40年モノの価値観がひっくり返った話
歯医者が苦手だ。
「出産か親不知抜歯か選べ」と言われたら、迷わず出産を選ぶくらい、できるだけ歯医者を避けて生きていきたい。
そんな私が、子どもを歯医者へ連れて行った。
行き渋る子どもをなだめすかす自分を「どの口が言ってるんや」ともう1人の自分につっこまれながら。
我が子も歯医者にいいイメージがないらしく、待合室で待っている間も、順番が来て診察室に入ってからも、診察を拒否し続けてマスクを外さない。
私の声かけも届かない。
すると、様子を見ていた先生は言った。
「今日は嫌なんだね。嫌なのに来てくれただけで凄いよ。今日はそれで十分だ!勇気が出て、歯を見せてもいいなと思ったら、お母さんと一緒にまた来てくれるかな?」
(嫌だったら帰っていいんだ…)
思いもよらない先生の提案に面くらいながら、その日は診察せず帰ることにした。
嫌な事をされずに済んで安心した様子の我が子。
無駄になってしまった時間やまた行かねばならない手間を思って、釈然としない思いの私。
モヤモヤの帰り道だった。
後日。
我が子にどんな心境の変化があったのかはわからないけれど、歯医者に行ってもいいと言ったので、再チャレンジすることになった。
診察室で我が子と目が合った瞬間、先生はとても嬉しそうに言った。
「来てくれてありがとう!」
緊張気味の我が子に
「これでお口の中を見たいんだけど、良いかな?」
「これで歯を拭きたいんだけど、どうかな?」
と、先生は一つ一つ聞いてくれる。
「全部終わったよ!1日で全部できるなんてえらい子だ!すごいぞ!お母さん、帰ったらうーんと褒めてやってくださいね!」
泣き言ひとつ言わずに診察を終えた我が子に賞賛の嵐だった。
たくさん褒めてもらった我が子は、とても満足そうな顔で先生に「ありがとう」をしていた。
私の知っている歯医者と真逆の歯医者だった。
私が歯医者が苦手な原因は、子どもの頃の体験にあると思う。
当時から口が達者だった私は、歯医者が嫌なこと、痛くしないで欲しいことを先生に訴え続けた。
しかしどんなに訴えても治療の内容は変わるわけもなく、「痛い!」「痛くない!」で先生と口論になることも。
「あんたの声待合室まで聞こえたわ」と母に言われた事もある。
そもそも治すために来ているのだから、治療を受けたくないなんて主張は通るはずがない。
先生はやるべき仕事をしているだけだ。
分かっているけど、怖い、嫌だ、不安だという気持ちとうまく折り合いがつけられない。
勝てない喧嘩に挑み、敗れ、診察が終わった私が抱くのは、いつも「二度と来るか!」という思いだった。
「歯医者が苦手」という最初の気持ちは我が子も当時の私も同じだ。
でも、先生が時間をかけてこちらの気持ちに寄り添ってくれたことで、帰り道の我が子は「また行ってもいいかも!」と得意気に話している。
遠回りに見えた2回の診察は、振り返れば当初の目的以上の成果を生んだ。
我が子の診察についていた助手は、どうやら新人の方のようだった。
「これを拭いてもらえますか?…そうです!バッチリです!」
「そうそう詰め物はこの硬さですよ!よくできました。これを覚えておいてくださいね!」
先生は、どんな些細なことでも、助手ができたこと一つ一つをすくいあげて褒めていた。
この先生は、我が子に限らずどんな人に対してもこういう態度をとるのだな。
きっと、この新人助手さんも安心して仕事を覚えていくのだろうな。
ここで長く仕事を続けたいと思うのかもしれない。
こんな歯医者さんに子どもの頃出会えていたら、歯医者嫌いにはならなかっただろう。
この歯医者さんになら、矛盾を感じることなく子どもを連れて行けるだろう。
今度、私も歯を診てもらってもいいかもしれない。
自分も相手も気持ちよく目的を果たす方法。
世代で言うと「おじいちゃん」の先生に、人付き合いの極意を学んだ気がした。