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ヨルシカ眠れない僕らが、誰かの人生を盗むまで


人生は芸術を模倣する。


かの有名なオスカー・ワイルドが残した言葉だ。

この世の全ての物にはオリジナルなど存在せず、全ての人間が生まれてから死ぬまで誰かの影響を受けている。

そこから生まれる芸術というのは、人生の中で触れ合った芸術を模している事が多い。


さて、この世界に完全なオリジナルは存在するだろうか。または、自分の作品こそ、崇高なるオリジナルだと豪語する者は?そんな傲慢な人間はどこにいるだろうか。もしいるのなら、僕らはその人を見習うべきかもしれない。人生は自分が思っている以上に自分勝手で図々しく生きていないと、やってられない事ばかりだ。

いつ書かれたのか定かではない聖書も、本当にオリジナルだと言えるだろうか。

世界で一番売れている作品が、空想だと決め付ける人は?真実だと疑わない人間は?もしかしたら誰かの盗作かもしれないと、考える人間は?


盗作という言葉を美しく理解されやすい言葉に置き換えるとオマージュになる。オマージュとは、芸術や文学の世界において、尊敬する作家や作品に影響を受け作り出す作品の事だ。あくまでリスペクトを忘れず、その上で作り出す創作物の事である。

余談だが、先日著者が発売した「さよならノーチラス 最後の恋と、巡る夏」も、ある種のオマージュだったりする。ヴェルヌの「海底二万里」に影響を受け作り出した作品だ。内容は違ったとしても、これも言葉を変えればある種の盗作になるのではないか。


盗作という言葉を見た時、人々は怪訝に思うだろう。しかし、オマージュという言葉を見た時反応は打って変わる。言葉が持つ力は随分大きなものだと思う。


さて、長々と話してきたがヨルシカ眠れない僕らが夜明けを見る話を書いてから、実に一年の時が過ぎた。この一年の間に、この記事は何度も読まれ、多くの人の目に留まった事をとても嬉しく思うと同時に、一年経ってもう一度、ヨルシカ眠れない僕らが新たな物語に触れる瞬間を書こうと思った。


これは、そういう自己満足で出来ている。


ヨルシカ眠れない僕らが、エイミーとエルマの壮大ながら一人の人間としてはちっぽけな人生の物語を体感し、夜明けを見るために浮上してから月日が経った。二人の物語はどこかで終わりを告げたのかもしれない。まだ緩やかに続いているのかもしれない。それは分からない。全ては制作者の手の中にある。



ある日、本が届いた。

本という表現は適さないだろうか。しかし、それを表す言葉を我々は本以外に知る事もない。

表紙をめくるとただ一言、「盗作」と書かれていた。



ヨルシカの新しい物語の始まりでもあった。


目次には01から14まで番号が振られた何かの音楽(盗作)。

そして、小説

分厚い台紙の真ん中だけが空いて、一つのカセットテープが入っていた。手書きで「月光ソナタ」と書かれている。余談だが、この月光ソナタはn-bunaさんがピアノを習い始めた少年に頼み実際に弾いてもらった物らしい。リアリティの塊である。

余談だが、この「月光ソナタ」をわざわざCDではなくカセットにしている辺り、僕は美しいなと思ったのだ。人生は意外にも無駄な事が美しかったりする。カセットテープを再生できる機器を、皆は持っているだろうか。ヨルシカのファンは若者が多いから、もしかしたらカセットテープを見る機会もなかったのではないだろうか。僕はこれを見て、小さな子供の頃を思い出した。

なぜカセットテープなのか、それは初回限定盤に入っている小説が答え合わせをしてくれた。

カセットテープだからこそ、この曲は輝くと僕は思う。


月光ソナタ」とは現代の言葉に直されて解釈されたものである。本来の名前は「月光」。ヴェートーベンのピアノソナタ第十四番。この物語の主軸であり、盗作とは何なのかを深堀していくために必要な要素である。


耳を澄まして音楽を待った。


そして、彼の人生もまた、何かの模倣である事を知った。



俺は泥棒である。
往古来今、多様な泥棒が居るが、俺は奴等とは少し違う。
金を盗む訳では無い。骨董品宝石その他価値ある美術の類にも、とんと興味が無い。
俺は、音を盗む泥棒である。

