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「トラブルこそ旅」と笑える自分に乾杯しよう【イタリアひとり旅日記】

この記事では、南イタリアの3つの街を歩き回り、一日に2回ティラミスを食したのち、突然の欠航で帰国できなくなってしまった2日間の日記をまとめる。

▼洞窟ホテルにときめいていた前日の日記

【DAY9】おとぎ話の街「アルベロベッロ」へ

晴天のマテーラ、洞窟ホテルで目を覚ます。朝ごはんから一日をスタート。

ひとり旅には少々ムーディーすぎる空間。朝一番の時間帯、このときめき空間をひとりじめさせてもらった。

たくさんの食材と目が合う。一番興奮したのはチーズが10種類ほど並んだコーナー。もちろん全種類味見します。優勝はつくりたてのリコッタチーズ。

フレッシュなチーズとプチトマトにオリーブオイルを合わせただけでもう最高。胃袋が足りなくて心底悔しい。

ときめきがあふれ出ていたのか、食後、スタッフの方が「よかったらワインセラーも見ていきますか?」と声をかけてくれた。

尋常ではない数のワインに囲まれる下戸。「何本くらいあるんですか?」と尋ねたら、「300種類くらいでしょうか、pochi(少ない)ですよ」と。「いや300はだいぶ多いやろ、知らんけど」と心の中で突っ込まざるをえない。

名残惜しい気持ちでチェックアウトし、鉄道でバーリへ。バーリは、イタリアを長靴にたとえると、かかとの部分。北イタリアとはまるで雰囲気が違い、南欧と北アフリカがミックスされた感じと言えばいいかな。

バーリのホテルにチェックインして、アルベロベッロ行きのバスに乗る。

バーリからバスで1時間ほどの距離にあるアルベロベッロは、トゥルッリと呼ばれるとんがり屋根が有名な、おとぎ話のような街。一度は見ておきたいと思っていたのだけど、本当にひと目見て満足してしまったのですぐにバーリへ戻ることに。

バスの時間まで少し余裕があったので、カフェでティラミス休憩。「クレジットカードって使えますか?」とイタリア語で言うと、お店の人が目を見開いて「どこから来たの?どうしてイタリア語ができるの?」と質問攻めにしてきた。

日本の大学で勉強しました。日本のどこ?大阪です。いまは東京に住んでいます。……と、4年も勉強したのにこの程度しか話せないのだけどね。

拙いイタリア語でも「天才、最高」ともてはやしてくれるイタリアの人たちが好きだ。

バーリに戻り、旧市街を散策。

もちろんここにも住んでいる人たちがいる。色とりどりの洗濯物が干され、かすかにテレビの音や口喧嘩が聞こえてくる。犬の散歩をしている人もいる。犬はどこにでも住んでいる。

海沿いを散歩していると、夕焼けが大きく見えて「えっ」と声が出た。日の入りって旅先でしか見ないから、特別感がある。

気づかないうちに、ショールが地面にすれていたらしい。通りすがりのマダムが「シニョーラ(大人の女性に対する呼びかけ)、ショールが……」と教えてくれた。学生のときは「シニョリータ(お嬢さん、みたいなニュアンス)」と呼びかけられていたな、おとなになったのだなと少々しんみりした。

今日のごはんはどうしようかな、と思いながらホテルに向かっていると、行列のレストランを発見。海外で長い行列って珍しい気がする。よっぽどおいしいのだろう。これは興味深い。

調べてみると、ぜひ食べてみたいと思っていた、バーリ名物の“Orecchiette ai frutti di mare”(魚介のショートパスタ)がある。ちゃっかり最後尾につき、45分ほど並んで入店した。

