私が海外の方に◯◯人という言葉を使わないのは。
私は20代後半になるまで
日本から一度も出たことがありませんでした
理由は色々ありますが
知らない国に行くとなると
パスポートやら飛行機の手配やら手続きが面倒なのと
言葉の壁に怖気付いてしまっていたというのが
一番大きな理由だと思います
そもそも私が生まれ育った環境では
海外に行ってみたいと強く思うような出来事も
ホームステイや留学なんて
聞いたこともありませんでしたし
田舎の小さな学校だったので
修学旅行だって北海道か沖縄しか
選択肢はありませんでした
ちなみに私が人生ではじめての海外旅行は韓国
つい一年前のことです
きっかけは大体お分かりかもしれませんが
日本では数年前から韓国ブームが到来し
私も御多分に洩れずK-POPにどハマりしまして
その影響で韓国の文化に惹かれて
二十数年の時を超えて海外に旅立つことにしたのです
準備の時間こそ大変でしたし
未知の世界に飛び込むわけですから
どんな大変なことが待ち受けているのだろうって
思っていたけれど
私が韓国に到着してまず感じたことは
「あれ?日本と変わらない安心感・・・」
韓国はアジア圏なので
街の景観が似ているのは当たり前なのですが
それ以上に私が出会った韓国の人たちは
みんな心優しく良い人ばかりだったんです
これは私が以前に抱いていた偏見なので
悪しからず聞いていただきたいのですが
韓国出身の人たちってプライドが高くてせっかちで
言語の発音に独特な鋭さがあって
ちょっとぶっきらぼうなイメージがあったんですけど
私が立ち寄ったどのお店のお姉さんもお優しい方で
ホテルのスタッフさんも、コンビニのおじさまも、
駅員さんもとても親切で感動したんです
それはきっと私が出会った人たちが
たまたま良い人ばかりだったのかもしれませんが
考えてみれば
日本人だってみんな温厚で優しい人ばかりじゃなく
いろんな性格の人がいますよね?
それはこれまで育った環境や出会った人によって
大きく変わっていくもので
生まれた場所も
自分の意思で選んできた道も違うのであれば
話す言語も、性格も、違って当たり前なんです
そう考えてみたら
「日本人」だとか「韓国人」だとか
そんなふうにひとまとめにしてしまうことに
私の中で違和感を覚えたのです
『生まれた国が違うだけで
みんな等しく人間じゃないか!』
って思うのです
だからこそ私は「〇〇人」ではなく
「韓国出身」だったり「韓国に住んでいる人」
という表現を使うようにしています
なるべく偏見の目で相手を見ないように
平等に”人として”相手を見つめられるように
とはいえ私一人がそうやって心がけていたって
相手がそうでなければ
良い関係性を築くことは難しいでしょう
人間が人間として生きている以上
些細な物事一つとっても偏見は芽生えてしまうもので
この世界から完全に
ヘイトスピーチがなくなることはないと思っています
それでも私は人として人を信じたいのです
偏見を持ち続けて正論を振りかざすよりも
偏見を持たないように意識して
相手の意見に柔軟である方が
ほんの少しだけ良いでしょう?
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花崎由佳(はなさきゆか)
『ココロに灯りを、人生に彩りを』をモットーに
私が撮影した写真と、エッセイやコラム、
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普段はこんなお話を書いてます↓
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