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第四十三話【*性表現と暴力表現があるのでご注意ください】

 もう、どれくらい時間が経ったのだろう?
 折檻部屋に入るやいなや、乱暴に両手足を後手に縛られ、猿轡を無理やり噛まされ、梁に吊るし上げられたお凛は、溺れる程の井戸水を際限なくぶっかけられた。季節柄その冷たさは耐えられないものではなかったが、緊く巻かれた縄が、水と自分の身体の重さでみるみる深く皮膚に食い込んでいき、お吉と男達に竹篦で叩かれるたびに、その激しい痛みと苦痛で気が遠くなっていく。

『あんたは私からしか折檻されたことないから知らないだろうが、あの男達の折檻はそんな生ぬるいものじゃない。中には、女を痛めつけるのが楽しくてしょうがないような男もいる』

 朦朧とした意識の中、不意に佐知の言葉がよみがえる。幼い頃、ここから逃げようとするたびに佐知から散々折檻を受けてきたが、これほど地獄の苦しみではなかった。

(もしかして、手加減してくれていたのだろうか?)

 だがお凛は、この状況で一瞬でも遣手である佐知の優しさを信じようとする自分が哀れに思え自らを嘲笑う。

「何がおかしいんだい!この!」

 無意識に笑みを浮かべたお凛の表情が、お吉には不遜に映ったのだろう。お吉は激昂し、さらに激しくお凛の身体を竹篦で叩きつける。

「いいか!お前は千歳屋だけじゃない!私の大事な息子にまで怪我させたんだ!
ああもう我慢ならない!切見世に叩き売るから顔だけはそのままにしといてやろうと思ったが、今すぐその綺麗な顔を切り刻んで殺してやる!平太!短刀を貸しな!」

 お凛を容赦なく打ち叩き続けていたお吉は、息を切らし命令したが、平太と呼ばれたその男は、なかなかお吉に短刀を渡そうとしない。

「早くよこせって言ってるだろう!」
「おかみさん、その前に俺らにも楽しませてくれよ、こいつは千歳屋の旦那に抱かれるのが嫌で逃げ出したんだろ?そんなお高く止まった女には、ありきたりの折檻より俺ら全員で嬲りものにしてやったほうがよっぽどこたえると思うぜ?」
「ふん、それらしいこと言って、おまえ達はただはやくこの女を犯したいだけだろ?死んじまった女とやっても面白くないからって、おまえ達が手加減してるの、こっちは気づいてるんだよ」

 忌々しげに言い放つお吉の言葉に、男達はばれたかと軽口を叩き、平太は梁に吊るされたお凛の長襦袢の裾から太ももをなぞるように手を差し入れる。

「おかみさん頼むよ、顔切り刻むのも殺すのも、俺らが楽しんだあとでも遅くはないだろう?」
「…」

 お吉が無言で顔をしかめたその時、折檻部屋に突然佐知が入ってきた。

「おかみさん、源さんが目を覚ましました」
「本当かい!」

 佐知の知らせを聞いた途端、冷酷で鬼のようだったお吉に母の顔が宿る。

「後はあんたらの好きにしな!」

 そう言い残し、お吉は源一郎の元へむかわんと急いで出て行ってしまった。お吉と入れ替わるように、今度は佐知が、寒々しく血なまぐさい折檻部屋の中へ入ってくる。佐知はお凛の目の前までくると、落ちていた竹篦を手に持ち、蔑んだような目でお凛を見上げた。

「佐知さん、これ以上の折檻は俺らが楽しんだ後にしてくれよ」
「あんたらの楽しみを奪う気なんてないよ、だけどこの子のとんでもない行動のおかげで見張り役の私までおかみさんに絞られたんだ、すぐ終わるから、恨みごとの一つでも言わしとくれ」

 忘八達は、女はこえーなと嘯きながらも、少しだけだぜと佐知の願いを了承する。
 佐知は思い切りよく腕を振り上げると、竹篦をしならせお凛の身体を強く打ち付けた。鋭い音が鳴り響き、お凛は顔を歪ませたが、やはりお凛の記憶通り、力任せに叩かれていたお吉の折檻ほどの痛みはない。お凛を何度か叩いた佐知は、竹篦を地面に放り投げると、皮肉るように言い放つ。

