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<閑話休題・映画>『2001年宇宙の旅』の最後の食事をする場面から

  衛星放送で『2001年の宇宙の旅』を放映するのを知って、ちょっとわくわくしている。もちろん、このスタンリー・キューブリックの映画史上最高の傑作を、もう無くなってしまった東銀座にあったテアトル東京で観た後、苦労した末にビデオテープ(昔のべーターマックス方式)を買った時は、まるで最高級の芸術作品を手に入れた気分になって、ひどく感激した。

2001:a space odeyssey

  その後は、ビデオからDVDに進化したので、マイアミの専門店でキューブリック全集の一部として購入した(ちょうど1999年3月にキューブリックが亡くなった後だった)。また、アメリカのDVDは方式が違うので、日本で改めて別のDVDも購入している。そして、機会があれば何度も観ているが、自分の意図しないところで放映されるということに、何か特別感があって興奮してしまう。

キューブリックDVD全集から

 そうした特別感と同時に、『2001年宇宙の旅』という文字を見た瞬間、頭の中では、もう「美しき青きドナウ」の冒頭の美しい旋律が流れてしまうのだ。

 ちなみに、頭の中に真っ先に浮かぶのは、映画の冒頭で流れる「ツァラトゥストラはかく語りき」でないのが、自分でも不思議だ。

 私が思うに、一般的には『2001年宇宙の旅』と言えば、「ツァラトゥストラはかく語りき」の方がポピュラーなのだろうし、映画のポイントとなるモノリスが出てくる場面では、この冒頭のフレーズが繰り返し使われているから、多くの人の記憶に残っているのが当然だろう。

 しかし、やはり『2001年宇宙の旅』で最高に楽しい場面はどこかと言えば、猿人が骨を投げ上げて、それが落下する瞬間に時間と空間がタイムスリップして、地球を周遊する「骨のような形をした」宇宙船にモンタージュ(繋ぐ)して、そこからフロイド博士が月基地に着陸するまでのシーンだが、この映像を背景にして「美しき青きドナウ」が悠然と流れるのが、なんとも言えないくらいに合っている。もしかすると、シュトラウスは宇宙空間を飛行する宇宙船をイメージして作曲したのではないかと思うくらい、この優雅なワルツの三拍子と宇宙船のゆっくりとした動きがマッチしている。(それまでのSF映画の典型であった、電子音楽と猛スピードの宇宙船というイメージと正反対の映像を創り上げた、キューブリックの天才ぶりに驚嘆する。)

19歳の頃の絵

 だから、私にとって『2001年宇宙の旅』はそのまま「美しき青きドナウ」となるのだ。

 また、『2001年宇宙の旅』には、語りつくせないほどの名場面が多く散りばめられているが、私が二番目に好きなシークエンスは、デイヴィット・ボーマンが宇宙の彼方に飛翔した後で生活する、ロココ風の部屋で食事をするところだ。(おそらくドイツ系)アメリカ人であるボーマンは、ハンバーガーのような軽食ではなく、フレンチのようなきちんとした食事をしているが、「もし彼が日本人だったら、何を食べるだろうか?」と考えたら、とたんに想像が膨らんで止まらなくなった。

 ボーマンが、実は日本人の坊万旅人(ボウマン・ダビド)と仮定してみると、彼が宇宙の果てで生活する部屋は、ロココ風では居心地が悪いので、畳敷きで掘り炬燵がある部屋が良い。そしてそこからは、四季で色彩が移り変わる庭が見え、さらに檜造りの湯船がある温泉がなければならない(日本人って、なんて贅沢なんだろう!)。

 食事は、朝は御飯、おかゆ、パンをローテーションし、昼はラーメン、蕎麦、うどん、パスタ、焼きそば、ハンバーガー、タコ焼き、お好み焼き、カツ丼、天丼、親子丼、カレーライスをローテーションする。夜はすき焼き、おでん、寄せ鍋、焼き肉、しゃぶしゃぶ、ステーキ、天ぷら、寿司をローテーションする。さらに、10時と15時には、お茶、コーヒー、紅茶のどれかと和菓子または洋菓子が出てくる(やっぱり、日本人はとっても贅沢だ!)。

 しかし、こんな贅沢な部屋と食事の場面を設定して延々と撮影したら、映画の主題からどんどんとかけ離れてしまうから、やはり主人公はシンプルにヨーロッパ人がいいのだろう(もちろん、インド人でも、中国人でも設定がシンプルにできるのであれば、変換可能と思う)。

 でもやっぱり、私は、あの食事をしているシーンで、ボーマンが天ぷら蕎麦をずるずるとすすっているのを想像したくなってしまう。そして次に、蕎麦をすすっているときにふと遠くに視線を向けると、そこには数十年後の老いさらばえた自分の姿が見えるという映画的に重要な場面を想像すると、思わず吹き出してしまう気がして、「そうか、お笑いのコントにしかならないのか」とも思ってしまう。やっぱり、蕎麦ではなく、皿からナイフとフォークで食べる食事が合っているのだろう(ちなみに映画では、ワイングラスに手を伸ばして床に落としてしまい、それを拾おうとして床にしゃがんだ後、ふと視線を上げたときに未来の自分が見える)。

 今は2023年。映画の2001年はとっくに過ぎてしまった。そして、映画が予想し、また期待した2001年の風景は、映画のとおりにはならなかった。何よりも、人類の月探検は突然に中断してしまった。ある筋(どの筋だ??)の話では、月の裏側に基地がある地球外生命体から、「これ以上月には近寄るな!」と警告されたらしい。だから、映画のモノリスは本当に月のどこか(ティコ・クレーター?)にありそうだが、それを人類が発見する時が早く来ないかと待ち遠しい(地球外生命体さん、人類の月探検を再開させてください!)。

 そして、一度でいいから、宇宙ステーションに行く定期便に乗って、宇宙トイレを注意深く使い、また座席で居眠りしているうちに、胸のポケットから無重力で浮かんでしまったペンを、キャビンアテンダントに捕まえてもらう経験をしてみたいものだ(人類の最高の夢は、なんといっても宇宙旅行なのだ)。





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