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受け入れられない病状

脳梗塞を起こした日から、弟の見える世界は一変しました。
呂律が回らず思うように意思が伝わらない。
全ての食事や飲み物ににとろみがつき、水分さえ普通に摂れなくなりました。

トイレも間に合わずオムツとなり、神経質な弟には匂いやヨダレ、都度の看護師さんとのやり取りも耐え難く、弟の混乱は日に日にひどくなりな、病院にいたのに何故?
こういうことにならないために入院していたんじゃないの?

何故?何故?
前夜に手に力が入らない、手足が浮腫んでいて何か変だと看護師さんに言ったけど「点滴の注射の後が腫れてるから」と言われたし、前日に急に歯の治療が必要だと親知らずを抜歯して39度超の熱が出てたんだ。
感染に熱はいけなかったのに何故今しなきゃいけなかったのか、熱が出なければこんな事にならなかったんじゃないの?
弟の何故?が溢れます。

入院以来、検査や治療をする度に悪い所が見つかり、どんどん病人になっていく、病気を作られている、病院に殺される、と受け入れられない病状に弟の言動も顔つきもどんどん変わっていきました。

外との唯一の連絡手段だったスマホも片手では持てず、入力が出来なくなりました。
数日後、弟は音声変換を思いつき、家族へLINEを送ってくるのですが、呂律の回ってない言葉では思ったようには変換されず、意味がわからないと言うと不機嫌になるので、暗号文のような文章を家族で解読するようなやり取りが日に何度も続きました。

時には不安や不信が溢れ出し、「お姉ちゃん助けて…俺、障害者になっちゃったよ、このまま死んじゃうのかな…」 と泣きながら電話がかかってくるようなことも数日に1度続きました。
50前ののおじさんが幼児のように泣きながら電話をかけてくる。
子どもの頃、転んだ、お菓子が欲しいとたどたどしい言葉で泣いて訴えていた小さな弟の姿が重なって私も涙があふれました。

弟の訴える言葉の半分も聞き取れず、LINEも電話も弟の伝えたい葛藤の半分も受け取ってあげることが出来ないまま、日に日に疲れては途中で入力を止めてしまい、会話も諦め中断することが増え、弟の不安、不信、不満がどんどん貯まっていったのです。

◾︎ 私の介護メモ
倒れるまで弟は意識もしっかりしていたので病院側からの病状や治療の全ては弟本人と行われ、私たちも弟を通してしか聞いていませんでした。
後からまとまった量の検査や処置の承諾書がカバンから出てきて驚きました。
私も母もお見舞いに行っては看護師さんに弟の訴えや病状を確認していましたがが、医師とのやり取りは倒れるまで設定してもらえず、入院してから2週間、連休だったとはいえ家族への説明は出来ていなかったのです。
病院としては本人に説明し、承諾書もとっていたかもしれませんが、弟がどこまで理解し、納得していたのか…。
朝の巡回の時に今日の検査予定を話され書類を出されたらサインするよ、必要だといわれてそこで嫌なんて言えないでしょ、とは後日弟からの話です。
義父母の時は治療の最終の決定権は私たち夫婦にありました。
夫の時は常に医師の説明には同席し、夫婦で相談して病状も共有し、治療についても理解し、納得していました。
家族の将来がかかっているので家族としても真剣でした。
独身の弟の家族とは…。
様々な事で今までの介護との違いになる最初の違和感でした。

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