「おまえはこれからこの男達に姦される、あのまま千歳屋におとなしく抱かれてりゃ、あんたは他の遊女達よりずっといい目見られたってのに、本当に馬鹿な女だよ」
「…」

 なにも答えないお凛を、佐知は感情の読み取れない冷めた表情で眺めていたが、やがてお凛の頬に唇をよせ、耳打ちするように言った。

「最後におまえにいいこと教えてやる。前に廊下で会った片目の男を覚えているか?あいつの名前は伊蔵といってね、あんたに惚れてる。
折檻部屋の前で、あのでかい図体震わせて座ってたから何やってるんだと思ったら、あんたが折檻されてるのを見ていられなくて部屋の外に逃げ出したらしい、笑っちまうだろ?
あんたを助けようもんならあの男も命はないからね、惚れた腫れたと言ったって、所詮人間は皆自分が一番大事なのさ。これから忘八達でお凛を姦すからあんたも参加したらどうだいと言ったらノコノコと入ってきたよ、ほら、あの男」

 佐知が顎で示す方に顔を向けると、そこには確かに、何度か見たことのある隻眼の男が立っていた。お凛と目が合うや、自分を恥じるように俯き目を逸らる男の姿に、お凛は女衒に売られた日、自分と目を合わさず、泣きながら家に入っていったお夕の姿を思い出す。

「あんたはあいつらに姦されながら、自分がしたことを一生後悔するといい」

 最後にそう吐き捨て、佐知はお凛に背中を向け折檻部屋から出て行った。
 佐知が出て行くや、男達は待ってましたとばかりにお凛に近づき、梁に吊られた縄を切り猿轡を外す。お凛は後手に縛られたまま床に投げ出され、身動きできないお凛の身体に、平太が我先にと覆い被さってきた。

「へへ、花魁になるはずだった女が、まさか自ら俺らのところにきてくれるとはな。道中でも綺麗だったが、濡れた襦袢着て縛られてる姿も中々たまらないぜ」

 平太が襦袢の襟を乱暴に広げ、お凛の胸に獣のようにむしゃぶりつく。他二人の忘八達も囲みこむようにお凛に群がってきたが、佐知の言っていた片目の男はなぜかそこに加わってはこず、側で立ち竦んでいるだけだった。
 激しい折檻で気力も体力も全て失ったお凛は、下卑た笑いを浮かべる男達を絶望的な気持ちで見上げる。

 平太が乱暴に下腹部を弄び、お凛の顔に酒くさい口を押しつけてくる。そのまま口内に舌を差し入れられ、千歳屋以上に反吐がでるほど気持ち悪いがお凛に逃げる術などない。薄汚い男達に蔑まれ、舌を吸われ、身体を貪られ、あまりの屈辱に、もう涙すら出てこなかった。

 なぜ自分はこんな目にあわなくてはいけないのか?なぜ自分の思うように、生きることも死ぬことも許されず、こんな男達にいいように支配されなくてはいけないのか?
 絶望の淵にいながら、いつしか諦め失っていった反抗心と怒りが沸々と湧き上がり、お凛は平太の舌に、引きちぎらんばかりの強さで噛みついた。

「…っ!」

 平太は声にならない悲鳴をあげお凛から顔を離すと、お凛の頬に容赦ない男の力で平手を浴びせる。

「このあま!ふざけやがって!どうせおかみさんに切り刻まれんだ!今から抵抗できないくらいその綺麗な顔ボコボコにしてやる!」

 お凛が平太を睨みつけ、拳が飛んでくる衝撃を覚悟し身構えた次の瞬間、平太の手は、それまで傍観者のように見ていた伊蔵に掴まれた。平太も他の忘八達も、伊蔵の行動に唖然としていたが、とうの伊蔵が、一番戸惑ったような表情を浮かべている。

「あ…いや…」
「伊蔵さん、あんたがお凛に惚れてたことは知ってるが、今この女を助けたりしたらどうなるのか、さすがにあんたも分かってるよな?
どうせこれから姦す女だ、俺らが終わったらあんたにもたっぷり楽しむ時間をやるから、早くこの手を放してくんねえか?」

