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初めての挫折は人生最大の挫折だった。


友達にお手紙書いてて、昔のことを少し書いたら仕舞ってた記憶が蘇ってきてですね。それをちょっと残したくて。これを書いています。


わたしは、所謂『優等生』でした。
勉強もそこそこできる。(ちゃんと学校通ってた時代は成績表で3以下をとったこともなければ、小学生の頃からCも1回もついたことがありませんでした。定期テストは上の10番目には毎回入ってました。)
何故か親は塾には通わせてくれなかった。
だけど周り(両親含め)からは幼い頃からかなり期待されて、「お前は本気を出せば高校だってどこにでも行ける」みたいなことを担任に言われたり。
ピアノも弾ける。リーダーシップがとれる。
昔は活発だったし明るかったし、学年委員になったりとか、小学校時代は委員会の委員長になったりとか。

『なんでも出来る優等生』
傍から見たらそうだったのかもしれない。
小5の心の傷を隠すためにも優等生でいた方が楽だった。
ただ、やっぱり妬みは買うもので。
中1の頃、まずはクラスでいじめが始まった。
夏休みに差しかかる前。とにかく、無視、無視、無視。
わたしは可愛い顔を残念ながら持っていなくて、韓国の血も少し混ざってることもあり、目つきもかなりキツい感じ。
一重でつり目で。
何となく教室を見てただけなのに
「睨んでくんな、痛い目みたいのか?」
みたいな事を言われたりだとか。
痛い目にも何回かあった。これは本当に誰にも言ったことなかったけど。
体育会系女子にボコボコにされて。

唯一の救いは部活とピアノだった。
だけど、部活でもいじめが始まってしまった。
当時は1年生だったから、3年生が引退した後、仲がいいと思っていた同じチューバの先輩が部長になり。
あんなに話しかけてきたり、「○○ちゃんやっぱいい子だわぁ」「大好き!」とかそんな言葉を掛けてくれていたのに、3年生が引退したら一気に態度が豹変した。
手のひらを返したようにいじめが始まった。
部長だから、部活の最初と最後のミーティングでわたしを名指しで非難するのは当たり前。毎日の日課。
あとはマウスピース投げられてエンド歪んだり、呼び出されて部長と副部長にひたすら詰められて責められたり。
暴力は流石になかったけど、部活でもいじめが始まって、主犯格が部長だからどんなに仲がいい同学年の親友でさえもわたしと口を利かなくなった。

家に居場所は元々なかった。(当時は父が居たから)
つまり、わたしに居場所はどこにもなくなった。
いじめの内容はほんの一部。もっと酷いことはされてた。
誰にも知られたくないから誰にも打ち明けたことはないです。

その時の目標で、そしてひたすら頑張れたことは、県のコンクールの予選に向けてピアノを猛練習すること。
ピアノに感情をぶつけてた。ひたすら弾いて、弾いて、弾きまくった。
テクニックは確かに上がって行ったけど、ある日、ピアノの先生に

「𝘺𝘶𝘪ちゃん、何かあった?最近音がすごく乱暴だし。いつも張り詰めた顔してる。笑顔もないし、何かあったの?」

と聞かれた。
話したいことは沢山あった。全て打ち明けてしまいたかった。
だけど先生に話してしまったら親に連絡がいってしまう。言いたい、全部言いたいけど親には心配をかけたくない。その葛藤で過呼吸を起こした。
その様子を見て、先生はこう言った。

「テクニックは上手になってるよ。すごく練習してるのが分かる。だけど、精神状態って音色に出てしまうの。それに、今の𝘺𝘶𝘪ちゃんの精神状態で舞台に上がるのは危ないと思う。コンクールは見送ろう。」

…絶望した。わたしから何も無くなってしまった。
学校にも部活にも家にも居場所がない。コンクールに向けて猛練習してた時間もパーになった。わたしはもうピアノを弾きたくなくなってしまった。
本当に、わたしから何も無くなってしまった。
成績だけは維持してた。それは「負けてたまるか」という気持ちと、成績が下がると父に激しく叱られるのが怖かったから。

夜な夜な泣きながら太腿を傷つけた。何故太腿か。それは勿論バレたくなかったから。
傷つけると一瞬だけだけど気持ちがスっと楽になる感覚を覚えてしまって、どんどん依存していった。
それでも何とか中1はほとんど休まず通い切った。

中2の始業式の日。わたしは過呼吸を起こして嘔吐して倒れた。
学校への拒絶反応と積み重なっていたストレスで、もう限界なんてとっくに迎えていた。
母は、詮索はしてこなかったけど様子がおかしいのはそりゃあ親なんだから分かっていて。
泣きながら、

「もう、学校行かなくていい。そんなに苦しい思いしてまで行かなくていい。なんにも出来なくてごめんね」

と言われた。
あぁ、結局苦しめてしまっていたんだ。
そう思ったのと同時に、“学校行かなくていい”っていう言葉で張り詰めてたものが溢れてしまって、いじめのことは言わなかったけど
「もう学校行きたくない。休みたい。ごめんなさい」
と泣きじゃくった。
そこから中学には1回も登校することはなかった。


わたしは元々気が弱かったけど、その分自分が頑張れることはひたすらに頑張っていた。
だから挫折というものを中学1年生までしたことがなかった。挫折しそうになっても食らいついてたっていうこともあるけれど。
人生最大の挫折が、初めての挫折になってしまった。
あの挫折で人生が180°変わってしまった。

今は後悔はしていない。
挫折があったから出会えた人は沢山いるし。道を踏み外したからこそ、普通の人とは違う色んな経験をして、苦しかったし苦しいけれど、わたしはこの人生で良かったと思ってる。
そして、これから自分次第でいくらでも変われる、とも思ってる。
だから、神様から与えられた試練を乗り越えて元気になれた時にはそんじょそこらの人達より強い人間になっていると思う。
人生は諦めない。生きることは諦めない。
わたしを傷つけた人達、そして病気になんか負けない。
這い上がってみせる。
負けず嫌いだから諦めない。負けたくない。


ただの自分語りになってしまってすみません。
吐き出したかったし、改めて負けないぞっていう決意を確かめたかったので書かせて頂きました。
長文、最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。


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