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腹を括る事で幸せになるのなら、何度だって括って楽園へ手を伸ばす
時折、一瞬で世界が変わっている事がある。
それは別に、一瞬で変わった訳ではなくて。知らない所で進んでいた物事への結末がこの目に映る瞬間。それが重なっただけのお話だったりする。
一人で少し遠くに行っていた。呆然と、世界を見ながら久し振りにノイズのない状態になれたと感じながらも車窓を眺める。生きていると色んな事を考える。見えもしない未来に不安を抱き、置き去りにしたはずの過去の選択、これまでとこれから。今日のご飯は何にしようなんて考えるのも煩わしい時があったりする。
最近気づいたのは、私の目が思っていたよりも些細な変化に気づく事。解像度が他の人よりも何段階か高い事。それと引き換えに人間性を無くしたモンスターみたいな思考回路がある事。
息遣い、視線、言葉の節々。天井の染み、どこかに行ったスリッパ、風の変化。空の移り変わり、波の音、雨の匂い、昨日まで咲いていなかった花、水溜りの透明度。
生きているだけで気づくそれらを、多くの人は気づかない事を知った。忙しいからではない、人間の中では夕暮れも気づかない人がいるらしい。余裕があるない以前の問題で、何を見て何を知ろうとするのか。それは人それぞれ違うと思う。
例えば私が世界の変化に気づく時、誰かは人と関わり恋に落ちるだろう。例えば私が砂利を踏みしめた音に頬を緩ませた時、誰かは水溜りに飛び込んだ子供を汚いと叱っているだろう。私の世界はもしかすると、ずっと、子供の頃から変わっていないのかもしれない。
大人になれば気づかなくなると思っていたそれらは、今でもずっと、私の目に映り続けている。触れて嗅いで感じて、時に足を止め。誰にも理解されない美しさを感じ取っては孤独だと思う。全ての人間に存在する幼少期、あの頃なら皆、世界の変化に気づいたはずなのに。何度も繰り返して当たり前になり、新鮮さを失っては気づかなくなった。
私の世界では今でも新鮮かと言われると、別にそういうわけでもない。ただ気づく。懐かしんだり、初めての感動を未だに抱いている。私の世界で当たり前の解像度は、常人に理解されないと知った時、どうしようもなく一人になった気持ちになる。
私は私の見た世界の美しさを、共有する事が出来ないから文字で綴るしかないのだ。
誰かはそれを美しいと言うだろう。でも気づかないだけで、すぐ傍で起きている事象なのだと思い続けている。いつか同じように世界を見る人がいたならば、私はどう思うだろうか。その時初めて寂しさを感じなくなるのだろうか。分からなくても優しく見守っている人がいてくれたのならそれで充分過ぎるだろう。
そんな事を思いながら一人でふらふらしていたらとても気が楽だった。旅行というものには一緒に行った人と感動を分かち合う楽しみがあると思う。けれどずっと、私にとっての旅行は感動の解像度が違うせいで少しのストレスを感じ、結局口に出さず止める事ばかりだった。後単純に、人に合わせるの怠い。知らぬ間に気を遣い過ぎるからとても怠い。一人楽。こうやってモンスターは生まれていくのだろう。
決して特別な人間ではないと思う。実際、私を愛してくれる沢山の人が私の才能を信じ、認めてくれていたとしても。結局分かりやすい形で結果を出せない限りは、才能なんぞないのと同然だと思っている。信じてくれても、認めてくれても。それだけで上手くいくなら人は死なないし、心は病まない。
だからこの解像度問題も、ただ世界の美しさを知る一点に置いては高かろうが、人間として生きていく上での解像度は低すぎるのだろう。
結局私の真髄は、自分に失望したくなくて挑んでは駄目で、また失望してを繰り返す馬鹿げた怪物もどきなのだ。
旅行から帰ってきて、じゃあ頑張ろうかなんて切り替えて。そしたら多くの物事が目に見える形で現れ、驚きと共に酷い話だと笑ってしまった。リフレッシュして帰って来た瞬間、叩きつける現実があまりにも多過ぎる。せめてもうちょっとタイミング外してくれよと、ほんの一週間前まで熱心に行っていた神頼みを鼻で笑い唾を飛ばしてやりたくなった。
