<書評>『現代詩読本 瀧口修造』
『現代詩読本 瀧口修造』 1980年 思潮社 渋沢孝輔、大岡信、岡田隆彦他。
私の瀧口修造との縁は、美術評論から入った。その後、瀧口自身が芸術作品を作っていることを知り、最後に詩に行き着いた。瀧口自身の実人生の時間とは、正反対の流れで鑑賞したことになる。
そして、特に意識していなかったというか、瀧口修造とは現代芸術の偉大な理解者だと思っていたので、その一部としてシュールレアリスムがあっても、瀧口自身がシュールレアリスムの実践者(主体者)であった(シュールレアリスムそのものが終焉していること及び瀧口自身が「卒業」していることから、これは「であった」という過去形が適切だと思う)ことは、恥ずかしながらこの特集を読むことで認識した(これも、瀧口の実人生の流れとは正反対だ)。
そして、「詩的実験」などのシュールレアリスム詩としての作品を読んだとき、これはまさに「実験」であり、「失敗」とは言えないものの、(特に日本語の)詩によるシュールレアリスムの実現は、相当に無理があり、また不可能性を負ったものであったと感じた。だからこそ、シュールレアリストとしての瀧口は、通常の詩作を断念し、芸術評論という形を借りてシュールレアリストとして「表現」し続けたのではないか。
そのシュールレアリスム詩における不可能性とは何かといえば、詩は言葉で表現するだけのものだが、例えば絵画は具体的な目に見える現象(具象)で表現することの違いではないかと思う。例えば、言葉で「ぐにゃりと曲がった」+「時計」と書くのと、絵画でダリのように「ぐにゃりと曲がった」+「時計」を描くのとは、そのイメージの力は大きく違う。つまり、言葉はどこまでいっても言葉(概念と聴覚映像)でしかないが、絵画では多様な目に見える具体的な形で、イメージを形成できる(また、目に見える対象は万人に共通だが、もしそうでなければ、例えば信号機は存在できない。ところが、言葉を構成する概念と聴覚映像は、必ずしも万人にとって完全に共通(共有)ではない。個人ごとの言葉に関する知識や経験から微妙に差異が生じている)。
そこに絵画でシュールレアリスムが成功した理由があり、詩で成功できなかった理由があると思う。例えば、アンドレ・ブルトンが「こうもり傘とミシンとの手術台での幸福な出会い」と表現したところで、これを実際に(ある画家が)絵画に表現したようなイメージと同様には、万人の脳裏に共通した形象が言葉からは出てこない。なぜなら、絵画ではイメージが固定されるが、言葉では聴覚映像が個人ごとに異なってくるからだ。たとえばAさんがイメージするミシンとBさんがイメージするミシンは、(例えば足踏み式と自動式のように)通常全く同じものにはならないから、詩人が想定したイメージと同じものを読者がそのままイメージとして得ることはない。読者は、自身が持っている言語のイメージの倉庫から、詩人が書いた言葉からのイメージに近いものを探し出して、これを鑑賞する。そのイメージは、詩人を含めて千人十色だろう。
だから、詩人がいくら頑張って、シュールレアリスム詩としてのシュールな言葉と言葉とのシュールな連結を試みても、それは詩人の脳髄の中でのみシュールなのであって、読者にはそのシュールさも美的感覚も、詩人と同じような情動で伝わることはまずない。一方、それが絵画であれば、作者が描いたイメージと同じものを鑑賞者が確実に見られるから、そこにイメージの共有ができるし、作者が感じた「何がシュールか」を共有できる余地がある。
そして、晩年の瀧口が芸術作品を前にしてその解説のように「詩作」をした(できた)のは、実際の芸術作品という具体的なイメージを読者と共有できるからこそ、実現できた作品(詩作)だったのではないか、と私は考える。そして、これがシュールレアリストである瀧口修造が残した日本のシュールレアリスム詩の到達点であったのではないか、と私は考えている。
一方、瀧口のようにシュールレアリスム詩を目指したわけではないが、言葉と言う極めて扱いの難しい道具と格闘しながら、実現不可能と思われた日本のシュールレアリスム詩の世界に到達しているのではないかと、私が思う詩人がいる。それは、吉田一穂だ。彼自身は、極端に言葉を切り詰めた「極北の詩」と表現しているが、言葉を切り詰める行為は、サミュエル・ベケットの文学作品・戯曲作品にも通底していて、それは(私の勝手な命名だが)世界の文学進化論から見れば、日本におけるシュールレアリスム詩の完成品だといっても過言ではないかと、私は強く思っている。
その吉田一穂の作品中で、私が一番好きなのは最も有名な「母」だが、大作「白鳥」の中には、シュールレアリスム詩とはこういうものでないかと思う箇所があるので、以下に抜粋したい。
「白鳥」吉田一穂から
白い円の仮説。
硝子の子午線。
四次元落体。
これは瀧口が「絶対への接吻」で表現したものの、完成形ではないだろうか。
「絶対への接吻」瀧口修造から
人称の秘密。 時の感覚。
・・・・・・
空の交接。 瞳の中の蟹の声、戸棚のなかの虹。
しかし、瀧口修造が断念したものを、吉田一穂が乗り越えたと仮定しても、その後吉田一穂に続く「日本のシュールレアリスム詩」は出てこない。いや、出てこられないというのがより正しい表現かも知れない。それは、シュールレアリスムの始原であるフランスで、とうの昔にシュールレアリスムが過去の芸術運動になってしまったように、やはり創作する理論とするには限界があるものだった、なのかも知れない(シュールレアリスムについては、今後も継続して思考していきたい。そして、何か浮かんだら、その記録という意味も込めて、また文章を書く予定)。
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