このお店の名物らしいティラミスも食べ(本日2ティラミス目)、さらに別のお店でジェラートまで食べて、明日どうしようかなと思いながら寝た。

ひとり旅のときはいつも、明日どうしようかなと思いながら眠りについてる気がする。私は私の人生を自分で決めてやる。いろいろあるけど、とりあえず、いまのところはね。

【DAY10】映画のようなカフェ、そして欠航

早起き。何気なく外を見ると、海と朝焼け。

今日は夕方にミュンヘン行きの便に乗る。ミュンヘンで1泊したら、いよいよ帰国だ。

夕方までバーリでのんびり過ごそうかとも思ったけど、結局、列車で1.5時間ほど南下し、レッチェという街へ散歩に出かけることにする。

駅の中で迷いながらもずんずん進んでいると、イタリア語でホームの場所を聞かれた。なんで私に聞くんや、ひとり旅っぽいアジア人は、道を尋ねる相手としてはラストチョイスやろ。

無害そうな顔をしているからだろう、旅行バッグを持っていようがヘッドホンをしていようが走っていようが、とにかくよく道を聞かれる。

列車に乗り込んだ後、切符の刻印をしていないことにはっと気づく。隣のお兄さんに「刻印が必要ですか?」と尋ねると、必要だと言い、近くの席のおじいさんとともに「刻印機はホームにあるよ」と教えてくれた。慌ててホームに戻り、そこでもいろいろな人に聞きまわる。「刻印する」はイタリア語でtimbrare。覚えた。

レッチェは、バーリとは違う荘厳な雰囲気があり、これまた好み!バーリがご機嫌な感じだとしたら、レッチェは少し影がある。

……と思ったら、過去にユダヤ人が迫害された歴史があるそう。何も調べずに来てしまった。

だけど、なるほどと腑に落ちた。ほかの国でも何度か、「あれ?空気が変わったぞ」と思ってまわりを見渡すとユダヤ人街に足を踏み入れていたことがある。

それにしても、大聖堂の目の前にあるユダヤ博物館のカフェはとても素敵な空間だった。“caffèleccese(レッチェ風コーヒー)”を飲みながら大聖堂を眺めた時間が忘れられない。

満足して、バーリ行きの列車に乗り込む。前の席に座ってきた人に“Buongioro”とあいさつしたら、「ここ、いいですか?」と聞かれ「もちろんどうぞ」と答えられた。ずいぶんイタリア語から離れていた私にしては上出来、と誇らしい。

列車の中から美しい風景を眺めながら、学生時代、金銭的に無理をしてでももっとイタリアを旅していれば、専攻語に対するモチベーションも違っただろうなと思った。おとなになったからこそ見える景色もあるけどね。

あっという間にバーリに到着。

実は、空港に向かう前にぜひやっておきたいことがあった。素敵なバールのカウンターでエスプレッソを飲むことだ。

バールはカフェのようなお店のことで、イタリア人の社交場のような存在だ。学生時代からバール文化に関心があり、卒論のテーマにしようかと思っていた時期もあった。

自分のカフェセンサーに自信があるので、特に下調べはせず、中心部を歩き回る。ふと目についたお店を覗き込んでみると、お客さんは一人もいないけど、当たりの予感!“aperto?(やってますか?)”と尋ねると、「もちろん!」と言われて、無事に入店できた。

見て、この内観。オードリー・ヘップバーンにでもなった気分だ。写真OKと言ってもらえたので、ときめいたところを余さず撮る。

エスプレッソを飲み干して、とうとう空港行きの列車へ。

無事に空港に到着。今日は珍しくなんのトラブルもなかったな……と思いながらフライトインフォメーションを見上げると、“cancellato(cancelled)”の文字が。

あれ?でも「モナコ→ミュンヘン」というルートのようだし、モナコがキャンセルになっただけだよね?ミュンヘンには行けるよね?欠航連絡も来てないしね?と思いながらオンラインチェックイン済みのチケットをスキャンするも、通れない。

カウンターに行き、同じ列に並んでいる方に尋ねてみると、やはり欠航とのこと。そう、例のWindows障害の影響がここにも来ていたのだ。

カウンターで別便の東京行きを調べてもらい、翌朝発、ウイーン経由で成田着の便に乗ることに。ミュンヘンではかわいいホテルを予約していたし、名物の白ソーセージを楽しみにしていたけれど、仕方ないね。

