社会を変えたいのなら、社会を変えようとしてはいけない。「独立国家のつくりかた」を読んで
大人になるとは、「そういうものだ」をうまく使えるようになることだ。
子どもの頃、「なぜダメなの?」「なぜこれをしちゃいけないの?」と親や教師に必死に食い下がったところで、答えはいつもこれだった。
「そういうものだ。」
大人と呼べる年齢になってわかったことは、たしかに「そういうものだ」としか言えないことがある。そして、もっと言えば、そこに刃向かったところで、どうしようもない無力感もある。
だからこそ、大人は優しく見ないふりをしてくれている「そういうものだ」と。
私はアラフォーと呼ばれる年齢になったのだけれど、なぜだか「そういうものだ」がなかなかうまく使えない。そういうものだ、と言われると、なぜですか?と聞き返したくなることがある。
そう考えてみると、いまだに私は、完全には大人になれていないようだ。
それもこれも、きっといまよりもっと社会は良くなると信じているし、そのために自分の時間も体力も使っていきたいと思っているからだ。自分が生きている社会に対して、もしくは、自分の人生に対して、「そういうものだ」とは口が裂けても言いたくない。
だからこそ、どうにか社会を良くするために行動をし続けることを考えている。いま働いているSUGOIが掲げているビジョン「愛とアイデアのあふれる世の中をつくる」だって、同じことだ。
この世の中には愛とアイデアが足りていないのだ。
そんな思いを持っているときに、この本に出会ったおかげで、社会を変えるのは無理だとわかった。それは、絶望することではない。社会とはそういうものだから。
ただし、別の方法ならある。それが、エクスパンドだ。
社会システムや法律や土地所有や建築や都市計画を変えようとするな、と。
何かを変えようとする行動は、もうすでに自分が匿名化したレイヤーに取り込まれていることを意味する。そうではなく、既存のモノに含まれている多層なレイヤーを認識し、拡げるのだ。チェンジじゃなくてエクスパンド。
私たちは、学校を通して、親の教育を通して、世の中の見方を学ぶ。それはみんなに共通しているので、常識と呼ばれる考え方や思想の元となっている。
そのみんなが見ている世の中のことを、坂口さんは、「匿名化したレイヤー」と呼ぶ。誰のものでもなく、誰が作ったかもわからない、そして誰もが共有しているレイヤー。
この匿名化したレイヤーに取り込まれているからこそ、日常生活をスムーズに過ごすことができるし、逆に、この社会を変えようという意識も生まれるのである。
つまり、このレイヤー以外に、ものの見方がないと思うからこそ、システム自体を変革しなければいけなくなる。
しかし、このレイヤーをペリッとめくってみたら、そこには別のレイヤーが存在する。匿名化されていたレイヤーが、誰かのレイヤーになる、私のレイヤーになる、あなたのレイヤーになる。
この目の前の社会の見方を変えることで、可能性を広げることを、エクスパンドと呼んでいる。社会の方は一つも変わっていないのに、レイヤーの多層性を発見することによって、生き方が変わる。
これが、坂口さんの考える社会の変えかたである。
このような社会を変えるために、必要なこと。それは、生理的におかしいと思うことを受け入れない、そして、それについて「考える」ことである。
あれ、これおかしいな、と思うことがある。なんか納得できないことがある。人はそれを「そういうものだ」と受け入れてしまう。「仕方がない」と。
しかし、坂口さんはこう語る。
生理的におかしいことを受け入れてはいけない。それは疑問として、ちゃんと自分の手前でとどめておかなくては駄目だ。体内に入れて咀嚼してしまったら、自分が駄目になってしまう。
そして、この生理的におかしいことに対して考えるべきだと。考える、それは、自動化されたレールの上から降りることを意味する。
ここに乗っておけば問題ないというものがある。少し昔のもので言えば、「いい大学にいきましょう」「いい企業に入りましょう」などである。この自動化されたものに乗り続けること。それを生理的におかしいと感じても咀嚼してしまうこと。
それらは全て考えていないことである。だから、そのレールから降りなければいけない。降りて自転車に乗る。
この自分でこがなければ(考えなければ)進まない自転車に乗ると、コケる。何度もコケる。怪我をしながら、どうすれば進めるのかを学ぶことになる。
自動化されたレールの上に乗っていれば、できなかった擦り傷・切り傷である。しかし、それらの傷を受けながら進むことは決して無駄ではない。
それらの傷を受けているからこそ、自分で真剣に考え、自分なりのレイヤーを作り出すことができるのである。
ここが出発点である。ここが「生きるとは何か?」を考える場所である。ここから始めれば良い。社会を変えるのではなく、どんなレイヤーが潜んでいるのか自分の体で味わって、それを見つければいい。
いくら他人から無駄だといわれても、その経験は決して無駄にはならない。
「姑息な無駄は無駄で終わるが、壮大な無駄は大きな財産となる」
坂口さんの高校の卒業式で贈られた言葉だそうだ。
社会を変えようとしてしまっている自分のレイヤーに自覚的になること、そして、目の前のレイヤーを剥がしにかかること、そこから社会を拡張することは始まる。
馬鹿みたいだし、無駄に思えるし、無謀に聞こえることだろう。それでも、自動化された、誰のものでもないレイヤーではなく、自分の感覚でしっかり生きる方が、意味がある。
だからこそ、壮大な無駄を繰り返そう。