【カメラは、撮る人を写しているんだ。】を読んだら、映画みたいな小説みたいな本だった。
まず、装丁に吸引力がある。めくるとツルツルの紙がてできて、次は少しボコボコした紙がでてくる。どんな中身なのか楽しみになる。
読み進めて感じたのは、本の厚さがあるわりに、軽さというか紙のやわらかさみたいなものが心地よくて、中身だけでなく外見も読み心地の良い本だった。
読みながら気になった言葉をメモしていたら、作中でカズトもそうしていた。
僕がメモしたのは以下のような感じだった。読んだ人によって響くポイントが違うのかもしれない。
そういえば、先日みた映画、PERFECT DAYSも「観た人によって感じ方が異なっておもしろい」とBRUTUSwebの記事になっていたし、幡野さんのラジオでも話題になっていた。
この本も、読んだあとに、登場人物や内容について話したら人によって解釈の違うところがありそうでおもしろそうだ。
・喫茶店 時間泥棒
・理屈じゃないロジックだ。
・実際に写真を撮っている「試合中」を見ていないのに憧れている。
・撮った一枚の価値は同じなんだけど、価値ある写真を毎日おなじようなレベルで確実に量産できるかという部分に差がある
・撮っていくうちに必要に迫られることになるからそのたびに1本追加する。
・米粒みたいな花火を「目撃した私」の位置を記憶する。
・撮った写真にすでに答えがあって、意味をあとから考える感じとか。
・写真の情報量。オープンスタンス。自分も、写真を見た人もより長く楽しめる写真を撮る。キングアンドクイーン理論。
・写真は選択で、選択とは断言の積み重ね。
・カメラを向けられているというほんの少しの緊張感。
中でも一番好きなのは、
・米粒みたいな花火を「目撃した私」の位置を記憶する。
だった。
はじめ厳しくてこわそうなロバートが、だんだん身近に感じて厳しいだけじゃなくてやわらかく優しいロバートに変化していくさまに読んでいて、グッとくるものがあった。著者のワタナベアニさんはロバートみたいな人なのかもしれないと読みながら想像した。
一つの小説・物語を読んでいるみたいだった。
カズトとロバートの関係性は明確に書かれてはいなくて、師弟というほど密ではなく友達というのも少し違う。でもこの2人が心を通わせていることが伝わってくるし、お互いの気持ちを想像して、感情移入してしまう。
新しいことをはじめる時の未熟で貪欲な部分を恥ずかしく思ったり、この先にあるものを知っていく喜びを素直に感じたり、誰も一度くらいは体験したことがある姿があって、僕は懐かしく思った。
美容師のアシスタント時代もたくさんの先輩たちに導いてもらったし、
池袋のリトルカメラで出会ったロバートは、僕にとってワークショップでお会いした幡野さんだった。
ロバートの年齢と領域に、まだまだ届かないけれど、この先こんなふうに自分生きる業界でも後進に接することができるかどうかも想像してしまった。
ロバートのこれまでのことや、カズトのこの先のことも、想像してしまった。
続編やスピンオフの気になる。
読後、とてもおもしろい小説を読んだ気持ちに似ていると思ったし、おもしろい映画を観た後、誰かと話したくなる気持ちにも似ていると思った。
想像をかき立てる小説的な部分とおりまざるように、現実的で具体的な部分も盛りだくさんだった。写真を撮りはじめるために必要なことから、アートディレクターとして写真に関わりながら写真を撮るに至る話、被写体に対する敬意の話や、「創造」に対する考え方、「いい写真」に写っているものの話は特に新鮮で、とても興味深かった。
最後は、
ロバートと会わなくなって、カズトはプロカメラマンとなって、時間泥棒はなくなってコインパーキングになっている。
泥棒は人のものを盗む悪い行為や人のことを指すことが多いけど、そうじゃないときもある。
カリオストロの城の銭形のとっつぁんがクラリスにいう「ヤツはとんでもないものを盗んでいきました」と同じだと思った。
写真はその時の感情、記憶を時間の流れから切り取って保管しておいてくれるいい泥棒だと思う。なんて、妄想してしまう。
「カメラは、撮る人を写しているんだ。」は、物語に引き込まれて、想像的になれるし、写真を撮る心構えもさせてくれる、小説のような良書だと思った。