よく、何がしたいのか考える。書きたい物語で売れたい。作家なんて皆これを思っているだろう。でもやりたい事と向いている事が違うように、魂込めて書いた作品が売れない事なんていくらでもある。私のデビュー作が売れ、他の作品は動かないように。需要と供給は笑ってしまうほど合わない。
どれも大切に書いたんですけどね。寿命削ったなんて、毎度毎度思っていますけど。削った寿命と時間に相対するものは貰えるわけじゃない。究極の自己中。私は作家活動をいつもこう思っている。
愛だけでは生きていけないように、生きていくにはお金が必要で。削った寿命分の優しさが欲しくて。勝手に売って返って来ないと嘆く様はふとした瞬間になんて馬鹿げた行為だと思ってしまう。
だから人間は承認欲求を満たすために恋愛をするんだろうな。手っ取り早く分かりやすい、誰かの特別になれる。一番になれる。こんなにも分かりやすく明白な目標が設定されている物事が他にあるだろうか。無い気がする。
生涯片想いをしているような状態なのだ、作家活動なんぞは。
両想いにさせてくれよと嘆いても残念ながら自分の力ではどうする事も出来ない。その度に不甲斐なくなり、応援してくれる人に申し訳なさを感じながらも買ってよ広めてよなんて、お菓子を買ってもらえない子供のような駄々をこねてしまいたくなる。
もうちょっと大人になりたいな。誰が成功しても、凄い、頑張ったねなんて笑える人でありたいと思う。生まれた時からずっと、悔しい気持ちでいっぱいだ。ここ一年ほどでマシになったと思いきや全然あった。悲しきかな。人は簡単には変わらないらしい。
でも、悔しいと嘆き止まらなかったからこそ今の私が生きているのも分かっているのだ。
山登りをした。ロープウェイに乗り、徒歩二十分と書かれた山道を挑戦した。徒歩二十分なんてそれなりの都心に住んでいれば大した事ないと思うかもしれない。私もそう思っていた。けれど待ち受けていた山道に、普通に折れそうになった。
馬鹿か、ふざけんな。何が徒歩二十分じゃい。脳内でツッコみながら震える足で何度も止めてしまおうと考える。来た道を戻るのなら、この苦行をここで終わらせてしまおうかと考えた。
でもその度に悔しくなって歩き出した。私はずっと、子供の頃から自分が情けない人間だと知っていた。特別な事が出来ないくせに人としての能力もない。一般社会に馴染みやすい存在にもなれないし、勉強も出来なければ人の気持ちを汲み取る事も出来ない。ずっとずっと、駄目な子なんて言葉を言われ続けてきた。
今でも駄目な奴めと、そう思っている節がある。相変わらず人に合わせるのが嫌いだし、無駄な事をしていると何で止めないんだこいつらと冷めた視線を向けてしまう。理不尽はバッドを持って叩き潰したくなるし、優しさなんて安易に振り撒く必要もない。だって振り撒いた所で自分が幸せになるわけじゃないのだから。
ただその山道で引き返さなかったのは、ここで戻ったら私はただでさえ嫌いな自分の事をまた嫌いになって後悔すると思ったから。自分を好きでいようと思う度、出来なかった事をやろうとしてきた。せめて悔しいと思った物事へ、自分なりに一矢報いてやろうと思い続けては歩いてきた。この悔しさが無かったら、私はもうずっと前に命を絶っているだろう。
くそが、整備してないだろこの道、何で人死んどらんねん、足滑らせたら終わりやんけ、私が一人目になるぞとツッコミながら何とか登り切って時計を見るとちょうど二十分が経っていた。馬鹿な……。合っとんのかい。ベンチに座り両足を投げ出してはまたツッコんだ。いや、まじで合ってんのかよ。疑ってごめん。徒歩二十分と書いた人間に謝罪を入れた。
その日は随分と暑くて、降り注ぐ陽の光はまるで夏のよう。震える足に絶えそうな息、達成感の先で待っていたものが熱射とは、何たる仕打ちかと目を閉じる。でも私は安心した。ああ、良かった。登り切れたじゃん。やれば出来るんだよ私。これでまた、くだらない悔しさを抱かなくて済んだ。
