見出し画像

「SCIENCE FICTION」発売後の宇多田さんを追う⑥−6

こんにちは。自己満足な毎日をすごしたいです。

「SCIENCE FICTION」発売後の宇多田さんを追う⑥−6です👍
この⑥シリーズでは、4月18日(木)22:00〜放送されたNHK MUSIC SPECIAL「宇多田ヒカル 〜教えて! ヒカルさん〜」、8月25日(日)深夜0:05〜(26日(月))の完全版を振り返っています。
前回は、音楽の創作の秘密に迫る質問でしたね。今回はその続きで、性別からセクシャリティに関する内容となっています。

以下、宇多田さんの発言は⭐️、個人的な考えは🔹で記載しています。


性別とジェンダーについて

質問「宇多田さんの音楽には「性別」をあまり感じません。「性別」を切り取らないのは意図的ですか?」

そもそも、この質問についての背景は、「宇多田さんの音楽には、あまり時代を切り取ってこられなかったように思います。また、私自身が両親や祖母の影響で歌謡曲や演歌が大好きなんですけれども、歌謡曲や演歌の中には、男歌、女歌というふうにはっきりと性別の色がついた曲が多いように思うんですけれども、宇多田さんの音楽には性別を感じる曲があまりないように感じます。意図的ですか? それとも自然な流れとしてここまで作ってこられたんですか?」ということのようです。


音楽内での性別について

⭐️宇多田さん「自然ですね。自然とっていうのは、私があまり意識してこなかったっていうのと、あまり興味がない部分というか。人間のことをずっと研究してるみたいな部分が多分あると思うんです。特に歌詞とか。自分の気持ちも知ろうとして、自分の気持ちがわかると、あ、人間ってこうなんだ、人って、こういう感覚だったり、こういう気持ちを持つんだなとか思うことはあっても、その部分って、もっと感情だったり心理だったりして、それって結構、普遍的というか、みんな繋がってるような、みんなが共有してる部分にすごく興味があって。性別もじゃあ自分が女って思ってる人と、男って意識が、アイデンティティが強い人が、どこまで何がどう違うのかとか、一人一人、それをどう捉えているのか、自分の性別を、とかよくわからないし、その人になってみないと。私はあんまり自分が女の子だとか、男の子だとか思ったことがなかったんで。名前も光でよく男の子に間違えられたり。親が私に青い服を着せてたからいつも赤ちゃんの時に男の子だって思われてたらしいんですけど。なんか幸いそういうことをあんまり意識しないでここまできたから、曲もそうなのかなって思います」

🔹人の感情や心理は普遍的であり、みんな繋がっていて共有しているというコメントから、人間活動前のライブ、「WILD LIFE」の「虹色バス」についてのMCでみんなが持っている感情は同じ、というのを思い出しました。
宇多田さんが性別をあまり意識してこなかったから曲にも性別を切り取ったものがない、という話で、確かに宇多田さんの曲って、一人称が「僕」や「俺」だったり「私」だったり、曲によって変わってくるし、二人称も「君」「あなた」「お前」って色々。こういう視点も面白いですね。

質問者さんからさらに、「人と人とが出会って会話をする中で、やっぱり視覚情報が一番大きい情報になってくるので、最初、何歳くらいで男性か女性かっていうのをどうしても無意識のうちにインプットしちゃうんですけども、それが時としてすごく足枷になってしまうことも多くあると思うんですけども、宇多田さんの曲は、男性とか女性である前にみんな一人の同じ人間じゃんっていうところから曲を発信されているように感じるので、とても居心地が良くてですね。普段、落ち込んだり悩んだりするときにとても癒されているので。ありがとうございました」とのこと。

🔹個人的に、普段からスポーティーな格好をしていることが多く、キャップを被っていると特に、少年に間違われることも多々😂 それを考えてみると、人は視覚情報から判断していることを実感します。
そして、宇多田さんの曲の居心地がいいということは大いに同意です😤


光という名前について

⭐️宇多田さん「嬉しいです。私も父にすごい感謝というか。今のお話を聞いてて思ったのが、最初、私、母親にいちごかメロンかスイカって名前を付けられそうだったんです。本当に。彼女が好きな果物。まあそれも可愛いかったし、それはそれで面白い人生だったと思うんですけど。でも父親がどうしても光の方がいいって言ってくれて、その理由が、名前だけ見て、男か女かわからない方がいいんじゃないっていうのも、理由の1つだったらしいんです。結果、私もそんな感じでよかったなって思う名前だったんで」と。

🔹果物の名前をつけられそうになった話はどこかで聞いた気がしますが、てるざねさん、光という名前を譲らずにいてくれてありがとうございました😭と思います(笑)


ノンバイナリーのカミングアウトについて

鈴木さんから突っ込んだ質問です。
「数年前に宇多田さん、ノンバイナリーだって公表もされたと思うんですけど。言ってみようと思うときっかけとか、動機みたいなのって」

*ノンバイナリー:自認する性が男女どちらでもない人。どちらとも言い切れない人。いずれにも分類されたくない人

⭐️宇多田さん「私が自分のことをどう見えてるかなんて、正直、別に他の人にとったらどうでもいい話っていうか、共有しなくていい話だと思うんですけど、でも言わないで、例えばこういう質問をされた時にとか、インタビューの時とかに、女であることについてとか、女性代表としてとか言われた時に、すごい答えに困っちゃってたんですね。そんなに女性代表と言える立場じゃないと思うし、女の人のことも男の人のことも同じくらい大事に思ってるし、どっちの気持ちも分かりたいし、それでなんか戸惑ったり、嘘ついたり、隠してるみたいにどうしてもなるのが苦しくなってきて、じゃあ言ったら、同じような気持ちの人もいるかもしれないから、別に大したことじゃないじゃないですか。大したことじゃないというのは、大したことじゃないべきだと思うんですけど、それでも色々難しい問題があるし、こうあるべきだっていういろんな考え方があるのに圧迫感を感じたり、恐怖みたいな、攻撃の対象みたいになるのを恐れて言えない人もいっぱいいると思うから、なんかもっと気楽に思えればいいなっていうのが望みですね、願いですね」

🔹宇多田さんの心からの願い、でも当たり前であるべきだよね、という話ですね。トランスジェンダー、ゲイ、レズビアン、バイセクシャル、アセクシャル、パンセクシャルなどなど、いわゆる性的マイノリティって色々と種類を分けてあるけれど、じゃあ、いわゆるマジョリティの人たちと違って攻撃されたり差別されたりしていいのかと言われると、絶対に違うし。というか、そもそも同じ人間であることに違いはないし。深い話というか、日本ではまだまだ課題の多い話題ですね。

今回は性別とジェンダーについてということで深い話題になりました。でも、宇多田さんだから、こんな話ができるんだと思いますし、宇多田さんが話すから興味を持って勉強する人がいたり、これまでなかった考え方に触れる人がいたりするのかなと思います。

ということで、今回はここまで。
次回は「Electricity」の歌唱でコラボしたアオイヤマダさんとの対談、その歌唱シーンへ入っていきます。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました🙇

SCIENCE FICTION発売後の宇多田さんを追うシリーズのこれまではこちらから👇


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?