おもしろさも、苦しさも、どちらも嘘じゃなくて。
4月からのこと。特養で働き始めた。
学びも、楽しさも、面白さも、語りつくせないほどたくさんあった。でも同時に、ずっと水中にいるような、苦しさがあった。どちらも忘れないように、少しだけ記録しておこうと思う。
人間として生きていながら、「生態系としての人間」は苦手分野だった。全てのケアには根拠があって、それをすらすら言える先輩に教わるのは楽しかった。1番大事なのは換気らしい。
人間がどうやって老いていくのか、どのように生を終えるのか、生身の人から学ばせてもらえるのも本当に貴重だった。
◇◇◇
関わりの濃度はあるが、10ヶ月で関わった9人がお亡くなりになった。多分少し多い方だと思う。死は怖いものでも遠ざけるものでもなく、日常のなかに自然にあることだと知った。
次の日には別の人がそこで暮らしている。
「良いターミナルだったね。」
チェーンストークス呼吸を家族に見守られながら静かに息を引き取ることができたとき、何度か聞いた言葉だ。誰にも看取られない人もいる中で、その人らしい死を実現でき、家族も送り出せたと思えるのは確かにすごく望ましい。
でも、いつまで経ってもこの言葉がしっくりこない自分がいた。看取りの経験が増えれば慣れるのかな、と思ったりもしたがそうでもないみたいだ。
夜通し家族が付き添って、手を握りながら思い出を語る。そんな瞬間を見て、深夜に泣いてしまった。重ねてきたであろう思い出と、老いに寄り添う過程と、送り出すと言う覚悟。あらゆることを勝手に想像してしまった。きっとプロとして、ここに共感は必要ないのだろう。
呼吸停止の第一発見者になったときは、しばらく手の震えがとまらなかった。心肺蘇生をしたときは、動悸が収まらなかった。
経験が増えるにつれて、自分の判断の重要性に怖くなってしまう日々だった。看取りが面白いって言う人が何人もいて、私はそう思えないタイプなんだろうと少し諦めた。
私は怖くなってしまったけれど、人生の最期に関われるのは大きな魅力の一つだろう。
◇◇◇
重い話を最初にしてしまったが、楽しさはもっと日々に溢れている。
農家をしていたおばあちゃんが、「今度持ってくるね。あなたに食べてほしいの。」って言ってくれること。「あなたお風呂屋さんみたいだね!」と頭を洗っていたら褒めてくれたこと。「私うんちなんかしないよ~あんたのでしょ?」と便器のなかを見て言われること。鏡を見ながら「いいおばあちゃんになったね~」とつぶやくのを見ること。
嬉しさも面白さも、たくさん受け取った。
エピソードトークはそれなりに増えた自信がある。
音量が98のテレビで朝ドラを見る夜勤明けとか、目の前で連打されるナースコールとか、地球を守ってくれと言われる夜中とか、今しか経験できない時間がたくさんあった。
おもしろがれる力は、以前よりもアップした。
同時に、こんなに素敵な瞬間がたくさんあるってわかっているからこそ、楽しめない自分に気づく瞬間がすごく苦しかった。自分の心を守るために無になり、言わない方がいいことを言ってしまう瞬間がすごく苦しかった。
日中は一人で10人をケアをし、夜間は一人で20人をケアする。
トイレの欲求がエンドレスに続き、さっき行きましたよ。と言ってしまったとき。力を尽くしても叫び続ける人に、どうしてほしいのか言ってもらわないと何もできないと言ってしまったとき。
自分の心を守るために、発してしまった言葉だとしても絶対に言わない方がいい言葉なのはわかっている。だからこそ、瞬時に自己嫌悪に陥ってしまう。もう少し、心に余裕があればね。
あぁ、私ってこんなに冷たい人間だったのか。こんな人間が人に関わる仕事をしていていいのだろうか。他に向いている人はたくさんいるんだろうから、私なんかが関わるべきじゃないのではないか。そんな思いがずっと心をぐるぐるしていた。
ストレングスファインダー1位の共感性と3位の内省が弱みになってしまった。
働き始めて感じた何かが失われている感覚は、きっとこの部分だろう。そして、私が大切にしたいのもこの部分なんだろう。
職場で泣いちゃったことも、帰りの自転車を泣きながら漕いだことも、泣きながら同期に電話したこともあるけれど、へこたれずここまで来ている。
本当に人に恵まれている、というのももちろんあるけど、やっぱり介護はおもしろいという感覚は心にあるんだろうな。
◇◇◇
文字にすると苦しい、の割合が多くなってしまった。反省。まあ、直接話すときはもっと明るく、おもしろい部分の割合を多くしてるつもりだから、文字だけは正直でいよう。
私には向いてなかったかもしれないけれど、魅力はちゃんと伝えられる。苦しみながらもちゃんと楽しんできたつもりだから。
大切にしたいものを、失ってしまわないように。
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