子育て期に翻弄された母性愛神話・3歳児神話を、家庭科の授業で批判的思考を育成する題材として使った話
ジェンダーギャップ指数が低い国あるある
20年近く前、20代半ばだった私は、大学1年生で出産した。
ジェンダーギャップ指数が低い国あるあるで、
妊娠したいかどうかの合意なしに母になり、
母親になった途端、人権を大幅に失った。
家系に受け継がれていた負の連鎖の直撃を受けていた私は、
家庭や子どもをもつことを考えたこともなかったけれど、
エコーで子の存在を確認した時、本当に純粋に生き物として、
「この小さな命を私が守り育てる」と心が決まった。
とはいえ、
「自分がもつ負の連鎖を、子どもに受け継がせるわけにはいかない」
と強く思っていた私は、プレッシャーに押しつぶされ、すぐに鬱になった。
妊娠期、子どもの乳幼児期に私が鬱だったことで、子どもに神経系の発達に影響を与えたと負い目を感じていた。
しかし、臨床心理士さんとのセッションを重ねることで、それは子どもの父親が引き受ける責任で、私が責任を感じるのは子どもの父親に対するバウンダリーオーバー(境界線を侵害すること)だと捉え直すことができるようになった。
当時の私は、子どもに私と同じ道を歩ませたくなかったので、
それはもう強迫的に情報収集をした。
不安から、妊娠初期から分厚い育児書を購入したが、鬱状態で大脳が機能を制限していたため内容が頭に入ってこなかった。また、育児書を読むことで未処理だったトラウマ記憶が刺激されて、さらなるダメージを受けていた。
今なら「その情報収集は不安を増幅させる自傷行為のようなもの」とわかるが、当時の私は不安すぎてやらざるを得なかった。
傷を癒す習慣が無い国あるある
毒々しい環境で解離して(凍り付いて、固まって)育った人あるあるで、
子どもの泣き声を聴くと、自分の子どもに強く責められ続けているような怒りや悲しみといった情動が押し寄せてきてパニックになる症状が、子どもが泣くたびに出た。その症状が不快すぎて、子どもを泣かせておくことができず、利き腕の上腕二頭筋は力こぶがつくれるくらい発達した。
(*この症状に心当たりがある人は以下がフィットするかも)
今なら、自分の子どもの泣き声によって、子どもだった頃の自分の記憶が刺激されて、過去の自分の怒りや悲しみの感情が出てきたんだとわかるし、私自身のHSP気質、子どものHSP気質も把握しているが、
当時は知らなかったので、恐ろしく繊細な敏感すぎるわが子に、ひたすら翻弄され疲れ切っていた。
いつはじけるかわからない爆竹を抱えているような感覚。
私の母は、貧困×男尊女卑育ちで、20代半ばで心のよりどころだった母親を亡くしている。心の傷の手当てをする習慣もなかった。
私たちを育てた時の環境を聞くと、彼女はとてもありえない環境のなか、よくやってくれたと思う。私にはできないと思った。
ただ、環境が厳しければ厳しいほど、彼女の傷が深ければ深いほど、子どもへのダメージも大きく、
私が負ったダメージは、「しょうがなかったよね」で済ませられるものでもなかった。
HSP×自尊心低×バウンダリーオーバー日常×理論武装なしの若者の子育て一例
そんなサバイバル子育て経験者の母や、上の世代の女性たち、同年代の女性たちから、私が育児中にかけられた言葉が以下
風呂に20分以上入るな、私が子育てしてた頃は湯船に浸かれなかった。赤ちゃんを待たすな。
母乳がでないの?免疫あげられないから赤ちゃんがかわいそう。
母親がごはんをあったかいうちに食べきれるわけないだろう。
赤ちゃんが泣いていてもしばらく放って泣かせておけばいい。そんなにすぐに抱っこしちゃ何もできなくなるでしょ。
髪が長いと赤ちゃんに髪がかかるから赤ちゃんがかわいそう。
3歳まではお母さんが育てないと赤ちゃんがかわいそう。
お母さんがお化粧していると、赤ちゃんの肌についちゃうからかわいそう。
なんか、やたらと「かわいそう」という言葉をかけられた。多分、彼女たちがそうやって言われて言動をコントロールされてきたんだろうなぁ。
私は自分が出来損ないだととらえていたから、
子どもを「かわいそう」な状態にすることはできない。
鬱で本の内容が入って来にくいし、どの本をどの程度信頼していいのかわからず情報に振り回されていた。反論できるだけの理論武装もできていない状態。
母乳が出ない時期はこの世の終わりかのように落ち込み、
出るようになるとひたすら母乳を与え続け、
結果的に、私は24時間365日子どもと離れられない状況に陥った。
これも、鬱が悪化した一因。
今思うと、母乳は最初だけあげて免疫を移しておいて、後はだれでも面倒が見られるように粉ミルクにして、自分の心身の回復も大切にするというのが、当時の私のベストだった。