俺は人生という名前の絵を描いている。
ヨルシカ - 盗作 Yorushika - Plagiarism



01.音楽泥棒の自白

小説を開く。ある男性が何かを話している。どうやらこれは、インタビューのようだ。自らを泥棒だと口にする彼の気持ちは、我々にはまだ分からない。

売れるメロディには規則性がある。
言葉を乗せた後の馴染み具合に拠ることもあるが、大抵は分析が可能な範囲である。
美しいメロディには魔力がある。(中略)
人々の鼻歌には名曲と呼ばれるそれのエッセンスが詰め込まれている。
わざわざ口に出したその一瞬は大抵が脚注で一番好きな一節だ。
何度も繰り返し脳内で再生してしまう一節。
それは大衆の好みを映す鏡として機能する。
ヨルシカ - 盗作 Yorushika - Plagiarism小説より一部抜粋

確かに売れるメロディには規則性があるかもしれない。それが何かは分からないが、言いたい事は何となく理解出来た。音楽知識のない自分がそう感じるという事は、音楽に片足を突っ込んでいる人間は尚更そう思うのではないだろうか。

(まあ、そんな事言えるような立場ではないんですけどね)

人々の持て囃す才能というものを俺は信じていない。
天才だの何だのと言われる音楽家もその殆どは紛い物だ。
勿論、俺を含めて。
(中略)
たった十二音階のメロディが数オクターブの中でパターン化され、今この瞬間にもメロディとして生み出され続けている。
(中略)
それでもその中の一握り、偶発的に生まれる一瞬の中に、美しいメロディが存在しているのだと、俺は昔から、そう信じていた。

それだけは今でも変わらない。
ヨルシカ - 盗作 Yorushika - Plagiarism小説より一部抜粋


冒頭に話した内容をもう一度繰り返そうと思う。

本当の意味でのオリジナルはこの世界のどこに存在するのだろうか?

彼は作中で、バッハの時代に作曲が終わっているというのを聞いて、納得したと話しているが、果たして本当にそうだろうか。

もしかすると、バッハの時代も既に作曲は終わっていたのかもしれないだろう。

けれど、一瞬の偶然の中に美しい奇跡が生まれるのを信じ続けているのは、きっと人間の性なのかもしれない。



02.昼鳶


昼鳶というのは昼間に空き巣をする泥棒の事だと知ったのはこの本を読んでからだった。

彼の生い立ちは決して良い物だとは言えなかった。両親が離婚し、母に捨てられ、酒に溺れた人間失格と言っていいような音楽家の父と生きた時間は、確実に彼を変えた。

音楽家としては認める父の事を、一人の人間として、親としては認める事が出来なかった。どうしようもない父から逃げるように、18歳の時家を出てから行く当てもなく彷徨い、生きるために盗みを働いた。

その頃を思い出しているような曲だった。


つまらないものだけが観たいのさ
他人の全部を馬鹿にして
忘れたいのに胸が痛い
ただ何も無いから僕は欲しい
昼鳶


作中ではインタビューを受けている彼(現在)と、ある少年との出会い(過去)が行き来している。作中で彼は、心に空いてしまった大きな穴をどうやったら埋めるかについて話していた。

才を持つ人間への妬み嫉み、何も無いから穴を埋めたい、けれど心には忘れられない穴がある。それが前面に出ている曲だった。


03.春ひさぎ


春をひさぐ、は売春の隠語である。
それは、ここでは
「商売としての音楽」のメタファーとして機能する。
悲しいことだと思わないか。現実の売春よりもっと馬鹿らしい。俺たちは生活の為にプライドを削り、
大衆に寄せてテーマを選び、ポップなメロディを模索する。
綺麗に言語化されたわかりやすい作品を作る。
音楽という形にアウトプットした自分自身を、こうして君たちに安売りしている。
俺はそれを春ひさぎと呼ぶ。
YouTube 春ひさぎ概要欄より

