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内省と内観は違うよ

内観する人ってそれなりにいるけど
それ、内省になっちゃってません?
内省ってね、ともすれば
自分自身を説得するとゆう
逆の行為になっちゃうんよ。

あの人にも言い分はあったのかもしれない
見方を変えればこうゆう捉え方もできるよね
ないと思ってたけど自分にも落ち度はあったかもしれん

とか。
それはそれで考えてみるのは
大事なことだけどね。

自分がイライラしないように
モヤモヤしないように、
その火種を消す行為になっちゃうのよ。

でも内観って違うんよ。
本当に本当に自分の中には
どんな感情や感覚があるのかを
とことん掘っていくことなの。

最初は内省みたいに、
あぁ自分ってこんなどうしようも
ないこと考えてんだな、とか
見つけていったりもするかもだけど、
それよりもっともっと掘り下げるのね。
すべてのことをただただ
「在る」んだな、
って見ていくことなの。

ただ見ていくってゆうと、
すごくシンプルで簡単そうだけど、
なかなかこれが難しい。

なぜかってゆうと、
そこには必ず阻むものが出てくるから。

自分がそんなこと思ってるはずはない
こんなこと心の中にあってはならない
こんなこと思うなんておかしい
こんなこと考えてる自分恥ずかしい

とか、脳がジャッジしてくるからさ。
さらにそれを言葉にするとなると
またハードルが出てくる。
自分しか見てないのに
人の目を気にしていたり、
言葉になるのが怖かったり
恥ずかしかったり
見たくなかったり。

でもね、
そこよりもっと掘っていくと、
次第に物事に良し悪しや
意味などなくなってくるの。


内省してると、
自分を説得して
自分の思いを無きものにしてしまうが、
内観は逆に自分の思いを
全部認めて在るものにする。
ここが大きな違い。

内省はとりあえず自分を諌めて
終わりになるけど、
内観はその先がめちゃくちゃ長い。

すべて見る

認識する

言語化して顕在化させる

そこから意味を取り外す

まっさらになった上で自分の意味づけをする

ここまでやったら、
内観できたよ、
ってことです。

で、そもそも内観って
何でやるの?って話なんだけど、
・自己一致
・法則が生身でわかる
・望みを現実化する
とか、めっちゃ大事なことなんよ。

これはね、
ちょっとスピ的な話に
なっちゃうんだけど、
宇宙と繋がるためには
お空を見上げるんじゃないのね。
自分の中の小宇宙(コスモ)と
繋がることなの。
そっちが宇宙へ繋がる道なの。

これね、実はとても
やりやすくなる方法があるんだけど。

もちろん内観は一人でやるものだけど。
だけどね、まずあなたの中にあることが
何もおかしくないんだよ、
って誰かに言ってもらうこと。
これがあるとめちゃくちゃ
ハードル超えやすくなるからね。

わたしの講座ではそれができる
環境を作っていきたいのです♪

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