長男が登山に行きたくないワケ。
こんにちは。mameko**です。
金曜日の今日は、寝る前に土曜日の予定をどうするか?を話した時に感じたことを書いてみたいと思います。
まずは遡ること、先々週の土曜日。
我が家は朝から登山に出掛けた。
自宅から車でおよそ1時間程度の全国的にも有名な滝がある、ちょっとした登山コース。いや、ハイキングコースくらいの比較的緩やかな傾斜の道。
4歳の次男は車を降りた瞬間から走り出し、どんどん進む。
一方で6歳の長男は、車を降りる前から「行きたくない・・」とポツリ。
「おや・・」と思いつつも、正直ちょっと面倒くさい気持ちもあり、夫も私も「ちょーなん君も早く行こう!」といったんスルー。
しかし、その後も長男の”行きたくない”は続き、最終的には「行きたくない~~!」と泣く長男に、「それだったら、一人でベンチに座っとく?!」なんてことを言ってしまう始末。
「子供は外で元気に遊ぶもの・子供は外遊びが好きであたりまえ」
そんな感覚で育った夫と私は、山道を元気に走り進む次男と比べながら、残念な気持ちがちょっとした苛立ちに変わっていくのを感じていた。
そして、今日の夜。
明日は土曜日、さて何をしようか?とベッドに入り、家族4人で会議。
先日のリベンジの意味も込めて、「今度は違う山に登ろうか!」と提案する私。
「うん!そうしよう!おれ、めっちゃ走るで!」とすかさず次男。
次男は、習い事中もずっと逆立ちでいたいと思うほど、体育会系な男だ。
一方、長男は・・・
「登山だけはぜったいにイヤ。」(でたでた・・)
私「なんで?気持ちいいじゃん。」
長男「だって疲れるもん。」(やれやれ・・)
私「無理矢理でも連れてく!」
長男「山だけは絶対にイヤ。山が怖いから。家族が山から落ちて危険になるのがこわい。」
・・・・・。
長男の真意はこれか。と感覚的に思った。
長男は昔から、精神的安全性や安心がなければ新しいこと、場所に進めない子供だった。
物理的に本当に安全か否かというよりは、長男自身が納得できる環境かどうかが大切だった。
そして想像力もあまりに豊か。
サメが来るから海に入れないと去年の夏は、せっかくの海を前に大泣きだったっけ。
そんなとんでもなく大きな想像力で、きっと山で起こりうるたくさんの危険をイメージしていたのだろう。
その危険に家族がさらされることに、子供ながらにとてつもない恐怖と不安を感じていたのだろう。
長男の「山が怖い」の一言は、母として、そう察するには十分すぎる言葉だった。
私「そっか、ありがとね。そしたら明日はいちご狩りはどう?」
この時期やっているのかわからなかったけど、思いつくのがこれだった。
長男「それなら行く!そういうのがいい!」
そんな会話の後、子供2人は眠りについた。
長男の真意が見えてよかった、という気持ちと同時に、先々週、長男が全身で発信していた恐怖や不安に向き合ってあげられず、ごめんねとも思った。
そんな時こそ、コーチングという対話で向き合ってあげるべきだった。
子育てをしていて、ああすればよかった、こうすればよかったは日常茶飯事。
でも、気づいた時でいいから、向き合うことをサボらずにいたいと思う。
どうせもう過ぎたことだから・・と親が勝手に処理しないこと。
子供の心は過ぎてからもずっと傷ついていることもある。
少し遅れてでも、ケアすることで致命傷は免れる。
そんな風なことを、自分へ言い聞かせるように大切にしている。
今日は先々週からだいぶ遅れたけど、長男の心が少しでも温かくなっていますように。
…夫はそんな私の気持ちはつゆ知らず、「いちご狩りー?この時期やっとらんやろ。」と簡単に一蹴していました。
さて、明日は無事にいちご狩りに行けるのかな?
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