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信頼と、信用の違い。


私が常日頃大切にしている価値観のひとつに「信頼」がある。
「信用」は、そんなに重要視をしていない。

信頼や信用の定義は、ちゃんとあると思うけど、今回は私の考える信頼と信用のお話。

私にとっての「信頼」の定義は、お互いが大事にしていることを尊重しあい、歩み寄りの努力を忘れずにいられる関係性のこと。
「信用」は、仕事のスキルやお互いの持っている能力に対して疑いなく任せることのできる関係性のこと。

信用はできるけど、信頼はできない、と思う人とは一緒にプロジェクトはしないようにしている。
この人がいたら間違いなくプロジェクトが上手くいく、というスキルや能力を持っていたとしても、自分の中で違和感が少しでもあれば、手放す。
目的を達成する為に必要なスキルを持った人が目の前にいて、今すぐジョインできる状態だったとしても、自分がまだ信頼できていないな、と感じたら躊躇なく一緒に仕事やプロジェクトはしない選択を取る。

それほど、「信頼」をとても大事にしている。

信頼できるかどうかの基準は人それぞれだという前提で、私の基準は明確にひとつある。

「言っていることと、やっていることが矛盾していないか」

これが、結構難しい。
私も自分を振り返ってみると、できていない時もある。

「どんな時も人と向き合うことを大切にしています」と言って、忙しいときは向き合わずに自分が向き合えるときだけ向き合うとか。

「多様な価値観を受け止めることを意識しています」と言って、否定や断定をするとか。

「いつでもなんでも言ってね、力になるから」と言って、なんでも言ったら距離を置くとか。

「社員と対等に接しています」と言って、命令や指摘ばかりしているとか。

自分が発している言葉と、行動が矛盾していることは、本当に多い。
それほど「言う」ということは簡単なんだとも思う。

一方で、「言う」ことの中にも難しいものがある。
それが、「違和感」と「本音」だと思う。
この「違和感」を隠さず、自分の「本音」を率直に伝えることは勇気がいるからこそ、私がとても大切にしている「信頼」の要素だったりする。

例えば。
「さっきのあなたの行動は、嫌だと感じたよ」
「その考え方は、こういう捉え方される可能性があるよね」
「さっきのあなたの言葉に傷ついたから、正直に伝えるね」


自分が感じた違和感や、本当に思っていることを伝えるのはきっと、誰だって怖い。
もしかしたら伝えることで関係性が崩れるかもしれないし、一緒にいることも難しくなるかもしれない。
けど、それでも、勇気を振り絞って伝えたその先に「信頼」が育まれるという瞬間を沢山見てきたし、経験してきた。
そうやって勇気を振り絞って「本音」と「違和感」を伝えた人とは、本当に長く一緒に仕事やプロジェクトをしているし、プライベートでも違いを尊重しあえている。


最近、「部屋の中の象(the elephant in the room)」という言葉を知る機会があった。

「部屋の中の象」は、その場にいる皆が認識しているけれど、あえて触れることを避けている、タブーな話題や重大な問題のことを指す。

そういう、誰もが認識してても口にしたがらないような大きな問題を見つけたときに恐れずに「口に出して伝えられるか」どうかは信頼が大きく関与しているのでは、と思っている。

自分の違和感や、大きな問題に気づいた時に、見て見ぬふりをせずに、ちゃんと相手に伝えられるかどうか。そして、伝える側も「この人になら伝えたい」と思えているかどうか。


スウェーデンの旅中に、会社をこれから創るメンバーと2週間以上寝食を共にし、色々な話をしあった。

「この言葉は、やっぱり何か違和感に感じている自分がいる」
「こういう表現は、したくない」
「言っていることはわかるけど、自分の中ではしっくりこない」
「今は議論に疲れて頭が回らなくなってきたから、リフレッシュをしたい」

スピード重視で物事を進めるのであれば、少し違和感を感じたとしても飲み込んで他人の意見に合わせるか、もしくは権限のある誰かが強く意見を言って、進めることの方が効率が良い。

だけど、私たちは、スピードと効率よりも、それぞれの「納得感」と「信頼」を最も大切にしたいからこそ、時間をかけることを選んだ。

どんな小さな「違和感」も、見て見ぬふりをせず、面倒に取り扱うのではなく、相手やその場に対して感じたのであれば率直に伝えていくこと。

きっと私たちがこれから大切にしたい世界観。


今までの私は、断定を少し恐れていたけれど、この世界観だけは、本当に大切にしていると言いたい。


歩くような速さで、対話と信頼を積み重ねながら物事を着実に進めていくことを。

うさぎとかめの、かめでありたい。








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