私たちが取り戻すべきこと~日前宮にて
先日、和歌山の6社を回るご神事の旅に行ってまいりました。ご参加頂きました皆様、ありがとうございました。その中からいくつかご紹介していきますね。
まず一社目は日前宮です。
日前宮(にちぜんぐう)は日前神宮(ひのくまじんぐう)&国懸神宮(くにかかすじんぐう)の二社からなる古式ゆかしい神社。和歌山市内、本当に町中にあるのに、ここだけ別の空気をまとっていて、ご神気を強く感じる聖域でした。
去年、瀬織津姫をお祀りする六甲比命神社にご神事にお伺いした際、そこで出会った神の使いのようなおじさまに教えて頂いたのがこちらの神社で、この旅の始まりとなりました。
和歌山って何となくマイナーな感じがありますが(和歌山県民の方、ごめんなさい!)、古事記や日本書紀にあるように、おのころ島=淡路島(その隣の沼島)だとするならば、おのころ島にやってきた最初の人たちが次にどこに行くのか?を考えた時に、可能性が高いのは、対岸の徳島、または反対側の対岸の和歌山ということになるわけで(いきなり九州にはいかないでしょう)、そういう意味で、古~くから人が住み着いている歴史ある場所なのだと思います。実際に和歌山県の海岸からは淡路島が見えますし、徳島~淡路島~和歌山(紀の川)は中央構造線でつながってもいますしね。そういう意味ではエネルギー的にも特殊な磁場が出来ている、つまり神社が作られやすい場所でもあるとも言えると思います。
ということで日前宮です。日前宮のご神体は鏡。そこまではどこの神社もだいたい一緒でしょう?ということになるのですが、こちらの鏡は三種の神器である八咫鏡と同時に作られたと言われる二体の鏡。つまり鏡は本当は三体あった!ということになります。この辺りは三位一体とか、陰陽が統合されて新しい何かが生まれるとか、そういうことを表しているのかもね。つまり「八咫鏡だけでは一部しか映らない。本当のことを映し出すにはほかにもいくつかの鏡が必要」ということです。確かにね・・・。
こちらが日前宮(にちぜんぐう)の中の日前神宮(ひのくまじんぐう)。同じ漢字なのに読み方が違うのが興味深い。
ご祭神は日前大神(天照大御神)となっていますが、瀬織津姫です。
こちらの日前神宮ですが、エネルギーが素晴らしく、瀬織津姫そのものだわという感じで、ご神事が終わっても、ずっと居たくなっちゃうような、参加して下さった皆様全員が去りがたい、名残惜しい~と感じる神聖な聖域でした。縄文的と言えば言えるし、女神のエネルギーに包まれている感じです。
こちらの日前神宮は自分の内側にある本当のこと、自分の真実と向き合うこと、それを映し出すこと、自分自身としての本来の在り方(←これはみんな違うはず)を見つけ出すことをサポートして下さいますよ。それはファッションとしての「自分らしく」ではなく、本当の意味でね。
こちらでは日本が「日本としての」本来の在り方に立ち返れるように、ご神事をさせて頂きました。
瀬織津姫がお祀りされている日前神宮の並びにあるのが国懸神宮。
こちらのご祭神は国懸大神(天照大御神)とありますが、男性形の天照大御神です。エネルギーもやっぱり男性的だよね。
ちなみに天照大御神は男性なのか女性なのかということですが、どちらでもないです。そもそも神様に性別はないし、その時代時代で必要とされるエネルギーが違って、ある時代(ホツマツタエ)には、国を作っていく段階だったので、男性形として現れされ、別の時代(古事記・日本書紀)の時代には、国を守る女性としてのエネルギーとして表現される必要があったということでしょう。もちろんその時代の為政者の都合にもよると思いますが、それも含めて神様の思し召しです。
日前宮の特徴的なところは、日前神宮と国懸神宮という陰陽が並び立っていることで、どちらが上でも下でもなく、どちらかが欠けているのでもなく、対等な立場で、これが本来の在り方だよということを示しているところだと思います。どちらの大神も天照大御神ですと言っているところにも、それが現れていると思います(たぶん神社の人は、一方のご祭神が瀬織津姫だとは知らないと思うけど)。それも神仕組みですね。
たぶん伊勢神宮ももともとこの形だったのではないかな。それがいつの間にかお社が一つになって、その隣が古殿地として空いている(遷宮する=入れ替わる)。空いているからバランスが悪いのよね・・・。入れ替わらなくていいので、ずっとそこにいて下さい的な笑。これも社会の様子がそのまま神社の形式に象徴的に表れているということだと私は捉えています。
近年、瀬織津姫(天照大御神の女性的側面)がクローズアップされているのも、私たちが切り捨ててきた女性性を神聖なるものとして呼び戻す必要があるということの象徴かな。
ということで、それを取り戻したところで、次の目的地に向かいますよ~。