<旅行記>出雲~安来~玉造~隠岐の島~姫路~三宮。日本を再発見する旅路(その3)
(いつの間にか、旅の目的が自分自身の過去に対する浄化と再生になってきたようです。そして、3回に分けたこの連載も、これが最後になり、日常に戻ります。)
5.隠岐の島~米子~姫路
翌朝は、ホテルの用意した地元のシジミ汁を含む朝食を食べて、西郷港に向かった。当初予定していたフェリーではなく、高速フェリーがあることを知り、予約を変えて早めに七類港に戻ることにしたのだ。幸い予約変更は追加料金が発生した以外は問題なくできた。そして、行きとは異なる小さいが高速のフェリーに乗った。
たしかにフェリーは小さいが、速かった。私が船酔いを心配している間もなく七類港に着いた。そして、フェリーの到着を待ちかねていたように、港の駐車場には数台の路線バスがあった。私たちは、そのうちの米子駅行きのバスに乗り込み、この水木しげるを生んだのどかな街を後にすることにした。七類港から境港に向かう大きな橋の上から、境港の街並みが良く見えた。地上にいてもそうだが、上から見るとなおさら人の気配が感じられない、まるでジオラマのようだと思った。
バスは、途中米子空港で多くの乗客を降ろした後、順調に米子駅に着いた。さっそく、妻が帰りの特急のチケットを書き換えるべく、駅事務室の若い女性に相談した。すると、今は自動券売機ですべての操作ができるようになっているので、わざわざその若い女性駅員は、事務室の外に出て券売機の操作を手伝ってくれた。「日本人って、なんて優しいのだろう」と妻が感激していた。
米子駅から特急やくもに乗って岡山に向かった。あらかじめ米子駅近くの土産物店で購入しておいた弁当をすぐに食べた。私は最後まで海鮮尽くしだった。弁当を食べたら眠くなったので、しばらく寝ていた時、ふと行きに見た大山のことを思い出した。あわてて、窓が大きく撮影しやすい乗車口に移動したが、ちょうどその時一番の撮影ポイントを逃してしまい、後は大山の姿がどんどんと小さくなっていき、あっという間に見えなくなってしまった。
岡山に着いた後、新幹線のチケットの書き換えをした。姫路までは近い距離だったので、あっという間に着いた。姫路駅に着くと、これまでの田舎の風景は一変して、日本の典型的な地方都市の姿になった。もちろん、人も多い。外国人の姿さえ見かけた。
駅近くにあるホテルでチェックインした後、部屋から姫路城が一望できることに感激した。良い場所にあるホテルだと思った。前日大浴場に入れなかったので、妻が見つけた日帰り可能な温泉に向かった。ポチポチとお客が来ていたが、混雑はしていないその温泉施設で長旅の疲れをしばし癒した。風呂を出た後は、マンガが沢山おいてある休憩室でのんびりした。ただ旅をしているだけだったが、けっこう疲れていることを自覚した。
その帰り道、駅周辺の適当な居酒屋を見つけて入ってみた。もちろん、地酒を愉しむためだが、妻はもう地酒気分ではないらしく、他の著名な銘酒を頼んでいた。つまみには、姫路名物というおでんを頼んだ。正直な感想としては、特に珍しいとか美味しいとかいう気はしなかった。
ここでけっこうつまみを食べたのだが、私はうどんを締めに食べたいと思って、近くのよさそうな店に向かったが、混雑している時間帯にぶつかってしまい、入れなかった。仕方なく、商店街で売っている太い焼きそばを買い、久しぶりに見るコンビニで酒やサンドイッチなどを買って部屋に入った。
部屋に入って窓から姫路城の方角を見た。期待していなかったのだが、姫路城が見事にライトアップされて、とても美しかった。これこそ、日本のおもてなしかも知れない。なお、ここのホテルも大浴場はなかったが、部屋が広くバスルームも広く作られており、大柄な欧米人でも違和感なく使える作りになっている。また、バスタブも大きく作られているので、温泉気分までは無理としても、日本的なたっぷりのお湯に浸かる喜びは十分に味わえた。
6.姫路城~三宮、そして帰京
翌日は、このホテルも朝食のブッフェが有名ということで、豪華な朝食を食べた。ただし、境港のような刺身や海鮮丼まではさすがに無理筋で、その代わり洋食やフルーツメニューが豊富で、より外国人に対応したメニューになっていると思った。
