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1つの専門性がないのが専門性
自分の専門性って何だろうと考える機会がこの数年。
最近の仕事もテーマがバラバラで、ロジックモデルについての講師や(詳しくはこちら)、ナラティブつくりのワーク、ある空間デザイン会社の組織変革の伴走しながら、先生になる人たち向けの授業、青山学院大学ワークショップデザイナー育成プログラムの講師しながら、コーチングしたり、はたまた大学院で文化人類学学んでる。あとソーシャルビジネスに関する授業や、学院の2年生ゼミはワークショップデザインについて。南アルプス市の地域福祉計画のアドバイザーしながら、3月はさがみはらで女性向けの講座やることになったり(詳しくは)、免疫マップを使った4回連続講座やる(詳しくはこちら)
そんなわけで、最近何やってるの?って言われると色々としか言えない。
パートナーも説明できないし、知人も僕を紹介するときにうまく説明できない。というか当の本人が説明できないのだからしょうがない。
beの肩書きでもあったけど、自分の根っこは「踊って遊ぶタンキュウシャ」
では?専門性は?専門は?って言われると、これだ!ってものがない。
1つのものにめちゃくちゃ詳しいわけではないので、これはどうしたもんかなーと思うこの数年。
竹端さんのブログ
最近、竹端さんのブログ読んで、あー俺もそうかもって感じた。
以下ブログから引用
本当に雑多でまとまりがなく、深みがない。ハチャメチャである。だからこそ、いつまでも専門がないのだ、と落ち込んでいた。
でもそれって、各分野の専門家の深みのある知識と比較して、「ぼくは全然知らない」という、「ないものねだり」の発想だった。ただ、今頃になって気づいたのだが、ぼくの守備範囲はどうやら結構広いらしい、ということ。確かに福祉領域の研究者で、権利擁護も精神医療も地域包括ケアもオープンダイアローグもカバーしていて、魂の脱植民地化とか能力主義を問い直す視座に基づき、それなりに原稿を書いたり、講演や研修をしたりしている人材は、あんまりいないんじゃないかな、と改めて気づく。つまり、他の人が色々深めている複数の領域を興味向くままにあれこれ囓りながら、それを自分なりに統合しているのが、ぼく自身の「知っていること」なのだ、とやっと気づかされた。
だからこそ、他者比較の牢獄に陥る必要は全く無いし、他者と比較するだけ無駄である、と改めて気づかされた。
王道の研究者は、それぞれの専門を深掘りして、極めてくれたらいい。でも、ぼくは飽きっぽいし、一つの深掘りは向いていない。であれば、あちこちの鉱脈をランダムに掘り進めながら、その根底でつながる部分を自分なりに横穴を掘ってつなげて、それを言語化していく仕事が出来たらそれでいいし、それしかぼくのオリジナリティはない。そして、それは時には他者にも役立つアプローチとなり得る。そう思い始めている。
そうそう。僕も飽きっぽいし、beの肩書きが「踊って遊ぶタンキュウシャ」だからいろんなことに興味持ってしまうのしょうがない(ということにしておく)。
違う分野のものをつなげたり、シフトさせたりしながらやることだって1つの専門性っちゃ専門性だ。
あと、この専門性がないからこそ「ドア型人材」のような生き方やキャリアを作っていけるんじゃないかなと思っている。
「ドア型人材」のような生き方
岡山さんのドア型人材の考え方がすごい好きで、生き方やキャリアのヒントになっている。
自分を高めるのではなく、あくまでも自分を媒介にして価値が行きかう「流れ」をつくれる人。
存在が「媒介=メディア」となり、周りを活かすことができる人。
note『個の時代に消費されない「ドア型人材」という生き方』から引用
そんな「ドア型」の特長の1つに「専門性スキル、ノウハウを必ずしも必要としない」も今の自分にとっての生き方のヒントなんじゃないかな。
あなたの周りにもきっと、思い当たる顔があるはずです。
「なんだかめちゃくちゃ顔が広くて、いい出会いをくれるあの人」
「ふわっとした相談に、いつでも答えを出してくれるあの人」
「何の人、と言えるわけじゃないけどいつもお世話になってるあの人」
note『個の時代に消費されない「ドア型人材」という生き方』から引用
うん、こんな風になれてるといいな。しっくりくる。
3つのキャリアを掛け算して100万分の1の人材になる――藤原和博氏が語る人生100年時代の働き方
違った切り口だけど、こんな考え方も。
計算していただくと分かるんですが、オリンピックのメダリストはだいたい100万人に1人の確率です。ノーベル賞はだいたい1000万人に1人。お笑いの世界でノーベル賞級というと、日本だと、さんまさんやビートたけしさんじゃないかと思いますが、その下の100万人に1人の存在となるとテレビで結構レギュラーを持っているような人ですよね。そうすると、年収は億単位になる可能性も出てきますよね。
というようなイメージで捉えていただければと思います。3つのキャリアで三角形をつくり、その面積を広げる。面積が大きければ大きくなるほど希少性が高くなるわけですから「引き」が強くなります。当然、ネット社会が深まれば深まるほど、人からアクセスされるために希少性を高めないといけない。
「3つのキャリアを掛け算して100万分の1の人材になる――藤原和博氏が語る人生100年時代の働き方」から引用
もちろん1つのキャリアの知識やスキルを高めることが前提になるが、掛け合わせるからこそ、その人にしかない価値を作れることも。
『マイノリティデザイン』の中でも
全ては「才能の使い道」をスライドさせることから始まりました。
自分の才能を「縦」に見ると、どん詰まりです。上には上がいます。(p111)
と述べられていた。これって1/100万を目指すのも大事だけど、1/100✖️1/100✖️1/100のスキルの掛け合わせで1/100万になっていくことと似てる。
自身のスキルを今いるフィールドからスライドさせながら、掛け合わせて価値を作っていくこと。自分の今のフィールでは当たり前の価値が、全く違う価値を作り出すかも知れない。
なので
1:専門性がないのが専門性。
2:いろんな知識やスキルを重ね合わせることで、新たな価値を創り上げる。
3:そしていくつかの分野を跨いでいることで、構造で物事を捉えやすくなる。分野が違くても共通しているもの、根っこにあるものを見つけておさえる(システム思考重要)。
4:そこで必要な役割を編集し、繋ぎ直しをする(人もつながる)。
5:相手軸でつなげたり、行動してみる。
これらができることが、僕らしい専門性の1つなのかなと思います(まだまだできてるなんて言えませんが)。
なんて名付けるかは知らんけど。
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