「平和憲法」と今の日本
先日は政治関連について少々触れましたが、私のメインの活動はそちらではありませんので、その点はご了承ください。
社会の在り方は本当に重要だと思いますし、正答がない問題に向き合うようなもので、それぞれの立場によって意見は違うのが当然という認識です。
もちろん、ある程度、歴史的・統計的な要素というのもあるとは思うんです。過去に起きたことが繰り返されることは多いと言われます。人間そのものが全体的に成長しない限り、過去に起きたできごとは繰り返される、と考えるのが妥当でしょう。
私は女ですし、海外の人との繋がりもあるため、あまり日本の将来がどうと言う立場にはないかもしれません。政治家になる気もありません。
とはいえ、世界が平和であってほしいとは思っています。日本とか海外とかにかかわらず、人が幸せであること、世界が平穏であることが大切だと思っています。
かつて親しかった友人の1人か2人は、今でもアメリカにいるかもしれません。イギリスで出会い、いっしょに歩き、写真を撮った香港女子2人が無事かどうか、私には確認する術もありません。
いろんな国の、いろんな人たちと関わってきて、そういう仲間たちは今でも、世界のあちらこちらに住んでいます。
今は、国境を封鎖できるような時代ではありません。コロナを広げないように努めても、結局、世界中に広まります。人もモノも移動しなければ、生活が麻痺します。
だからといって、むやみに外国人を入れれば、日本がもとの日本でなくなるのは明らかで、それを受け入れるのか、どうしても日本を日本らしいまま維持したいのか、という問題になってくるんです。
企業を経営する側の人から見れば、海外の安い労働力を利用できていい、と考える人がいても不思議ではありません。本当は安く使うのがいいとは思いませんけどね。その分、日本人の賃金が下がったり、職を失う人が出たりしますから。
また、日本人が英語を話せないと、「英語対応をしてほしい」という外国人に応えられる人が、また外国人ということになってしまいます。英語から見た日本語は、一番遠い言語の仲間で、ほかの国に比べても難しいのは事実です。英語を習得するには、小さいころから学習させたほうがいい、という話にもなりますが。
これにもまた別の面があるんですね。日本語がおろそかになれば、思考力が落ちます。思考の源は言葉ですから、基礎言語能力が落ちるのは、非常に大きな問題になります。
現代人の思考力が落ちている、という話が既にあります。子どものころから英語ばかり熱心に教えて、肝心の日本語がおろそかになれば、その思考力をさらに低下させることにも繋がるでしょう。
話を戻します。
平和を実現する、という目標を提示したとして、どんな方法があるでしょうか。
日本だけ、とにかく戦争に巻き込まれないようにしたいのであれば、それ自体は不可能ではないかもしれません。
もちろん、それはいわゆる「戦後平和主義」のような世間知らずの考え方ではありません。当然、日本は地理的に、広い海に自由に出て行かれる位置にありますし、水資源も豊かですから、ここに住みたい、この場所が欲しい人たちはたくさんいる、と考えなければいけないんです。
アメリカが日本を守ってくれると思っている人がいるかもしれませんが、アメリカの支援は軍事的な支援ではなく、資金や武器の提供に留まる可能性がないとは言えません。ロシアがアメリカの弱体化を見抜いていた、という話もあります。
ですから、今回の改憲勢力の話ではないですが、憲法を変えて、自衛のための軍事強化をする、ということになります。徹底的に、日本を守り抜くための力をつける、ということですね。
とはいえ、それが世界を挑発しない、という保証もまったくないわけです。
長くなりそうなので、続きはまた次回以降にします。