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<芸術一般:能>『安宅』について

 先日TVで、能の『安宅』を観た。ご承知のとおり、歌舞伎の『勧進帳』の前身となるもので、源義経一行が山伏姿で京から奥州へ逃れていくとき、北陸の安宅の関所を抜ける時のエピソードを題材にしている。このエピソードの見せ場は沢山あるが、最も著名なものは、関所守の富樫に問われて、弁慶が寺の寄進のためと嘘を言い、実際にはない勧進帳を適当に読み上げる場面だろう。そのため、歌舞伎では『勧進帳』という演目となっているくらいだ。一方、黒澤明が『虎の尾を踏む男達』という映画を作ったが、これは、『安宅』の最後の方の弁慶のセリフに「虎の尾を踏み毒蛇の口を逃れたる心地して」というのがあり、これを黒澤は映画の題名にしている。

 以上が『安宅』の大まかな紹介だが、能は、もともと馴染みが薄く、敷居が高いのだが、この『安宅』は、歌舞伎や映画に発展したように、舞台展開・配役・セリフなどいずれもダイナミックな動きと輻輳した感情を上手く表現しており、観客が思わずのめり込んでしまう面白さを持っている。とても著名なため、あらすじなどの勉強が不要な演目とはいえ、これは意外な発見だった。能に馴染みのない人は、『安宅』をきっかけにして観たら良いのではないか。

 ところで、『安宅』に限らず、能を観る度に毎回思うことは、配役に「地謡」という役割があることだ。「地謡」という役割は、シテやワキなどの役者同様に長いセリフを謡うのだが、その内容は現代演劇の情景描写や登場人物の独白をナレーションしたものに近い。そしてこれは、ギリシア悲劇における、コロス=コーラスと同様の役割・効果をしているというその共通点を、私はいささか発見した気分になっている。もっとも専門家にとっては「そんなことも知らないのか?」というレベルだろうが。

 それでも、このコロスと地謡の共通点ということに、私の思考運動はずっと止まり続けている。普通に考えれば、コロスの方が圧倒的に歴史が古いから、その影響が(シルクロードを経て)地謡に及んだと解釈することもできるだろうが、能の前身となるものが、農耕に関係した田楽や猿楽といった有史以前に起源を遡れると推定できるものにつながることから、一概に歴史の古さを比較できないとも思う。

 ギリシア演劇も能も、有史以前の人類が神としての自然との関係を寿ぐために行った、原始的な歌と踊りが原点であると考え、そしてそこから演劇というものが人類史に登場してきたと演繹すれば、演劇の原点というのは、長いセリフを節に合わせて歌って踊る(舞う)ことにあり、それは人類共通のものだったのではないか思うのだ。そして、ギリシア悲劇がコロスから発展したように、能も地謡から発展したのだと思う。

 これは、素人のいいかげんな憶測ではないものがあると、私は自負しているのだが、はたしてどうだろうか?いずれにしても、これから機会があれば、能・歌舞伎・浄瑠璃といった日本の古典芸能にももっと親しむようにしたい。もしかすると、これを重ねていけば、ギリシア悲劇に対して新たな見方が出てくるという、想定外の効用があるかも知れない。

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