朝食の後、チェックアウトして、キャリーバックを預かってもらってから、さっそく姫路城に向かった。朝早いこともあり、人出はまだ少なく、入口に着いたときはチケットを購入する人達が少し並んでいた。そこで数分待った後、チケットの販売が始まり、友人から聞いていた近くの好古館という日本庭園のチケットも割安になっているものを購入した。
お堀端から見る姫路城も優雅だったが、近づくとよりその優雅さが実感される。さらに、良い保存状態から天守閣に至るまでの道のりが、狭く長くまた急で狭い階段が多いため、途中なんども休憩しながら、天守まで登り切った。天守に至るまでの各所から見える城下の景色は、なかなか見応えがあったし、天守に刑部神社というのがあることを初めて知った。姫路城城主は、時代によって代わっているが、私と同じ木下姓で同じ揚羽蝶の家紋だった殿様がいたこともあり、丁重にお参りした。もしかすると、遠い祖先で何かのつながりがあるのかも知れない。
本丸を降りたところで、案内のお爺さんが「こちらの西の丸に行かれると、すぐに姫路城がとてもきれいに見えるところがありますよ」と教えてくれた。もちろん、時間はあるので西の丸に行った。西の丸を見る人は少ないようで、本丸よりゆっくりと鑑賞できたのだが、確かにお城に登る前にある庭からは、本丸が非常に美しく見え、絶好の撮影ポイントになっていた。
西の丸は、さすがに本丸より小さいものの、当時の人の生活ぶりが実感されるような雰囲気があった。また、ちょうど千姫の衣装を再現した展示をしており、この戦国の混乱を生きぬいた家康の孫娘の生涯が、手に取るように理解できる展示だった。
姫路城を出た頃、ちょうど入れ替わりに団体客が多数押し寄せてきた。早い時間帯に観に行って正解だった。狭い階段を大勢の人が数珠つなぎになったら、結構危険だと思うし、休憩する場所も限られてしまうことだろう。
その団体客とは逆の方向に向かって、隣の好古館へ入った。隣といっても300mは離れていたので、天守閣まで登って降りた身としてはちょっと辛かった。それでも、さすが友人が教えてくれただけあって、見事な日本庭園が随所に作られていた。途中にある藤棚の下(トップ画像で掲載)で、冷たいビールを飲んだらさぞ旨いことだと、思わず想像してしまったが、ビールはこの日の晩まで取っておかねばならない。三宮でたらふく飲む予定だからだ。
好古館はゆっくりと見ている余裕はなかったので、適当に切り上げ、ホテルでキャリーバックをピックアップし、姫路駅に向かった。ここからは快速電車で三宮に向かう。島根のローカル線とは異なり、多くの人が思い思いに乗っている、東京で見慣れた電車風景に旅路が終わりに近づいていることを感じる。
三宮で降りた後、キャリーバックをコインロッカーに預けて、友人が予約してくれたイタリアンレストランに向かった。しかし、この店が非常にわかり辛く、見つかるまでに右往左往してしまったのは、笑い話だ。店では、もう10年以上、いや私を含めて3人の友人同士が一堂に会するのは20年ぶりになるという話から始まり、四方山話に花が咲いた。もちろんランチタイムだけでは終わらないため、友人の案内でディープな三宮の居酒屋へ行った。
新神戸発の新幹線は18時頃だったが、居酒屋で酒を飲んでいると時間が経つのを忘れてしまう。妻が気づいて会計を済ませ、反対側になってしまったコインロッカーからキャリーバックを取り出し、私がトレイに行きたくなったので用を済ませて、慌てて地下鉄に乗り込んだ。幸い地下鉄はすぐにきて、新神戸は次の駅だった。そして、地下鉄の駅から新幹線ホームまでは迷いなく行けるように設計されていた。
焦って走る妻の後を追って、私がエスカレーターを登り切った頃、ちょうど東京行きの新幹線がホームに入ってきた。妻の後に従って近くのドアから乗り込み、新幹線が動き出す中キャリーバックを引きながら指定席に座った。妻も私も、そのまま東京に着くまで爆睡していたのは、ご想像のとおりだ。
こうして、私が長い海外生活から戻り、40年のサラリーマン生活を終えた後の、日本を再発見し、自分の心身(特に心)を癒す旅は終わった。東京に戻った翌日は、母の家に見舞いに行かねばならないので、家に着いた後はすぐに寝た。まだ身体は旅をしているような気分だったが、心はすでに日常に戻ろうとしている。