内観を進めると善も悪も一つの中に共存し、最終的にはその区別がなくなるって?
内観を深める過程では、物事が善悪という二元的な視点で捉えられることからはじまるのですが、内観が進むにつれ、一つの出来事や状況の中に善も悪も共存していることが見えてくるのです。はい、不思議ですねぇ。
そしてさらに内観を深めていくと、最終的には善と悪が一つにまとまり、その区別がなくなり、両方とも見えなくなってしまうことになるんです。あーら大変。こうなったらスーパーヒーローも悪党もいらなくなるじゃないか!!そんな話書きます。
1. 善悪の二元性から始まる
人間は初め、物事や状況を「善」「悪」という二元的な枠組みで捉えます。
例えば、ある行動が「良いこと」とされる一方で、別の行動が「悪いこと」となるのですね。
この視点は、周りの価値観や道徳に基づいて作られたもので、多くの人が日常生活で使っている判断の基本だと思います。
物事を分かりやすく整理するための基本的な方法ですが、あまり深く考えることなく自動的に反応すれば楽に物事を分別できる一方で視野が狭く短絡的になる恐れもあります。
2. 内観による深い気づき
内観を始めると、この単純な善悪の二分法が次第に崩れていきます。
自己の内面や物事を深く見つめることで、単純に「善」や「悪」に分類できないことに気づくのです。
たとえば、ある人が誰かを助けるためにお金を貸したとします。この行為は、その助けを受けた人にとっては「善」と見えますが、もしそのお金が子どもの進学や家族の治療費など他の重要な目的に使われるはずだったなら、家族の視点から見ると「悪」と感じるかもしれません。
このように、見る人や状況によっては善であっても、別の視点から見れば悪であるという事など生きていればざらにあると気が付くでしょう。
内観により一つの出来事に複数の側面があり、相反する要素が共存していることが認識されるのです。
3. 善悪の統合
さらに内観を深めていくと、善と悪という区別そのものが他のものと比較されていきます。
この段階では、善と悪がそれぞれ独立した対立概念ではなく、むしろ同じ本質を持つ一つのものの異なる側面であることが見えて来るのですが、ここまで来るのはなかなか大変です。
たとえば、夜と朝のように、一方がなければ他方も存在しないという理解に至るのです。
この視点では、善も悪も、ただ現実の一部として共に存在しているにすぎず、どちらが正しい・間違っているという区別が意味を持たなくなっていくのですね。
4. 善悪が消失する境地
最後に、内観が極限まで進むと、善と悪の区別が完全に超越されるようです。筆者はこのような境地に至ったことがないので文的や体験談としてしか知らないのですが。この状態では、もはや善も悪も見えなくなり、両者は一体化した状態に溶け込んでしまうようなのです。
すべての出来事や行動が、ただ「ある」ものとして受け入れられる境地です。
善悪という価値判断を超え、現実そのものをありのままに捉える感覚に至りあるがまま判断を加えずに物事を見れる。まさに聖人!といった境地ですね。
この考えの背景
このようなプロセスは、仏教や道教などの東洋哲学においてよく見られるものなんです。
たとえば、仏教では「諸法無我」や「中道」という概念があり、すべてのものは固定された善悪の区別を持たず、相対的に存在するという考え方が強調されます。
また、禅の教えでも、すべての対立が最終的には一つの「真理」に帰結するとされ、善悪の超越が悟りの一つの表現として描かれます。
まとめ
私たちは日々『あれが悪いから』『これが良いから』『これが正解』『これは間違い』といろいろな選択を自動的にしています。それが自分の視野を狭めストレスを生み出している原因であれば、内観を進めていくのはとても良い助けとなります。
新しい視野を持つと自分を取り囲んでいる世界はそんなに悪いものではないと思えるようなる事を筆者は体験済みです。
このような視点は、私たちの日常の価値観を超える視野を与え、より深い理解と受容を促すことができるかもしれません。
考えを整理する必要がある時や感情に向き合う時には、他の人の視点やサポートがとても有益です。
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