夜眠りが浅い子どもの場合、母親は妊娠後期の眠りが浅い時期も含めると、1年半とか2年とか、7時間8時間しっかり眠るという実感が持てない日々を送ることになる。
アメリカ軍の拷問の手法の一つに、「眠らせない」というのがあるというのを、大学の時に知った。「眠れないくらいなんだよ」という舐めた大学院生の男性を黙らせるために調べた。「眠れない」ことで精神が病みやすくなる。私は眠れない期間、見事に鬱から回復できなかった。
ただ、当時の私は自分を失敗作だと思い込んでいたので、周りの「かわいそう」という言葉に怯え、「もう2年まともに眠れていないんだよ。もう限界なんだよ」と心の中で思いながら、我慢していた。
私が大学に戻る時期も、子どもが3歳になったあたりにした。
核家族のワンオペ育児で鬱という条件だったら、
即保育園に入れた方がこどもの情緒的な発達には健全だったと今は思う。
でも、とにかく3歳までは家で育てなきゃと思い込んでいた。
大学に戻り、乳幼児期の子育てについて、教育学の教授が、
「子どもと家にいるのは1年でいい。2年3年もいらないよね。」
と、私が薄々感じていたことを言語化してくれて、心が救われた。
育児をして感じた疑問を、大学で思う存分研究した。
多分、かなり稀なケースだと思う。すぐ近くに研究者たちがいる安心感をかんじながら、子育てで謎があれば、大学に通っている間に思う存分調べることができた。
この時間があったから、理論武装することができた。過去自分が受けた傷を癒していない状態、自分にOKを出せていない状態での子育てだったが、「この方向、この対応ならまあ大丈夫」と確信をもち育児をすることができた。
心残りなのは、この時に心理学にもう少しハマっていれば、もっと早い段階で適切な手当を受けられたかもしれないということ。
信田さよ子さんの本をけっこう読んでいたし、関東圏に住んでいるのに、自分が彼女のもとでカウンセリング、トラウマ治療、自律神経系の調整を受けようと思いつかなかった。うーん、すごくおしい。
祖父母・そう祖父母の世代で戦争を経験×癒す習慣が無い国で営まれる家庭の毒々しさ、そこから抜け出す道のり
情報処理能力の高い女性あるあるで、
『家系のもつ毒々しさの歴史、戦争を抱えた国で大量に発生するPTSD患者が家族に及ぼす影響、親が自分のことを自分が望むようには理解ができないこと等』を、
ある程度自分で大脳をフルに活用して情報収集ができてしまう。
その作業もなかなかだし、やると一段階すっきりするので、それで自分は『理解した』と思うのだけれど、その理解はあくまで大脳での理解で、
トラウマ記憶の処理、自律神経系の反射的な反応が調整できたことを意味しない。(頭では理解はしているけれど、身体の反応が残っているので、人間関係に大なり小なり支障をきたしている状態ということ。)
頭では理解できているから自分は大丈夫と思いがちだけれど、
日常生活でトラウマ記憶のトリガーに出会ったときに、反射的に「おやっ?」という、バウンダリーを飛び越えた言動や、当時の恐怖の記憶が騒ぎ出して適切に動けなくなったりしてしまうことがある。
親の借金に苦しめられた記憶が癒えていない人は、パートナーの奨学金の返済を自分が助けたり、
親からの情緒的虐待に苦しめられた記憶が癒えていない人は、子どもが入院していようがなんだろうが子どもと二人っきりになることを拒絶したり…
バウンダリーオーバーが続くと相手は不快に感じたり、逆にとことん甘えてきたりする。ずぶずぶの共依存でない限りは、いずれ離れていってしまう。
子どもが新生児のころ、私の母に子育てを手伝ってもらったが、
彼女は、自分の当時の状況を整理したり、傷を癒したりしていなかったので、知らず知らずのうちに、自分が受けた虐待環境を娘に強要した。
「泣いても無視しろ」「泣いても泣かせておけ」「泣いてすぐ抱っこしちゃったら抱っこグセがつくじゃないか」「子どもはひとまず置いておいて家事を優先しろ」
私は私で、子育て中のふとした瞬間に、母から受けた情緒的虐待の記憶がフラッシュバックして気が狂いそうになっていた。
彼女が経験した、人権のない母としての生活が壮絶すぎて、
次第に、「母と話したい、何かを共有したい」とは思わなくなっていった。
どんな素敵な部分をもった人達でも、
繰り返し傷つく経験をすると、一緒に居たくなくなるよね。
自分を守るための理論武装と批判的思考の大切さ
大学に戻り、1年生だけど哲学の先生のゼミに参加させてもらって、
子どもの個性や人権を尊重する教育の在り方、保育の在り方を
貪るように学んだ。
教授はよく、「人と違う道を歩むなら、理論武装は必須」と話していて、
私は、自分の好きなようにしか生きられないから、理論武装をしまくった。
すると、日本には神話(神様のお話で、合理性や科学的根拠に欠ける逸話のようなもの)が蔓延していて、子育てを困難にし、女性の生涯年収や受け取る年金額を下げる一因になっているということがわかった。