「10ユーロ分のミールクーポンをお渡ししますので、1階のカフェでお待ちいただいて、1時間後にここに戻ってきてください。全員分の振り替えが済みしだい、バスでホテルにお連れしますので」とのこと。

カフェに行くと、店員さんが「ミールクーポン使い切っちゃおう!ドーナツだって買えるよ」と言ってくれて、緻密な計算のもと、きっちり10ユーロ分購入。異国の喧騒に身を置きながらひとり、キャンセルに動揺しないどころか「最後の最後まで旅を盛り上げてくれるやん!」と笑えた自分に乾杯した。

とはいえ、ここでバスに置いていかれたらたまらない。30分くらいでカウンターのそばに戻り、案内をじっと待つ。

ミュンヘン行きだったこともあり、乗客の大半はドイツ人とイタリア人のよう。

待っている人々を観察していると、ドイツ人(に見える人)は礼儀正しく棒立ちで静かに待ち、イタリア人(に見える人)はいちゃいちゃしながら待っている。ステレオタイプかもしれないが、国民性があらわになっているようで、ちょっと笑ってしまった。

結局2時間ほど待って、バスでホテルに案内される。4つ星のまあまあ快適なホテル。

そういえばこの旅ではピザを食べてない。この事実に気づいてしまったからには、食べずに帰れるもんか。というわけで、近くのピッツェリアでブッラータチーズのピザを満喫。欠航がなければ知らなかった味だ。

22時過ぎにレセプションからの内線が鳴り、「明朝は6時にピックアップバスが来ますので、そちらをご利用ください」と言われてひと安心。

……と思いきや夜中に再び内線が鳴り、ピックアップがキャンセルになったのだった。マンマミーア、イタリア。最後に完璧すぎるオチをGrazie!

窓を開け、あまり治安が良くなさそうな通りを見下ろしながら、このさみしさを覚えておこうと思った。

【DAY11】トラブル続きの旅、無事に完

5時前に起きて空港へ。

乗り換えはウイーンにて。TOKYO2024というゼッケンをつけたイタリアの学生さんがたくさんいたので、つい野次馬根性を発揮して「これは何の団体ですか?」と尋ねる。どうやら東京で空手の世界大会が開催されるらしい。

日本人がウイーンで、へたなイタリア語で話しかけてくる――。相手からしたら、情報量が多すぎて何が何やらわからなかったことだろう。

飛行機では隣の席の方と話す。スイス出身で、日本で研究員として働いているらしい。

TOEICの勉強をしてたとき、「moleculeなんて単語、何のために覚えんねん。絶対使いどころないやろ」と思ってたけど、いま理解した。飛行機で隣の人と話すためだったんだね。勉強してよかった。

富士山が見えてきたら教えてくれるなど、本当に良い人だった。

「日本に戻ったら何を食べたい?」という話題になり、お互いラーメンということで完全に意見が一致。今度ぜひ一緒にラーメン食べましょう、と連絡先を交換して別れた。

帰宅後、バックパックの荷物を整理しながら、今回の旅を振り返っていた。

この旅は最初からトラブル続きだったけど、最後の最後に欠航という最大のトラブルが待ち構えているとはさすがに想像してなかった。でもいい経験になったし、「乗り換えのウイーンでザッハトルテでも買って帰ろうかな」と思えたから食いしん坊でよかった、とか。

自分の旅経験値が試されるとともに、学生時代に一生懸命勉強したイタリア語が使えた「答え合わせの旅」だったな、とか。

旅した国が80カ国を超えて、新しい国に入国するときのあの高揚は、もう数えるほどしか経験できないのかもしれない、とか。

さて、次はどんな旅をしようか。新しい国が、なじみの国が、私を待っているはず。

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