なりたい人物像ってそもそも何だっけって話で
なりたくなかったものになっていってる。そう感じるようになったのはいつ頃からだっただろう。
5、6年前、ある仕事で関わったアーティストの人がインタビューか何かで「人としてダメなので、せめて芸でお返ししたい」みたいなことを言っていて、なんだそれ、ただの甘えじゃねぇかみたいに思った僕は「役者としてはダメなので、せめて人間をちゃんと磨きます」なんてことを肝に銘じたのですが、今思えばそれは芸に自信がなかったことの、それもまた甘えだったんだなぁと。
めんどくさい人間にはなりたくないと思っていました。が、歳を重ねるにつれて繊細に、めんどくさい人間になっている気がします。この歳にして自分には何もないから、そのコンプレックスの裏返しとして自分を大きく見せようとしたり逆に同情を買おうとしたり。あぁ、なんて醜い。恥ずかしい。人前に出しちゃいけない人間だ。
が。
自分の情けなさ、不甲斐なさに下を向いて立ち止まっていても時間は寄り添ってはくれない。時間はただ過ぎていく。だったら俺も気合いを入れろ。心を燃やせ。
ごめんなさい。生きていかなきゃ。生きていかなくっちゃね。より善く生きていきたい。自分にも他者にも誠実に、優しく。きっと人より強く生まれたはず。だったら人に優しくしなきゃ。誰かの力にならなきゃ。想像力と思いやりを持って。どうしてどうして出来るだけ優しくしなかったのだろう。2度と会えなくなるなら。って歌詞もあるじゃん。