これを聞いた僕らは驚いたのではないだろうか。

え、ヨルシカどうした?って。

前作までとは全く違うテイストの曲は我々の脳に大きな衝撃を与えた。

春を売って金銭を得る。そこに残るものは何か。空虚な心があるだけではないのだろうか。


彼はある少年と出会う。地面に粉々になったガラスの破片を見たのが始まりだった。壊してしまったのは少年だった。彼は片すのを手伝うかと声をかけたが少年は首を横に振った。

そして少し経った頃、ある雑貨屋で少年に再び会った。少年はガラス細工を盗もうとしている最中だった。彼は何も言わなかったが、怒るわけでもなく悪いと思うのならちゃんと代金を払いに行けとだけ言った。そこから、二人の不思議な関係性は始まった。


夢幻の猿の定理を知っているかな。
猿に永遠にタイプライターを撃たせ続ければ、
いつかシェイクスピアの戯曲さえも組み上がるという仮説だ。
俺たちのやっていることは、恐らくあれに近い。
ヨルシカ - 盗作 Yorushika - Plagiarism小説より一部抜粋


うん、言いたい事は分かるよ。ちょっと難しいけどね。

詰まる所、彼は全編を通してオリジナルなんてないと否定し続けているのだ。けれど偶発的な奇跡を一ミリだけでも信じている時点で、支離滅裂だと思う。分かるけども。


04.爆弾魔

正直この曲が入って来た事がとてつもなく意外だった。

え?ここで爆弾魔?なんで?What??と思ったのだが、我々の知っていた爆弾魔とはメロディが違っていた。

爆弾魔」なのに「爆弾魔」ではなく、より水色が鮮やかになったような、そんな印象を受けた。

そして、サビではおそらくn-bunaさんであろう声がsuisさんにはもっていて、より「爆弾魔」の世界を悲しくさせるような気がした。

まるでアンサーソングを聞いているような気分にもなった。

エイミーとエルマが二人で歌っているような、そんな風にも聞こえたからだ。

これが盗作ならば。爆弾魔は明言していないがエルマとエイミーの曲なのではないだろうか。

ならば、二人の盗作なのかもしれない。


05.青年期、空き巣


さて、先程でも語ったが彼は空き巣をしていた。本当の意味で泥棒だったのだ。

そんな彼がどうして泥棒を辞めたのか。


それは今は亡き妻との出会いだった。

月光」を弾いていた彼女を見て心が洗われたのか。音楽の中に何かを見出したのか。とりあえず、彼は「月光」を弾きながら涙を流す彼女に魅入られたのだ。

彼女は彼の七つ上のお姉さんだった。そして幼少期を知る人物でもあった。「夜行」、「花に亡霊」に描かれている女性は彼女の事だった。幼き日の思い出は鮮明に、脳内を色づけていた。



06.レプリカント


めちゃくちゃ私情が入った発言をすると、この曲がこのアルバムの中で一番好き。いつかどこかでn-bunaさんが言っていたであろう話だが、これはブレードランナーから発想を得た曲のようだ。ブレードランナー見てないから知らんけど。

いつか世界がまともになって、人の寿命さえ随分伸びて、
死ねない世界になればいいのにね
そしたら心以外は偽物だ 言葉以外は偽物だ
神様だって作品なんだから 僕ら皆レプリカだ
いつか季節が過ぎ去って
冷たくなって年老いて
その時に
レプリカント


人の寿命がずっと伸びて、大切な人が死なない世界になったとして。それはそれは幸せな世界かもしれない。でも、どうだろう。それこそある種の紛い物なのではないかと感じる。


歌詞の中で、「さよなら以外は全部塵」や、「人を呪う歌が描きたい」と強く強く主張している。分かるよ、作品で誰かが呪えればいいよなと思うよ。その人の人生が変わってしまうほどの何かを、この作品が持っているといいなとも思う。大切な人を傷つけたくはないけれど、忘れられないような呪いをかけてやりたいと思うのも理解出来るのだ。

そしてこの「レプリカント」、これまで以上にsuisさんの声が力強く感じた。n-bunaさんという芸術家が作り出す作品を表すには、suisさんという表現者が絶対に必要なのではないかと思うくらいだ。