厚生労働省も合理的根拠がないと認識している。
もっとアナウンスしろよって思っている。
元々社会科のコースで大学に入ったものの、家庭科に変更したのは、
子育て、家族を正面から扱えるというのが、理由の一つだった。
生活を哲学することができる。
5教科とはちがい、受験の制約がない分、授業の裁量が大きい。
数年後、家庭科の授業を受け持つことになり、
教科書は参考書程度の扱いで、授業の教材はほぼ自分のオリジナルで作成した。教科書の通りに授業を作ると、面白みのかけらもない。
また、一斉の伝達型の授業に慣れている生徒たちは、教科書に書いてあることを「正しい」と何の疑いもなく取り入れてしまうことが多い気がしていてたので、自分の感覚や意見を大切にしてほしいと思っていた。
だから、自分が読んで面白かった記事、本、ユーチューブなどを利用し、
教材を創り上げていった。
母性愛神話や3歳児神話を生徒に伝える時に参考にしたのは大日向雅美先生、汐見稔幸先生、研究が曲解され神話の基になったボウルビィの本。
神話が形成された歴史をさかのぼっていくと、当時世間に広められた記事や雑誌がどこでその時の記者や為政者にとって都合よく曲解されたのかが見えてくる。
歴史を追うこと、国際比較をすることで、その事象の解像度が上がる。
「批判的思考を養う」にはやっぱり「研究」だよなと思って授業をつくっていった。
教科書通りにやっている先生から「こんなにオリジナルでやると偏らない?」と言われた時、「そもそも教科書自体がその時々の為政者の思惑を反映していてそうとう偏っているものなんだけど…」と切り返し嫌われてきた。
アインシュタインが、
「常識とは18歳までに集めた偏見のコレクションである」という言葉をのこしている。
大学の時、高校生の課題の一つは「批判的思考を獲得する」と習った。
私はけっこう愚直にそこにフォーカスしてきた。
しかし、現場で働いてみて、そういう意識をもった教員は1/100くらいなものかなって感覚がある。意識があったとしても、教科との親和性もあってダイレクトに扱うのが難しい場合もあるだろうし、授業のおもろさや創造性をつぶす「どのクラスも足並みをそろえて教えないと」という思考によって、同じ学年を受け持つ教員が皆同じ教材を使って教えるスタイルが定着している教科もある。
「生徒を惹きつける授業創る自信ないなら教員辞めろ」と心の中でずっと叫んでいた。
また、批判的思考をもつ教員ほど、現場の軍隊運営に嫌気がさして現場を離れていく。
ただ、「それってホントかな?」って思えない人が大量生産されると、
ブラック企業がはびこるし、自分が悪いと思い込まされたまま鬱になる人、自殺する人も増えるし、年金も医療も教育も、政治家の暴走を止めることができなくなる。
今の日本のあり様そのものだと感じている。
教育はやはり大事。私は、やっぱり教育が好きなんだな。
ただ、軍隊でしかない現場には戻れないし戻らない。
育児期の仕事量が多すぎて非合理的な制度を変える余力もない
育児真っ最中の時は、このあたりの母としての葛藤を表現することがなかなかできなかった。
子どもは日々変化していくので、その変化に対応するのでかなりのエネルギーを消耗していて、更にヘルジャパンでの子育ては基本的に逆境しかなく、
常に待ち構えている逆境をどうかわすか、楽に乗り越えるかで頭がフル回転していた。
特に、この母性愛神話、母乳神話、三歳児神話のあたりは、
科学的根拠、合理性に欠け、現役親世代を無駄に傷つける、
負の連鎖を維持する思想。
「子どもをもったら最後、日本のカースト制度の中で最下層に位置付けられて、あらゆる人権を奪われる」
「日本の政策の不具合を日々実感させられる」
「政策がゴミすぎる。そのゴミな政策に搾取されている」
私はこう感じながら日本で子育てをしてきた。
絶対におかしいから、声を上げて変えていく必要があると、
子育てを研究しようと思った時もあったが、
子どもが日々成長して、喉元を過ぎると
そこに注意を向けることが難しくなってしまった。
子育て期は皆、目の前の子ども、生活に必死過ぎて、
明らかにおかしいのに、その構造を変化させようとする余力がない。
余力がないまま、子供の成長とともに過去になっていき、
おかしなシステムだけが残っている。
この女性を使い倒すシステムは与党にとって都合のよいものだったから、
だから、手を入れようとする流れが意図的につぶされてきたのもあるんだろう。
子育てが終わって、今の子育て世代がまだ神話に脅かされているのを見て、
「まだあんのかよ?!さすが既得権益をもっているおっさんによる、おっさんのための国、日本だな」と思いつつ、
ちょっと罪滅ぼしの気持ちも込めて、当時を振り返ってみた。