やりたいことより、できることを。消去法キャリアが私には合っている。
私は今、フリーランスとして複数企業の広報を支援する仕事をしています。
お取引をしている企業はベンチャーキャピタルやPEファンド、上場前の急成長ベンチャーや事業革新を進める地方の中小企業のみなさま。
どうしたら魅力的な商品やサービスが、社長の思いが世の中に伝わるか。社内・社外へ伝わるための「コミュニケーション」を考える仕事をしています。
……って言うと、華やかな業界を想像するかもしれません。でも自分で言うのもなんですが、かなり地味です。泥臭いです。
今の仕事をしているのは、私に広報の才能があったわけでも、独立志向が強いわけでもなく、すべては消去法の選択。その連続の結果です。
唯一、心がけていたスタンスは、食わず嫌いにならずに巡り会う機会に全力で取り組むこと。
「体育会的なキャリア説教かよ」と思った方、もうちょっとだけ待ってください。私は決して、今の環境で歯を食いしばって3年頑張れと言いたいわけではないんです。だって私自身、できることなら働きたくはないのだから。(あの、念のために補足をしておくと、今の仕事は関わる人に恵まれて、本当に楽しく充実しています。ただ出来るなら、1日中ゲームをしながら猫をもふもふしていたいのです……)
ただ、「やりたいこと」「実現したいこと」が強烈にある人は別として、自分は何がしたいのか分からない、ライフイベントでキャリアの両立が難しい、そんなモヤモヤした気持ちの答えはSNSに書いていない。結局、自分で考えて自分で決めるしかない……。
じゃあ、自分に機会が運ばれるようにしよう。
自分に残ったたった一つの選択肢を活かすこと。
このnoteは、「自分は何をしたいんだろう?」とSNSを眺めている人や、ライフイベントを迎えキャリアの変化に悩む女性の役に立ったら嬉しいなと。そう願いながら書いてみます。
広報という仕事との出会い
私が初めて広報という仕事に携わったのは大学院生の頃。
先輩から「広報課の人が、学校案内を作ってくれる学生を探している」という話を聞き、広報って何?と思いつつも、面白そうだなと軽いノリで参加することにしました。
研究室の紹介映像を作る役割を任され、竹製品を研究する先生の所に行って「“竹取の翁”風にやりましょう!」なんて提案して、楽しく映像を作っていました。
その時に研究室の先生が「これからは産官学の時代。研究室も外にアピールする必要がある」と言っていたんです。大学は資金の獲得や企業との共同研究もやっていかなければならない、と。
それを聞いて、伝えることを仕事に出来たらおもしろそうだなと思ったんです。
自分の手で面白いことをアピールする仕事をやりたい!
と、自分のやりたいことが見えたんです。
変わっていく環境と、変わらなかった思い
けれど、伝える仕事をするにはどこに行ったらいいのか当時はまったく見当がつきませんでした。大学の広報課は、成績が足りなくて雇ってもらえないだろうし……。
もしかして、広告代理店?と思い至り、よく調べもせずに代理店へ入社しました。(広報の仕事が出来るPR会社があるのですが、私の出身地である関西にはほとんど無かったような?)
代理店では、コーポレートコミュニケーションと呼ばれる、商品やサービスではなく会社全体をPRするような仕事を担当していました。その中でもどちらかと言えば、会社全体のイメージを悪くしない、不祥事の際の対応をどうするかといった仕事が中心でした。
仕事は楽しかったものの、激務で忙しく体も壊しがち、結婚生活との両立がうまくいかずストレスが溜まるようになりました。あまりのストレスで前髪の一部が1週間で真っ白になりました。
転機が訪れたのは、友人からの一言がきっかけでした。
「いま知り合いのファームが日本人を探してるんだけど、どう?」
と、アメリカ人の友人が声をかけてくれました。
アメリカ進出を考えている日本企業のフォローをしてほしいという機会を魅力的に感じ、おもしろそう!と飛び込んでみることにしました。
そして仕事でアメリカへ行ったとき、大学時代の経験と繋がる気づきがありました。
アメリカの大学には資金獲得のために広報の部署がちゃんとあって、どんな研究を何のためにやっているのか、ビジネスや社会にどのように役立つのか。研究を大学内に閉じるのではなく、広く伝える広報の機能がアメリカの大学にはありました。
一方で日本の大学は、何の研究をしているか分からず、広報と言っても「学会へ行きました」「論文に載りました」というお知らせに留まっているように感じられました。広報を十分に活用できていないんです。
今後、日本の大学は研究のための資金獲得や起業のために「広報」に力を入れたいというニーズが出てくるはず。そんな仕事が出来たら面白そうだなと思いました。
すっかり忘れていたけど、広報と初めて出会った大学院時代の頃を思い出し、私は世の中に届いていない価値や魅力を伝える仕事がしたいんだ、と気づきました。
仕事が落ち着いたタイミングで日本の大学で広報が出来る環境を探し、縁あって東京大学の理学系研究科に入り、広報の仕事につくことができました。
「わたしの原体験である大学の仕事。おもしろいかも?」
……と、しばらくは機嫌よく働いていたのですが、家庭の事情があり、夫の地元である青森へ引っ越すことになったんです。
今度は青森で仕事を探すことになりました。
そして消去法で選んだものは
青森で仕事を探しはじめ、まずは引っ越しする前に
広報 求人 青森
で検索をしてみました。
全くヒットしません。
じゃあ出来ることは何かと、フリーランスの紹介会社に登録しつつ、青森のハローワークで仕事を探すことにしました。
家の近くで事務のパートの仕事が見つかりましたが、カルチャーギャップもあり、ここで働き続けるのは無理かもしれないと思いました。
それに、先天的な持病があり毎日オフィスに出勤するのはちょっとしんどいし、できれば家で仕事がしたい。大学病院に通院するため有給はどんどん無くなっていく。今までの経験を活かした仕事もしたい。
じゃあどうしたらいいか......何か自分にできることは......