それほどまでに、彼女の声は変化し、我々に新たな感動と没入感を与える。

そして所々に入るn-bunaさんの声が、音楽泥棒の彼の中に僅かに残った感情を表現しているようにも感じた。


少年はやがて彼の仕事場に通うようになり、ピアノに関心を持ち始めた。少年には母親しかおらず、彼女はステンドグラスを生業に生計を立てていた。少年は母が好きだが、何とも言えないような表情をする。何かしら、思う事があるのだろう。小さな子供特有のそれだと、この時は思っていたものだ。


07.花人局



昨日の夜のことも本当は少し覚えているんだ
貴方の居ない暮らし、それが続くことも
今でもこの頭一つで考えているばかり
花一つ持たせて消えた貴方のこと
明日にはきっと戻って来る 何気ない顔で帰ってくる
今にドアが開いて聞こえる ごめんね遅くなったって
言葉だけをずっと待っている 夕焼けをじっと待っている
花人局



彼の仕事場に遊びに来るようになった少年は、彼の話をよく聞いてきた。

父親の話、仕事の話、音楽の話、そして、妻の話。

七歳上の妻は、既にこの世界から消えていた。妻の話を語るシーンでは、夕暮れが妙に印象的だった。この曲はきっと、妻の事を語っているのかもしれない。


人は簡単に死ぬ。


これは全てにおいて共通する事だ。人間は人間が思っている以上に脆い。心も身体も、全てが不完全だ。一瞬の出来事が最後になるなんてもうずっと前から理解している。きっと、彼もそうだった。

彼の妻がなぜ亡くなったのかは詳細に書かれていなかった。けれど、有り触れた日常でかえらぬ人になったのはこの歌を聞けば理解出来るだろう。明日にはきっと帰ってきて、ごめんねなんて口にして、もう一度変わらぬ日々が始まるのだ。

そんなもの、もう二度と訪れないのに。


電気を付けないまま生活をした事はあるだろうか。

日中太陽の光が差し込むから、電気を付けなくてもいいと思った経験は?

僕は自室にいる時、暗くない限りあまり電気を付けない。その方が何だか綺麗な気がするからだ。見やすい見やすくないの話ではなく。ただ、綺麗だから。それだけの理由。

僕にとって思い出すのは学生時代、七月、電気のついていない教室、午後の授業、淡い水色のカーテンが波紋のように揺れ、誰かの寝息が聞こえる瞬間を思い出す。どうしても、その時間が頭から離れない。

この曲を聞くと、それと似たような錯覚を覚える。電気のついていない部屋、揺れる薄透明のカーテン、陽の落ちた夕暮れ、赤紫色の空、暗闇に支配される一歩手前、百日紅のような色合いの小さな花が視界を遮っているような、そんなイメージを抱くのだ。

ここで出てくる花は、恐らく、「夜行」で出て来る花と同じなので説明は一度省かせて頂く。



08.朱夏期、音楽泥棒


朱夏期(しゅかき)とは、壮年時代を表す言葉である。

音楽泥棒と書かれている所から察するに、彼が音楽を盗み始め仕事をするようになった時代の事だろう。作中の彼と、そう時間は変わらないと思う。

水の滴る音が印象的だった。そして、咳の音。

これは尾崎放哉の、「咳をしても一人」という句からインスピレーションを受けているようだ。彼は朱夏期に亡くなった。晩年に読まれた詩は孤独を表している。

放哉の人生は落ちる所まで落ち続け、病にかかり亡くなった。

彼の人生もまた、似通った部分があるのかもしれない。


ある時、彼は少年に楽譜の読み書きを教えたが、少年はその年の子供らしく勉強を嫌がった。すると、彼はこう言った。


「やれることが増える。楽譜が読めたら、楽器が弾ける」
「じゃあ勉強は?」
「算数が出来たら、学者になれるかもしれない」
「国語は?」
「小説家になれるかもしれない」
「英語は?」(中略)
「パイロットになれる」
「取り敢えず、勉強すればするほど、将来の選択肢は増えるだろうな」
ヨルシカ - 盗作 Yorushika - Plagiarism小説より一部抜粋