 平太はつとめて平静に伊蔵を説得し、伊蔵は唇を噛み締め項垂れる。俯いた伊蔵の瞳に映っていたのは迷いだった。自分の命と好いた女への想いを天秤にかけられ、究極の選択の狭間にいる男の目。伊蔵の暗く歪んだ瞳がお凛をとらえ、二人の視線が重なりあった時、お凛は衝動的に叫んでいた。

「お願い助けて!私は、千歳屋にも、こんな男達にも抱かれたくない!」

 そしてお凛は、意図的に言ったのだ。

「あんたがいい!伊蔵さん!あんたに抱かれたかったから、私は…」

 自分に恋い焦がれている男の理性を吹き飛ばす嘘を。その嘘は、かろうじて保たれていた天秤の均衡を激しく崩し、平太の身体は、伊蔵に殴られ地面に叩きつけられる。

「この野郎!気が狂ったか!」

 忘八の一人が刀を抜き伊蔵に切りかかったが、自らも刀を抜いた伊蔵は、怒りに任せ死物狂いで向かってきた男を、赤子の手を捻るように難なく切り殺した。その様子を見ていた平太は身体を起こし、怯えながらもなんとか伊蔵を宥めようとする。

「落ち着いてくれよ伊蔵さん、この女助けてほしくてあんたに惚れてるようなこと言ってるがそんなの嘘だ、この女は…」
「黙れ!」

 平太が言い終わらぬうちに、伊蔵は平太の喉元に刀を突きつけた。その時、もう一人の忘八が平太の目配せで、人を呼ぼうと扉に向かって走りだしたが、即座に気付いた伊蔵に背中から斬りつけられ、無惨に倒れこむ。

「お凛は俺の女だ!邪魔するやつはこの場で殺してやる!」

 伊蔵の気迫に圧倒されたのか、平太は必死に叫んで命乞いをする。

「わかった!大丈夫だ!俺は絶対に邪魔しない!だから命だけは助けてくれ!」

 刀を手にしたまま、殺気立った表情で平太を睨んでいた伊蔵は、やがで刀を鞘に収めると、お凛を吊り下げていた縄で、その場から動けないよう平太の手足を縛りつけた。

 お凛は、伊蔵と忘八達の争いを、どこか他人事のように茫然と眺めていたが、伊蔵の目がいよいよお凛に向けられた時、剥き出しの獣の本能が、陽炎のようにゆらめく男の瞳に恐怖を覚える。だが同時に、これから自分はこの男に抱かれるのだという、静かな覚悟がお凛の心を落ち着かせていく。伊蔵はお凛に走り寄ると、手足の縄を解きお凛を強く抱きしめた。

「ああ、夢みたいだ、俺はずっとあんたを好いていた!初めて見た時から、ずっとずっと、あんたを抱くことを夢見てきた!」

 唇が触れるほど顔を近づけ、熱に浮かされたように想いを告げる伊蔵を見つめたまま、お凛の瞳から涙が溢れてくる。それが一体何を意味する涙なのか、お凛自身にもわからない。
 でもこの男が、自分と同じなのだということはわかる。自分を決して好きになることのない女を深く想い、苦しみ、焦がれてきた、哀れで悲しい孤独な男。

「本当に?本当にあんたも、俺を好いてくれているのか?」

 不安気に尋ねてくる伊蔵の問いかけに、お凛は涙を流したまま小さく首を縦に降り、力無くぶら下がっていた自らの手を、伊蔵の背中に回す。
 自分はこの男に対して、なんの感情も持ってはいない。だけどこの男は、心底お凛を好いてくれている。千歳屋や、女を性処理の道具としか思っていない忘八達に犯されるよりずっといい。ただ、それだけのこと…

「伊蔵さん…」

 お凛は、佐知に聞いて知ったばかりの男の名を、縋るように甘く囁く。身体の芯が熱くなり、乾いていた下腹部がじんわりと濡れていく。それは、お凛の中で、綺麗事ではない女の性が目覚めた瞬間だった。


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