『埼玉県佛教幼児画展』2021年度
2021年度埼玉県佛教幼児画展にスタッフとして参加させていただきました。
最近、テレビの出演者が描いた絵をプロの方が評価するという番組を見たのですが、当然ながら絵の上手さを評価できても、絵を楽しんでいるかどうかを評価するのは難しいと思います。もちろん絵を楽しむためのひとつの指標として、上手さを評価することは大事なのでしょう。
「丸木美術館」をご存じの方はいらっしゃるでしょうか。同じ埼玉県内にあるこの美術館には縦1,8メートル、横7,2メートルの絵が展示されています。「原爆の図」と呼ばれるその絵には、作者の渾身の筆力が込められており、見る者を圧倒させる存在感があります。
私は一方で、こういった絵は“評価できない、いや評価してはいけない”ものだと実際に見て思いました。“評価してはいけないものがある”とそのとき私は教わったような気がしたのです。もちろんネットで探せばこの絵に対する評価はいくらでも見つかります。しかし評価でしかその存在の意義を私たちは確かめられないものなのでしょうか。この美術館がコロナ禍で存続の危機に陥った時、瞬く間に全国から支援金が集まりました。生身の人間が原爆で味わった苦悩を描いた絵を、支援者たちは評価してのことでしょうか。
あの美術館と支援者のあいだを結んだのは評価ではなく共感であろうと思われます。その関係性が、あの美術館を成り立たせているのだと思います。
個人の場合もきっと同じなのではないでしょうか。評価されること、うまくなること、それ自体が大事なのではなく、それらを通してでも、存在を認めあえる“関係”が育まれたかどうか。絵を通して感じたこと。それらを見ていてくれる人との関係が、その子自身をかたちどっていくのだと信じています。それが品評会ではない、展示会としてのひとつの場なのだと思います。
仏教でいう「縁起」の教えは、人と人がいてそのあいだに関係ができるとはいいません。関係そのものが人である、といいます。とても大切な教えとされています。関係をより深く育むのは、評価かそれとも共感か。それは私にはまだわかりません。
しかし子どもたちの絵から私は常に、単なる評価だけで換算できない関係をより深く見つけようとしています。ついつい評価を気にしてしまう自分ではありますが、そういった関係がいかに人を支えるものか、絵を見るたびに「きっとそうだ」と感じるからです。
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