子供の頃、勉強が嫌いだった。

特に算数、あれに至っては今でも駄目だ。他はまだ何とかなりかけたが、数字を見ると顔をしかめてしまう。何度やっても覚えられず、たった一つの答えを求めるための簡単な作業が出来なかった。

今思えば、自分の性質的にたった一つの答えを求める作業自体が合わなかったのだけれど。

とりあえず、子供の頃勉強が嫌いだった。どれだけ言われても嫌いで仕方なかった。やった先に何が待ち受けているか分からなかったからだ。もしかすると、彼が言ったような事を誰かが言ってくれればまだ頑張ったのかもしれない。まあ、でも。当時から夢はなかったからやらなかったかもしれないが。

勉強が人生の選択肢を増やしてくれると理解出来るのはきっと大人になって後悔したからだ。あの時勉強していればと、嘆かない限りは永遠に理解出来ない。子供には勉強をする価値など分からない。


けれど少年は勉強をする理由を見つけたらしい。

それは「月光」の楽譜だった。妻からプレゼントされた楽譜を見つけた少年は、これを弾きたいと言った。弾くためにはまず、楽譜を覚えなければならない。

勉強の理由なんて、そんなちっぽけなもので良かった。



09.盗作



「音楽の切っ掛けは何だっけ。父の持つレコードだったかな。
音を聞くことは気持ちが良い。聞くだけなら努力もいらない。
前置きはいいから話そう。ある時、思い付いたんだ。
この歌が僕の物になれば、この穴は埋まるだろうか。
だから、僕は盗んだ」
盗作


始まりは父の持つレコードだった。きっと、最初は美しいきっかけだったのかもしれない。いつしか泥棒に成り下がって世界を知った。

悲しいけれど一人の人間の破滅を見た気になる曲だ。

インタビューを受けている彼は言う。

盗作家の破滅を描いた、俺という作品を作ろうとしていた。

それがもう、この穴が満たされる唯一の方法だと知っていた。


MVの中では男性が物をどんどん壊していく。ギターを振り被っては叩きつけていく。

壊す。これを見た時は破壊衝動に破滅願望を重ねたものだと思ったが、作中で似たような表現がある事に気付いた。


それは少年の破壊衝動だ。


少年が盗んでいたガラス細工は、少年の母の作品だった。それをある日、たまたま落として壊してしまった。その時、破壊の中に何かを見た。

母が構ってくれないだとか、そんな可愛らしいものではない。文面を見るに、少年は間違いなく破壊の中に芸術としての何かを見出していた。

壊してしまった申し訳なさよりも、壊した事による何かを見出した。少年は、ステンドグラスを作る母が好きだったが、生活のために他の事を始めた母が許せなくて壊したと話した。しかし、これは自分で自分の首を絞めていただけだった事を後になって知るのだ。



10.思想犯




他人に優しいあんたにこの孤独がわかるものか
死にたくないが生きられない、だから詩を書いている
罵倒も失望も嫌悪も僕への興味だと思うから
他人を傷付ける詩を書いてる
こんな中身のない詩を書いてる

君の言葉が呑みたい
入れ物もない両手で受けて
いつしか喉が潤う
その時を待ちながら
思想犯

思想を盗む。音楽を盗むのと、そう変わりはないだろう。むしろ=で繋がっている節もある。

他人の思想を盗むからこそ、同じような物を作り出せるのだ。そこに少しのオリジナル要素を加えれば、作品なんて出来上がってしまう。

この職業で再三思い続けている。オリジナルなんてありはしないと。

自分の書いた作品が、読んだ事もない誰かの作品のパクリだと言われるその瞬間が一番心に刺さる。盗作でもオマージュでも何でもない、自分の考える事は既に多くの人が思いついている事、結局誰かの二番煎じでしかない事、それに気付く事が一番やる気を失う瞬間だ。

歌詞の中では尾崎放哉の、「春の山のうしろから烟が出だした」という句などを模した文面が描かれている。そして、「爪先立つ」という歌詞は、「妻先立つ」にかけている事を知った。


