弱い自分も含めて自分┊手術内容を告げられました
昨夜は一睡も出来なかった。
よりによって泣いてる時に看護師さんが点滴を見に来た。その看護師さんは、わたしの自傷跡を見て「𝘺𝘶𝘪さんが頑張って生きてきた勲章だね」と言ってくれた看護師さんだった。
ベッドに座って泣いていたら、「どうした?」と隣に座ってくれて。「何でもない、大丈夫。」と言っても「大丈夫には見えないけど?」と背中を摩ってくれて、流石に弱音が溢れてきてしまった。弱音を口にしたら止まらなくなってしまって涙もとめどなく溢れてきたけど、否定せずにわたしの気持ちを聴いてくれて寄り添ってくれて。
「記憶が無いって言っても飛び降りたのは自分。その事実は変えられないし、解離していたっていうことは他人にとっても自分にとっても言い訳にしかならないから結局自分を責めるところにしか行き着かない」
と、そんなことを話したら
「そんなに自分を責めなくてもいいんだよ」「自分で自分を追い詰めなくていい」
と背中をトントンしながら言ってくれたあの時はもうヤバかった。優しさが痛いほどだった。それでも考え方を変えることができなくて本当にごめんなさい。
弱音をやっと少し吐き出すことが出来て、自分が崩れそうだからと飲み込んで強く自分を保って心の悲鳴を無視していた、一見へっちゃらな自分の方が、実は脆くて危うかったんだな、と感じた。弱い自分も自分という事には変わりないのだから、弱い自分もちゃんと受け入れてあげないとそりゃあ心は潰れてしまうよね。
今は失声こそ起こしてしまっているけれど、常に力んでいた心が緩んでいる感覚がする。自然体が一番なんだな。
結局、自分を偽ることは、本当の自分を無視することなのだから辛くなることは当然。もっと肩の力を抜いて生きた方が生きやすいんだなぁ、ということに感覚的に気付けたことはわたしの人生の中で大きいことだったかもしれない。
自分の感情にもっと正直に生きよう。そう思えた。
これからも続く入院生活も、もっと気楽に頑張ろう。
夜、主治医の先生が来て、手術内容を告げられました。
潰れている骨を取り除いて、チタン製の金属を入れる手術をします
と、告げられた。要するに人工骨が入るってこと。
今のわたしは、正直何も感じられていない。多分、どういう事なのかということを受け入れたくないんだと思う。へぇー、人工骨が入るのかぁ〜。そのくらいにしか感じられていない。まるで他人事。
でも、手術を受けるまでにちゃんと受け止めて受け入れることができればいいかな、と思っている。まだ時間はあるから、急ぐ必要はないよね。
火曜日に母と一緒にきちんとした説明を受けることになった。その頃には実感がわいて来るかな。
外来通院していた時にもらったレントゲンの画像です。
下から3つ目の腰椎がバラバラに折れていた。破裂骨折の中でも割と酷い折れ方をしていたらしい。
このまま治ってくれたら良かったんだけど、骨が潰れてしまった以上、しょうがない。まさか、約2ヶ月の間に3回も手術を受けることになるとはね。
どんなに痛くてもどんなに辛くても、生きるしかない。
こんなに周りの人達振り回しておいて、これでわたしが今度こそ完遂してしまったら、申し訳なさ過ぎて成仏しようにも出来ない。周りの人達はどんな気持ちになることか。
生きるしか道は無い。これからも生きよう。