<閑話休題>ロマン・ロラン『インドの神秘と行動 ラーマクリシュナの生涯 ヴィヴェカーナンダの生涯』について
標題からすると<書評>のように思うかも知れないが、書評ではない。そもそも、この本はもう手元にない。そして昔、たぶん1980年頃購入した後、最初の数ページを読んだだけで、ついていけずに止めてしまい、その数年後チリ紙交換(注:車で巡回する廃品回収業者。特に紙類を金銭ではなくチリ紙と交換してくれた)に出してしまったと記憶している。それでは、既にない本についてなぜ標題にしているのかと言えば、その時に付属でついていた月報だけが、今も手元に残っているからだ。当時の私の習慣として、月報がある場合は、これを外して他の小冊子とまとめていたのだった。
それで、月報を基にこの本の情報を紹介すれば、みすず書房の「ロマン・ロラン全集」の第15回配本として発行され、月報の日付は1980年2月1日となっている。たぶん私は、配本後すぐに書店で購入したから、月報が付いていたのだと思う。その月報には、中村元「カリフォルニアにおける『ラーマクリシュナ』と『ヴィヴェカーナンダ』」、森本達雄「インドの時の流れ」(1965年当時のインド農村風家の白黒写真4枚添付)、「編集部だより」がある。また「編集部だより」には、ラーマクリシュナとヴィヴェカーナンダについての簡単な説明があるので、該当部分を引用したい。なお、(注)は私が付けた。
19世紀インドのラーマクリシュナは、東洋のフランシス(注:アッシジの聖フランチェスコ)と呼ばれております。この宗教的な魂の静寂の磁石に、多くの人びとがひきよせられましたが、なかでも、最大の弟子となったのがヴィヴェカーナンダでした。彼は理論家で体系家でした。それはソクラテスとプラトン、またはイエスとパウロにも比せられるでありましょう。この精神のルネサンスから、マハトマ・ガンジーが生まれたのであります。(中略)1930年2月22日の朝日新聞には、「(前半省略)実践的理想主義者ロランはこのインドの聖者たちのうちに、社会的不正義を治療し自由を守るための一つの『強力素』を発見したのだ。」(以下略)
なお、ロマン・ロランの名も、今では知る人が少ないかも知れないため、参考までにウィキペディアから引用しておく。
まあ、簡単に言えば第二次世界大戦中までに活躍した小説家で知識人であり、インドのヒンズー教世界に関心を持ち、ラーマクリシュナやヴィヴェカーナンダなどにも面会している、いわゆる「東洋かぶれ」傾向のフランス人と言える。また、中村元の月報の題名になっているように、当時のアメリカ、とりわけニューヨークのヒッピー文化を擁護する中産階級の人たちが、インドのヒンズー思想に高い関心を持ち、ヨガや瞑想というツールを通して一大ブームを巻き起こしていた。そして、インドへ旅行し、そこの宗教団体に加入して活動すれば、ヒンズー思想の奥義を獲得でき、さらにヨガを通じて空中浮遊などの超能力を獲得できると喧伝された。(もちろん、深淵なヒンズー思想を理解するためには、専門の学者が何十年もかけてようやくその一部が判明する程の困難なものであり、素人が理解することはまず不可能だ。しかし、こうした安易な流行の延長上に、日本のオウム真理教事件が発生している。)
この私が途中で止めてしまい、チリ紙交換に出した本は、戦後の一時期に日本で大変に尊敬され、また崇められたロマン・ロランという偉大な小説家の、大変に立派な御本であるのだが、私は、その冒頭部分から漂う、狂信的あるいは新興宗教に勧誘するような筆致に、我慢できない生理的な拒否反応を示し、さらにこの本を我が家に置いておくと、それだけでこの狂信的な世界に洗脳されそうな気がして、数か月後にチリ紙交換に出すことにした。一応高価な本だったから、少しはもったいないという気持ちもあったが、それよりも、「この本は読んではだめだ、また読めない」という拒否反応がとても強かったのだ。
そうした感覚は、チリ紙交換に出した数年後に仕事の関係で、バングラデシュ(ダッカ)とインド(マドラス、現在のチェンナイ)に通算7年滞在したときも同じだった。特にマドラスには、「超能力者」サイババの関係者(弟子?)や「アガスティーヤの葉」という人気の占い師などがいて、彼ら目当ての日本人観光客や怪しげな若者が沢山来ていた。私は、そうした人たちが、海千山千の狡猾なインド人に騙される事例を沢山見てきたので、自ずと拒否反応が強くなっていた。
しかし、「それではなぜ、そんな本をわざわざ買ったのだ?」という疑問が当然出てくるだろう。それは購入した当時を振り返るとわかる気がする。私が学生の頃は、吉祥寺に(今でもあるかも知れないが)本格的なインドレストランがオープンしていて、そこでシタール(インドの弦楽器)を聞きながら、カレーを食べ、チャイ(香辛料入りミルクティー)を飲むのが、学生の間でお洒落だった時期があった。また、チベットを旅してきた不思議な人が、そうしたレストランにたむろしていて、彼の話を聞くのも面白かった。その少し前に、ビートルズがインドの「マハシリ教団」に傾倒し、ジョージ・ハリスンが「バングラデシュ」という曲を歌った時代背景も影響していた。そういう中で、インド文化を本格的に勉強するのは大変だから、とりあえずロマン・ロランの本でも読んでみるかと、私は軽い気持ちで買ったのである。
でも、私はそうした吉祥寺のインドレストランで、インド・ネパール・チベット放浪記を語る長髪・ジーパンの怪しげな人たちに親近感を持つことはなく、また学ぶこともなかった。ただ、「なんか面白そうだな」と一緒に安酒を飲むのは楽しかったが、それだけで終わった。そうして、私が得た結論は、こうした世界に、またこうしたタイプの人たちにはついていけない、自分は違う世界の住人だということだった。それは、ある人が私を「ロマンチストではなくて、リアリストですよ」と言われたことに良く象徴されている。この指摘は私の真実を言い当てていた。私は、軽率な行動も多いが、基本は何事にも慎重で臆病だ。そして、危険だが魅力のある道よりも、魅力に欠けるがより安全な道を常に選んできた人生だった。
そうしたことを、この月報を「再発見」することで思い出した。あれから50年近く経っているが、インド関係やヨガはさらに広く市民権を得て、日々話題になっている。でも、私のインド思想等に対する感覚は変わっていない。現在まで、私なりに様々な思想書を渡り歩いてきたが、昔の私の直観は正解だったと思っている。
<私が、アマゾンのキンドル及び紙バージョンで販売している、昨晩Eテレの「100分で名著」で特集された、筒井康隆に(おこがましくも)ちょっと似ている短編集です。>