君の言葉が飲みたいのだ。オリジナルだと言われて持て囃されている、君の言葉を飲んで自分のものにしてやりたい。そうすれば今度は自分の立場がそこに成り代わる。そんな、嫉妬心を刺激するような曲でもあった。



11.逃亡


夏の匂いがしてた
あぜ道 ひとつ入道雲
夜が近づくまで今日は歩いてみようよ
隣の町の夜祭りに行くんだ
逃亡


この歌詞で、時間は彼の少年時代に遡っている事に気付く。

子供の頃妻と一緒に過ごした時間を思い返しているような内容だった。

父と一緒に過ごす時間が苦痛だった彼にとって、妻と過ごす時間は心を救われるような時間でもあった。

しかし、その後、「こんな生活はごめんだ」と話した後、バス停でさようならをするシーンに変わる。これはおそらく、妻が上京して離れ離れになってしまうシーンだ。

そして「誰一人人の居ない街で気付くんだ、君も居ないことにやっと」と続く。「大人になってもずっと憶えてるから」、「もっと遠くに行こうよ」と二人で逃げようとする歌詞から、一人どこかに消えてしまいたいような歌詞に変わっていくのだ。

軽快なメロディからは思いつかない切ない歌詞に、全てを捨てて逃げられたのなら、人はきっともっと幸せになれたのかもしれないと思った。

けれど、それが出来ないのもまた、人間なのだろう。



12.幼年期、思い出の中


彼を変え、救い、落とした唯一の存在、妻。

しかし、音楽泥棒として今、名を馳せようとする彼が終盤にかけ幼年期の思い出に戻っていくのは不思議で面白い感じがしたが、何となくそうなるのも予見出来た。

人は年を重ねるにつれ、子供の頃の思い出を懐かしみ思い出そうとする。そしてその思い出は、脳内で美しく脚色されている場合が多い。実際起こった事はそこまででもないのに、何だか美化されてしまうのも人間の性だ。

音楽泥棒と口にして、世間からバッシングを受ける未来は理解出来たはずなのに彼は歩みを止めなかった。この心に空いた穴を埋めるため。けれど、穴が埋まったかどうかは分からない。

きっと、彼の心に空いた穴はもうこの世界にいない彼女じゃないと埋める事は叶わないのだと、僕は思う。



13.夜行



柔らかなタッチで描かれるMVは、映画「泣きたい私は猫をかぶる」の挿入歌だ。

はらはら、はらはら、はらり晴るる原
君が詠む歌や 一輪草
他には何にもいらないから
波立つ夏原、涙尽きぬまま泣くや日暮は夕、夕、夕
夏が終わって往くんだね
僕はここに残るんだね
ずっと向こうへ往くんだね
そうなんだね
夜行


子供の頃、隣町の夜祭りに妻と一緒に歩いて行った時の話の事だ。夏草の中に白い花が混じっていて、彼女が一輪草だと言うが彼はそれは夏に咲くから違うと言った。

けれど、彼女に言い負かされた。後から分かった事だが一輪草は夏に咲かない。しかし、二人の中の思い出の一つである事には変わりないだろう。

この歌詞の中にも「一輪草」と入っている。もしかすると、「花人局」の花は、この一輪草なのではないかと思った。


俺にとっては、生まれて初めて見る夏祭りの風景だった。
綺麗だった。それしか言えないくらい良い花火だった。
上りの列車はちゃんと動いていたから、一緒に座席に揺られながら帰った。結び髪にこっそり挿しておいた白い花がまだ付いているのが面白くて、列車が揺れる度に落ちないか、ずっと彼女の頭を眺めながら座ってた。
俺の眼はずっとあの日を見ているんだ。
ヨルシカ - 盗作 Yorushika - Plagiarism小説より一部抜粋


