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主婦なのに「年末の大掃除をしない」という勇気

あっという間に年末。
歳をとるごとに1年が速くなる気がする。

そして年末の風物詩と言えば大掃除。

1.「大掃除しろ」のプレッシャーが嫌い

わたしは掃除が嫌いだ。
だから「年末の大掃除」という、勝手に作られた一大イベントが大嫌い。

12月に入ると、時計代わりにつけている朝のワイドショーは大掃除の特集ばかりする。手の届かないところの掃除の仕方だの、油ギトギトのコンロの掃除だの、大嫌いなことばかり見せられてイラっとする。朝ならもうちょっと爽やかな話題にしてよ。

雑誌もこぞって判を押したように大掃除特集。使える洗剤だの掃除用具のレビュー。ドラッグストアにいけば洗剤特集。掃除がわたしを攻めてくる。毎年キャンペーンをやる側も、新年から年末まで行事が決まっていて、大掃除もそれに組み込まれているんだけど、もう思考停止になってるんじゃないかなぁと思ってしまう。

そもそも掃除が嫌いなわたしのような人間は、ふだん、小掃除もしてないのに大掃除なんかしてどうするんだと思うし、なにより、世間さまから「大掃除をしろ」と責められてる気がするのが不快だ。

誰かに責められるわけではないけど、なんとなくの同調圧力で「大掃除はして当たり前のものだ」という押しつけがしんどいと思っている人は、面倒くさがりのわたしだけでなく、他にもけっこういるのではないか?と思う。

2.「大掃除」はそもそも日本独自の文化


そもそも年末の大掃除は日本独特の文化だ。神道の考え方で、新しい歳の歳神様をお迎えするために、年末に「お清め」をするのだ。

大掃除の歴史は平安時代から行われていた
大掃除の始まりは平安時代だといわれています。平安時代の宮中では、12月に一年の煤を払い神様を迎えるという行事が行われていました。この行事を煤払い(すすはらい)と呼び、現代の大掃除の由来となっています。

大掃除は「神事」である
前述したように、平安時代では神様を迎えるために大掃除をするようになりました。ではなぜ年末に行うのでしょうか。

それはお正月の神様である歳神様(としがみさま)を迎えるためです。歳神様は新年に来てくれる幸せの神様といわれており、失礼がないために家の中を清める必要があるとされています。そのため年末に大掃除をして、家をきれいにする必要があるわけです。

わたしは神社や神話の世界が好きだし、その「清める」という考え方も好きだ。

いちおう、Yahoo!知恵袋も見たら、やっぱり日本だけの習慣のようだ。


3.忙しい現代。年末はわたしだって休みたい


だけど、何かと忙しい年末。疲れがたまって自分自身はグッタリ。腰も痛いし身体もしんどい。息子も旦那も休みなのに、なんでわたしだけ掃除しなくちゃいけないのだ。わたしだって休みは休みたい。

「清める」というのが大事なわけで、このクソ寒い時期に家中掃除しなくてはならない義理もない。

平安時代は、テレビもない、ラジオもない、お店もやってない。だからゆっくりと心を清めるために掃除をすればよかったのかもしれないが、現代人は忙しい。家どころか、心を清める暇もないのだ。

ご神事としての「大掃除」は素敵なことだと思うし、自分なりに取り入れたいとは思っているが、判を押したように「年末は大掃除すべき」という暗黙の前提でテレビ番組の構成や日常会話が成り立つのが嫌だ。

小学校時代から「習慣」として、大掃除を刷り込まれているわたしたち。「なぜするか?」という教育なしに「するものだ」と植え付けられているから、そんなことになるのだろう。

ぶっちゃけ。掃除くらい好きなときにやらせてくれ。全部やらなくても、場所ごとにわけてやればいいし、暖かくなってからでもいいじゃん。


だいたい、天井まで踏み台に乗って、シーリングライトを外して掃除なんかしなくたって別に大して汚れないし、こんなものは壊れた時が買い時だから、それまで開けなくていいんじゃないか。

あ、うっかり虫がはいっちゃった時に仕方なく開けるか。うちは、引っ越しのときと、虫が入ったとき以外は触らない。

全部掃除することで、気持ちがすっきりする人はやればいいのだが、わたしはスッキリはしたいけど、それ以上に、貴重な休みを掃除にまるっと使うのがしんどいので、やらない。

手の届かない所のホコリなんて、別に手が届かないんだから取らなくてもいいじゃないか。ホコリがしっかり積もって、舞い落ちることがない場所は、そこに溜まっておいてくれればいいのだ。

わざわざ手の届かないところに、クイックルワイパーみたいな手の長いものを使って奥深くまで積もったほこりをかき出そうとすると、逆に部屋中に埃がばらまかれてしまう。

4.それでも、自分なりにスッキリする部分は掃除する


それでもわたしなりに「ご神事として、お清めの意味で掃除をする」こと自体はよいことだなと思っているので、乗っかるところは乗っかって、キレイにしようと思った。

具体的には、自分が普段から気になっているけど面倒だからやらない場所で、そこを掃除をすることで気持ちいいと感じる場所に限って、掃除をすることにした。

それも、「掃除のための時間」をわざわざ取るのではなく、「スキマ時間」でやることにした。

ちょうど今日は里芋といかの煮物をしていたので、里芋を煮ている間に、キッチンの調味料をどけて、棚をキレイに拭き、菜箸やフライ返しなどの調理道具を入れるスタンドを食洗機で洗おうと、調理道具を横にどけた。

砂糖や塩を入れているポットも埃とか調味料で汚れていたから、使い捨てのウェットシートで拭いたらスッキリ。キッチンの壁や収納部分の手あかなんかもついでにササっと拭いてこれまたスッキリ。

煮物の合間なら、負担なくできるから、「大掃除しろよプレッシャー」とは関係なく気軽にできるし、キッチンの汚れが気になっていた部分がキレイになって気持ちよい。

あとは洗顔のついでに洗面所、お風呂に入ったついでにお風呂の水あかをこすったりして「小掃除」をしようと思っている。

5.自分なりの「お清め」をすればよい


面倒くさがりで、掃除が嫌い。きれいに越したことはないけれど、
世間の大掃除は、わたしの小掃除。

誰かに見られているわけではないけど、なんとなくの同調圧力で「大掃除はして当たり前のものだ」という押しつけがしんどいと思ってしまうが、それで無理して掃除して疲れて新年を迎えるのでは自分の心身があまりにもかわいそうだ。

しかも、いまどき大みそか、元旦からどこの店も開くというのに、食べ飽きるおせちを仕込むのが主婦の仕事だなんてばかげている。

我が家は集まる親戚も多くないし、そもそも親戚で酒飲みがわたし以外皆無なため、おせち料理なんて食べたい人がいない。よって、作らない。

年末年始に旦那さんの実家に帰って、掃除に宴会のお手伝いにとへとへとになっている主婦の話も聞く。

昔ながらの慣習が悪いとは言わないが、もうそういう「嫁が働け」みたいなのを少しずつやめて、みんなで楽しくやれるようにならないものか、と思う。

せっかくのお休みなのだ。主婦もしっかり休んで、来たるべき新年を爽やかな気持ちで迎えられるよう、できる範囲で自分なりの年越しをすればいいと思う。

みなさま、今年はたくさんの記事をお読みくださりありがとうございました。

それぞれの、良いお年をお迎えくださいませ。

年内にまた記事アップするかもしれないけど、とりあえず。
また来年もよろしくお願いします!


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