて追い込みをかける。

ギリギリまで頑張らないのもわたしの特徴だ。それはもう性分だから仕方ない。毎日フルスロットルだったらいまごろ死んでいる。だからラストスパートで気合が入る性質を利用して、自分を頑張らせる。

ヤバイ!!!と焦るのが分かっているのに、わざわざそんな状態に自分を追い込むのは正直面倒くさいし気が重い。やらないほうが気がラクといえばラク。

けれど、そうでもしないと、この不動の岩のように動かないわたしは、スイッチが入らないのだ。

そして、ヤバイ!と焦って頑張ったところで、いきなり上手くなるわけではないし、目に見えて上手にはならないことも知っている。

だけど、上手くなるには「いまより少しだけ上手くなる」を通過して、その積み重ねで「自分史上最強にうまくなる」があるわけで、だったら自分史上一番うまくなるための「今より少しだけ上手くなる」をやるしかないのだ。地味だけどやらないよりはずっと良い。

踊りだけじゃなくて、人の成長ってそういうもんだと思う。

6.せっかく生まれて、そのうち死ぬんだから、成長したい


わたしは欲張りで損得勘定が激しいので、せっかく生まれたんだから、生きてるうちに経験できることを経験したいと思っている。ついでに、せっかくなので自分が成長できたらいいなと思っている。

それを旦那に話したら「俺は成長したいとか別に思わない」と言ったので、そう思わない人も世の中いるのだろう。

この「ついでに」とか「せっかくだから」が面倒くさがりで欲張りなわたしらしいのかもしれない。

いろんな経験をするということは、楽しい経験もあるけど、嫌な経験もあるということだ。だったら経験しないほうが良いという考えもあるし、どちらを取るか。

もちろん嫌な経験はしたくないけど、やっぱりわたしはあれこれ経験したい人生を選んでいるのだな、と思う。

今回は海の見えるレストランでフラメンコライブを開催する。この前久々に再会したわたしのがん友も見に来てくれるという。

もしかしたら本番で赤っ恥をかくかもしれないし、意外とうまくいくかもしれない。どちらにしてもいい経験。

思い切り楽しめるよう、「やってよかった」と思える経験にできるよう、お尻に火をつけてカチカチ山になりながら自分なりに頑張っていこうと思う。

今日もお読みくださりありがとうございました!

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