写真エッセイ〜2024年1月〜
散歩はしているけれど、写真を撮る気にならないことが増えた。ただ散歩しているだけで楽しい。散歩好きだから当然なのですが。
写真が撮れないわけじゃなくて、惹かれる風景に出会っても「きれいやなー」と思うけれど、手がシャッターを押そうとしない(おい!どうしたボクの人差し指! 押すだけで写真は撮れちゃうんだから押しちゃいなよ!と言っても全然反応してくれない。もしかして反抗期か?)。
同じような状態になったことは過去にも何度かある。原因は似たような写真をたくさん撮っていて、そろそろそこから脱却したいと感じていることが多く、ちょうど今もそんなことばかりを考えている。ありのままの風景を撮りたいというベースは変わらないけど、風景との距離感とか、向き合い方が今までと同じだと妙な違和感があって気持ち悪くて、その正体が何なのかはまだ把握できていないから撮ろうと思えない。心の底から撮りたいと思える風景に出会ってないというシンプルな理由の可能性もある。焦らず気長に待つしかない。文章を書いてて楽しいのは、心地良い場所へ自ら導くことができるからかもしれない。目の前にときめく風景を出現させる能力が欲しい。でも、自分では想像できない世界に惹かれることが多いから、想像の範疇を超えない風景に出会ったとしても、ボクの気持ちは揺さぶられないのだろう。スナップの醍醐味である偶然の出逢い。もっと歩かなきゃ。
街を散歩してみるけれど、どうにも撮りたい気分にならない。そんなボクがたどり着いた場所は、空や海が眺められる展望台だった。週末になると天気が悪くなるのは良くあることで、平日の夕方に会社の窓から差し込むオレンジ色の夕陽は、いつも見ないようにしていた。それでもやっぱり気になるから会議室のブラインドの隙間を指で広げて、「めっちゃ綺麗やん、写真撮りたい」と何度か思うことがあった。天気に文句なんて言っても仕方ないけれど、そういえばおじいちゃんの七回忌でお寺さんも天気について同じことを話していた。文句を言うんじゃなくて、今目の前にあることに感謝する気持ちを忘れちゃいけない。その通りだ。
何メートルも先にある風景をファインダーで切り取ると距離感がよく分からなくなる。いつも散歩しながら撮っている写真は近いと数10センチくらい、離れていても20mくらい先にある風景を切り取ることがほとんどだ。この写真の鉄塔は10km以上離れたところにあるし、鉄塔が大きいから、望遠レンズで切り取ると「案外近いんじゃない?」と感覚がバグる。慣れれば感じ方も変化するだろうから、今年は望遠レンズを使用する頻度も増やそうと考えている。陽炎という望遠レンズ特有の問題にも直面している。
去年もそうだった。1月は新しいことを何かせずにはいられない。そして、2月になると、この前まで考えていたことは何だったの?と驚いてしまうくらい、これまでの考え方に戻ってしまったのが昨年だった。2024年は辰年。新しいことで突き抜けるには、これほど相応しい年はない。12年なんて待ってられないから、キッカケを掴みたい。いや、掴めたらいいなと思う。気負い過ぎると楽しめなくなるから、気楽にいこう。来年は巳年だ。ニョロニョロと新規開拓を継続しても良いではないか。なんだか、先延ばしする気満々に思えるけど、そう考えてしまうってことはまだボクが望遠レンズの魅力に気づけてないのだろう。
夢中になるくらい望遠レンズと仲良くなれますように。