選択肢をどんどん消していくと、最後に残るのはもう自分が独立してフリーランスとして働いくしかないと思いました。
当時はリモートで働ければ何でも良かったのですが、私に出来ることといえば広報の仕事くらい。もうこの道しか残されていないと、フリーランスの道で働いていくことを決めました。
ちょうど、登録していた紹介会社から紹介いただいた企業と契約が決まり、しばらくは青森を拠点にしつつ、定期的に東京に出張する生活を続けていましたが、青森ー東京を行き来しながら生活をするのはなかなか大変です。(主に家事が…)
仕事・家庭・お金・お互いのやりたいこと・できること。
この先どうするか、夫婦で色んな選択肢を検討しました。
最後に残った選択肢が、もう一度東京で働くこと
色々検討したけど、もうこの選択肢しかないよね?と。
夫には仕事を辞めてもらい、青森を離れて東京へ行くことに。
その分、私が働き、一家の大黒柱になることを決意しました。
納得するより覚悟すること
そうなるともう、働くしかない。
冒頭でも書きましたが、できるなら本当は働きたくないんです。(お金持ちと結婚していたら働いてないかも?)でも家族を不幸にするわけにはいかない。
私が頑張るしかない。嫌とか言っていられません。
〇〇だからしょうがない、と自分を納得させる理由を探すのではなく、やるしかないのだから、と意志を持ってその道に進むんだと覚悟を決めました。
起業している同級生に相談したことがあるのですが、みんな揃って出る言葉は「覚悟するしかないよね」ということ。従業員の生活のこと、会社が潰れてしまうんじゃないかという不安がある中でも、とにかく社長はやると決めたことをやる。
そうやって覚悟を決めることができるのは、「これしかない」と思えるまで消去法で選択肢を絞り抜いているから。だから、やると決まったらやる。そう思えるんだと思います。
決めることが出来たら余白が生まれるもので「やるのは決まった、じゃあどうやってやる?」と、私たちは決めることに不安を覚えがちですが、一度決めてしまえばなんとかなるもんです。
なにができるのか、わからなかったら他人の評価に委ねてみては
これまで「消去法で選択した結果、フリーランスで広報を行うことになった」という話を書いてきました。
ありがたいことに今があるのは最後に残った選択肢を意志を持って選んだから、そしてもう一つは「第三者の評価に委ねてみる」ということをしてきたからだと思っています。
20,30代の中には、自分は何者にもなれない、何者かになりたいと頑張っている方は多いと思います。
そういう方たちは恐らく、自分に何ができるのか、何がやりたいのかがわからなくて悩む方が多いのではないでしょうか。
そんなとき私は、これまでの経験で周囲に評価されたことを総合して「こういうのが自分に合ってるんだ」と気づいてきました。
例えば、会社の部署配属が希望と違うことに落胆し退職する人もいますが、私はむしろ第三者の決定にまずは従ってみるタイプです。
自分に何が向いているか、何ができるかは、私自身よりも第三者の方が分かっていると思うから。服なんかもそうですよね。自分が着たいものを着てみたらなんか違うなーと思っても、店員さんに勧められたものが自分にピッタリくるときがあります。
「自分はこれがやりたい!」と明確な思いがあり、そこに向かう意欲があるんだったらいいと思います。でも「何がやりたいか」「何が合っているのか」がわからない・見つからないのであれば、人の話に耳を傾けてみると、自分が進みたい道につながるはずです。
「こういう仕事だったらできるんじゃない?」「こういうの合っているよね」と言われたこととか、「人の話を聴くのが上手だよね」と褒められた経験を通じて、自分はこの道が合っているなぁと気づいていく。
私は、「やってみたら?」と声をかけられたら、やったことのない分野でも飛び込んでみます。振り返ると、広報の仕事と出会ったのも人から声をかけられたことがきっかけでした。
自分の思いや考えだけだと、視野が狭くなり、見える景色も限られてしまうから。だから食わず嫌いにならずに、まずは与えられた機会で頑張ってみる。
でも大事なのは、どうするかは必ず自分で決めること。
「やりたいこと・好きなことを仕事にしている」人たちが眩しく見える時代だけど、「まずは自分にできることを頑張ってみる」という泥臭い選択肢をもっと前向きに捉えてもいい。そう私は思います。
働く人みんながキラキラじゃなくていい
“消去法”は前向きな選択
消去法と聞くとネガティブに感じるかもしれません。
けど決して悪い言葉じゃなくて、前向きな消去法ってあると思います。
働く人みんながキラキラしていなくていいと思います。
何者かになろうとしてなれるわけではないし、いろんな結果の積み重ねで今があるんです。
「こうならなきゃいけない」なんてことはありません。
バリバリ働きたいけど結婚してできなくなった
子どもが小さいから動けない
何も選択肢がない
選べないから、残った選択肢を仕方なく選んでいるーーー。
後ろ向きに選んだ選択肢では、自分の持つスキルや才能も活かしきれないんじゃないかと思います。
ギリシャ神話のパンドラの箱に残ったエルピスは希望なのか災厄なのか…。
きっとこれからもたくさん、選択する機会は訪れる。そのたびに悩んでクヨクヨすることもあるだろうけど、最後に残った選択肢をどうせなら私は、「希望」だと思って選びたい。
それぞれが選択をし続けた結果、今の仕事や生活、環境があると思います。
なにか現状に不安や不満を感じることがあるのなら、自分が選んだ選択肢を見つめ直してみると、状況が好転するヒントが見えてくるかもしれません。