ちょっと待って、少年時代の彼可愛い。


きっと、忘れられない思い出だったのだろう。MVの中でも二人で歩いているシーンが印象的だったが、やがて一人になり空を仰いでいた。


14.花に亡霊



こちらも映画「泣きたい私は猫をかぶる」の主題歌である。

ゆったりした音楽の中に美しい言葉が印象的な曲だ。

言葉をもっと教えて
さよならだって教えて
今も見るんだよ 夏に咲いてる花に亡霊を
言葉じゃなくて時間を 時間じゃなくて心を 
浅い呼吸をする、
汗を拭って夏めく
夏の匂いがする
もう忘れてしまったかな
夏の木陰に座ったまま、氷菓を口に放り込んで風を待っていた
花に亡霊

歌詞の中では、「形に残るものが全てじゃない」「歴史に残るものが全てじゃない」「心に響くものが全てじゃない」と、三段階で畳みかけているが、これは妻が言った言葉なのかそれとも彼の本心のどこかに思う所があるのかは分からない。私的には後者じゃないかなという印象を持っているが定かではない。

確かに、事実だ。

形に残るものだけが全てではないし、歴史に残るものが全てだったら僕ら人間は意味のないものとなる。心に響くか響かないかなんて人それぞれだ。けれど、その全てを得たいと思うのは欲だろう。


さよならを理解している。十二分に、理解が出来ている。けれどまだ飲み込めない気持ちがどこかにある。そんな、切ない曲だった。



さて、小説の方に話を戻そう。

少年は母の作った作品を盗んで壊した所からだろうか。

あの後、少年に再会した時彼は話した。本当はずっと、少年が盗みを働いていた事を母は知っていて見逃されていた事を。お金が貯まらないのは、少年が壊した商品の値段を、母がずっと払っていたからだ。


全ては自業自得だ。
やったことは自分に返ってくる。
この世はそういう風に出来てる。
俺はそう信じてる。
ヨルシカ - 盗作 Yorushika - Plagiarism小説より一部抜粋


少年は自分で自分の首を絞めていた事をずっと知らなかった。この言葉は多くの人に当てはまるのではないだろうか。やったことは自分に返ってくる。

例えば誰かの悪口を言えば、他の誰かが君の悪口を口にするだろう。

そんな簡単な事から始まって大きな事まで返ってくる。


そして、彼は少年と二度と会わない事を口にし、音楽泥棒として名を馳せ、世界から指を差されるようになった。

全てが手から無くなった時、彼は再び少年と再会する。少年は遠くに引っ越すと言った。ガラス工房で生きる事が難しくなった母は少年と実家に帰って生きるようだ。最後にカセットテープを渡された。題名は「月光ソナタ」。


月光」だった。


夏の匂いが鼻を燻っている。彼はまだ、動けないでいる。



自分に返ってくるとはよく言ったもので。彼はそれを物の見事に体現した。けれど、彼を止める人間は誰もいなかった。止めてくれる人は、もうこの世界からいなくなってしまったから。もし妻が存命なら、こんな事はしなかっただろう。


有り触れた幸せがどれほど奇跡で作られているのか、僕らはもっと理解した方がいいのだ。

一生に会える人の数も、その中から誰かに恋をする数も、一緒にいられる数も、全部全部奇跡の積み重ねで出来ている。

このアルバムを通し、芸術をかじる端くれとして仕事に対して様々な考えを持つと同時に、人としても考えさせられた。


全てを失った時、自暴自棄になって自らを芸術といい表現した日が来たとして。

その時隣に誰かがいてくれたのなら、それだけで報われるのではないだろうか。


人の淀み、嫉妬心劣情、才能とは、それすらも芸術か。全アルバムでは美しく表現されていたそれらは、今作で分かりやすく、攻撃的に表現されていて、何だか理解出来てしまい一度だけ頷いた。n-bunaさんの芸術を見ると同時に、それを表現しさらに精度を高めるsuisさんの力。


ヨルシカはどんどん魅力を増していく。


僕らの人生が誰かの真似事だとして。

いや、真似事だろう。思想というのは生まれて来てから今までで出会った人や物、芸術に形作られるから。本当の意味でオリジナルなど存在しない。


けれど、その中に変わらない何かが必ずある。

心突き動かされるような、そんな衝動がある。

奇跡を信じる愚直な心理が、存在する。


それが、誰かの人生を盗んでいる僕らの、唯一のオリジナルだ。


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