過去は過ぎ去ったから過去で、今を生きているわけではない。あの頃の私を救うのは、生涯をかけても出来ないだろう。だって救われたかった私は救われないまま今になったのだから。
でも君の人生は思っていたよりも良くなったよ、山道登って足投げ出しては笑えるくらいに。なんて、くだらない事を思いながら、悔しいという気持ちが今を作ったのだから、私はきっと、これから何度だって同じ事を思うのだろうとも思った。
それはすぐにやってきた。不甲斐なさに溜息を吐き、自分は本当に何がしたかったのかを問うた。答えは出るのに結果は出ない。そんな毎日に足を止めそうになっては気分転換をするため皮膚科に来た。突然の皮膚科だが前々から行こうとしていたのである。
そこで私は2018年頃の自分の写真を見た。肌全体に広がるニキビ、見るからに痛そうな状態。今の私とは似つかない状態に、先生はこう言った。
頑張って来たね、続けてきた努力の成果だよ凄いね。
ああそうか。私はハッとする。こんな所で気づくなんて馬鹿みたいだが、忘れかけていた物事。
続けてきたから今があるのだと、分かっていたのに見失いかけていたのを。
今が一番楽しいと言える人生になるまで、どんな思いを重ねて来ただろう。どれだけ馬鹿をして、どれだけ傷ついては傷つけ、失望し続けたのだろう。今の私は過ぎ去った時間があるからで、辛酸をなめてきたからあるわけで。
確実に幸せになったはずなのに、どうして忘れていたのだろう。
継続は力なりというが、継続が嫌いだった。どれだけ続けても変わらないものは変わらないし努力は必ずしも報われるわけではない。ただ、続けなければ辿り着かない場所がある。それを知っているから続けるだけ。
今でも、続ける事に意味はあるのか考える時がある。馬鹿だな私、無駄なくせにと思う瞬間は幾度なくある。灯した蝋燭の火が消えかけては両手で守るような時間。浮上してはまた潜り、先の見えない深海を泳ぎ続けるような時間が人生なのかもしれない。
ただどんな事があっても、やるしかないのだと腹を括るしかないのだ。そうして今があるのだから、私はこれを忘れちゃいけないのだ。どんな困難が訪れても、やるしかないなら武器を持ち、武器がなかったら拳を握り締め、足が折れても這って歯を食いしばるしかないのである。
それが、出来る人間だから今ここにいるのだと、私はもう知っている。
二十七年間共に生きてきたのだ。今の私はもう分かっている。どんな言葉も自分を救うわけではない。どんな優しさも称賛も、永続的に貰えるわけではない。愛は雨のように降り注がないし、チャンスは等しく訪れない。
美味しい物を食べても、お金を使っても、自分に投資しても。結局私の機嫌が直る瞬間は、腹くくって書いて書いて書き続けて、何かを掴んだ瞬間なのだ。
何と悲しきモンスター。もっと違う形で幸せになれる人生であれば良かったと大袈裟に嘆いてみる。でも選んだのもまた私なのだから、残念ながら腹くくるしかないのだ。
走った先に飛んで、着地してはまた遠くへ飛ぶために走る。そういう人生を選んだのはお前だ。
愛だ恋だなんて現を抜かし、それで満足出来れば良かったのにね。出来なかったから今なんだけども。何度も嘲笑ってはまた腹を括る。時折分からなくなっては立ち止まり、周りを見て未来を迷いぐたぐだ文句を垂れてはまた歩き出して腹を括る。
その先に幸せがあるのか、私にはまだ分からない。
でも進んだ先の私が、今が一番幸せだと笑える未来であればいい。そう言えるようになれたのだから、きっと大丈夫だ。
いつか、私だけの楽園で目を閉じ波音に耳を傾けては月光を呑むような世界に行けるだろうか。
行けたらいいな、なんて空想をして。私はまた腹を括る。
この道が、自分だけの楽園に繋がる事を信じて。
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