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大変なことからちょっと離れるには、ユーモアが欠かせないのではないか、と思っているお話。

「大事にしていることはなんですか?」と人に聞かれると、私はいつもこう答えます。

「ユーモアです!」

そう、私はユーモアを大事にしています。いつから大事にしているか、と言われると10代の頃から、だと思います。

そもそも、ユーモアとは何でしょうか。
色々調べてみると、ユーモアを定義することは簡単ではないようです。
ですが、ドイツにおける有名な定義にこんな定義があるそうです。

「ユーモアとは、にもかかわらず笑うことである」

デーケン,1995

私の好みにはなりますが、ユーモアに関して、この定義が一番しっくりきています。にもかかわらず、というのが言い得て妙だなあと思うのです。

心理学における近年の研究では、ユーモアは滑稽でおもしろい、あるいは、ばかばかしく不調和な考えや状況、できごとに対する認知や表現、鑑賞に関連したすべての事象とも言われているそうです。

そして、ユーモアには実は色々な効果があります。

例えば、対人関係でユーモアを用いることは、良好な人間関係の構築や維持に役立ち、ストレス(stress)の予防や低減につながると言われています(葉山・桜井,2005)。

その他にも、相手への怒りを表出したり相手の失敗を指摘するときなどに、 ユーモアをまじえて表現すれば、相手との軋轢や衝突が回避され、ストレスが予防または低減されるとも言われています(木野,2000;岸本,1993)。

私がなぜ、ユーモアを大切にしているかというと、定義にも関連するのですが、大変にも関わらず、笑うことで救われてきた経験があるからです。

私が人生で最も影響の受けた本、ヴィクトール・E・フランクルの「夜と霧」に、こんな描写があります。

フランクルがいた強制収容所の生活は想像に絶する環境です。
身体中の毛は剃られ、薄汚い服しか与えられず、ご飯もスープと1つのパンだけ。その状況で、何十時間と働かされ、耐えられずに毎日沢山の仲間が命を落としてしまいます。

そんな過酷な環境の中で、フランクルは収容所で一緒に働く仲間にある提案をします。

「私は数週間も工事場で私と一緒に働いていた一人の同僚の友人を、少しずつユーモアを言うように教え込んだ。すなわち私は彼に提案して、これからは少なくとも一日に一つ愉快な話をみつけることをお互いの義務にしようではないかと言った」

『夜と霧』(V・E・フランクル[著] 霜山徳爾[訳] みすず書房)p132

フランクルは、仲間に「愉快な話」をしようと自ら提案し、収容所の監視官にされたことなどを題材にして、互いに笑いあいながら収容所の日々を送ります。

なぜ、こんなにも過酷な環境で、フランクルはユーモアを取り入れたのか。フランクルは、こんな言葉を残しています。

ユーモアもまた自己維持のための闘いにおける心の武器である。周知のようにユーモアは通常の人間の生活におけるのと同じに、たとえ既述の如く数秒でも距離をとり、環境の上に自らを置くのに役立つのである。

『夜と霧』(V・E・フランクル[著] 霜山徳爾[訳] みすず書房)p131-132


つまり、過酷な環境や辛い環境の中でのユーモアというのはその環境と数秒でも「距離」を取ることのできる行為であり、「自己維持」のために必要であるということを伝えているんです。

その他にも、大学時代に感銘を受けて現地に見学に行った、当事者研究の生みの親でもある、社会福祉法人べてるの家の向谷地さんはこんなことを言っています。

問題や弱さに対して「遊び」や「笑い」を交えて研究し、批判を承知で発表してみたら会場は大爆笑だったんです。厳しい現実を目の前に、みんなで一緒にお腹をかかえて笑ったり、面白いと言い合ったりすることは、おそらく問題解決には至りません。ですが、彼が私たちの仲間であることを再認識できたし、彼自身も顔を上げてくれた。それだけで十分なんじゃないかと思いました。

「ゆるしたいけど、ゆるせない相手とどう付き合う?〈浦河べてるの家〉の向谷地生良さん。」
より一部抜粋

大変なこと、苦しいこと、逃げたくなること、難しく見える問題。
生きていれば色々あるけれども、ユーモアは、その状況から少し距離を作ってくれる。

私自身、自他共に認める注意欠陥で、これまでさまざまな失敗をしてきました。

電車に乗り間違えることもザラだし、物を失くすこともしょっちゅうです。
羽田と成田を間違えて飛行機を乗れなかったこともあるし、関西空港につきたかったのに和歌山に着いたこともあります。大事な仕事の合宿で、反対の電車に乗ってしまい気づかず、2時間遅れたこともあります。

誰かの視点に立つと、「なんでそんな失敗するの?」「ありえないでしょ」と怪訝な顔をされるかもしれません。でも、私の周りにいる人たちは、「ゆからしいねえ」「今回は過去一のネタができたやん(笑)」と笑ってくれるんです。

そんなユーモアに、私自身、どれだけ救われてきたか。

だからこそ、誰かがミスしたり、失敗したり、うまくいかなかったり、不注意だったりしても、「そんなこともあるよね」「ネタ、できたじゃん!」と言ってユーモアを忘れないでいたい。

それは、甘やかしているとか、ぬるい関係性とか、そんな表面上なことではなくて、人はどう頑張ってもできないことだったり、失敗することがあると私自身が経験しているからかもしれません。

ちょっとしんどい、ちょっと大変、何だかしんどい。
そんな時、少しだけ顔を上げて、ユーモアを思い出す。

そんなユーモアをこれからも大事にしたい、と思っているというお話しです。

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