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「重くてゆっくりな言葉」。それは自分と深くつながる言葉だったりする。

言葉には質量はない。でも、聞き手も話しても、その場の空気にさえ影響を与えるほどの重さを感じる言葉が存在すると、日々色んな人と対話をする中で感じている。

書き出しからなんとなく感覚で書いていく予感がするので、質量と重量が混在してるなど、そういったことは一旦横に置いといて、「なんか言葉特有のずっしりくるあの感じ」を想像しながら一緒に味わっていただけたら嬉しいなーと思います。

重く感じる正体は言葉の裏側にある感情、そこにつながる歴史、そこから生まれた価値観のせい。

まずは重さの話から。なぜ、質量がないはずの言葉にあんなにも重さを感じるのか?

その正体は大きく3つあると思っています。

まず1つ目は感情です。これはわかりやすい部分かもしれません。今回は「ありがとう。」と言う言葉を例に挙げて話を進めていきます。

例えば日常の中で「ねぇそこのお醤油とって。」「ありがとう。」このやりとりにそこまで重さを感じないと思います。(読み手の方にとって感情が動いてしまう原体験やエピソードがある場合は別です。)

一方で、例えば、母の日のワンシーン。いつもまったく言うことも聞かず、やんちゃな子供が、この日はもじもじしながらお花をプレゼントしてくれた瞬間。「ママいつもありがとっ」「嬉しい、ありがとう。」

なんかズーンってきません?重さがある気がする。日常の中の何気ない言葉にも、感情が乗ることで重さが生まれる。

ちなみに重さが生まれるには感情の種類は問わないと思います。悲しい、辛い、苦しいとかは重さが生まれやすい気がしますが、喜びの中に生まれる重さも全然あるし、個人的にはめちゃくちゃ好きな重さだったりします。

2つ目は歴史です。ストーリーと言い換えてもいいかもです。言葉に感情が乗っかるには、その感情が生まれた背景が必ずあります。
例えば、結婚式で子から親への手紙の最後に書かれた、「ありがとう。」なんかはイメージしやすと思います。小さい時はこんなことがあって、学生時代反抗期で辛く当たってしまったり、その後上京して疎遠になってしまって、でもしんどくて帰ってきた時もいつもと変わらないままでいてくれて・・・なんて、親と子にしかわからない、そこに確実に積み上げられたストーリーから出てくる言葉はずっしり重い。

3つ目は価値観です。感情が生まれるのは、ストーリーから醸成された価値観が大きく影響していると感じます。さっきの親と子のストーリーを引き合いに出すと、この二人の関係性の中で、どんな価値観が醸成されたかでいうと、「親の存在=安全基地」ということ。成長過程で自分にどんな変化があろうと、進学や就職のような環境変化があろうと、いつでも戻ってきた時には変わらないままでいてくれる。そんないつでもわたしの安全基地でいてくれた。その価値観から生まれた感情、さらにそこから出てくる「ありがとう。」という言葉。くぅー!たまらなくないですか?腹の奥にズーンっとくる感じ。

こんな感じで、重さが乗っかってる言葉に出くわした際には、どんな感情があるのか?その背景にはどんなストーリーがあるのか?そこから生まれた価値観は何なのか?に目を向けてみることがとっても大事なことだなっと思ってます。ちょこんと出てきた言葉の下には、その人自身につながる氷山がどこまでも続いています。

後半では「ゆっくり」の部分を話せたらと思っていましたが、ここまで話たら、ゆっくりな理由は何となく勘付かれている方も多いかなと思うので、さらっといっちゃいます。

ゆっくりなのは、その人にとってめちゃくちゃ大事なことであるということ。それもとっても個人的なパーソナルな(同じこと違う言い方で2回言った)ことだってこと。怖いですよね、単純に。自分の感情、歴史、価値観にまで繋がってることを言葉にするって。無意識的にでも、反射で出すことを躊躇する。傷つく可能性があるかもだし、何だったら自分で見たくなくて、目を背けたくて蓋をしてしまってることもある。

僕はたくさんの人の重くてゆっくりな言葉を聞かせてもらっています。いつも心がけているのは、ちょこんと出た言葉だけではなく、その下にある氷山まるごと、その人全部を受け止めるスタンスでいるということ。ジャッジも、評価も、個人的には理解もいらないと思っています。たとえわからなくとも、そこに共に在り続けることが重要なんだと対話の場でひしひしと感じています。

やー対話のこと、その人からしか見えない世界を探求したすぎて、話たいことが止まらないので、続きは明日書きます。

【次回予告】
超個人的な聞き手の在り方(マインド)。

最後まで読んでいただいてありがとう!!(めちゃくちゃ重いやつ)
また明日〜

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