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6月西表ジャングル体験記

大学1年生としてのアメリカで濃密な一年を終え、帰国してからすぐの6月末に、沖縄の西表島にて一週間Iriomote JUNGLE CLUBに参加した。電気が通っていない西表島の奥地にある開けた土地でキャンプをしながら自給自足をして暮らしたのだけど、今思い出してもこの夏一番だと思えるくらい、すごくいい経験だった。出会う人、する会話は居心地がよくて、穏やかで、面白くて、こんなおとなになっていきたいと思える人ばかりだった。

そもそもジャングルクラブの存在を知ったのは、4月だった。遡ること春学期に、大学でとったデジタル人類学の授業でノーバートウィーナーという人物について勉強した。20世紀半ばに活躍した数学者で、サイバネティクスという概念を深めた人物。サイバネティクスに関してはウィキやこれが詳しいと思う。https://1000ya.isis.ne.jp/0867.html

とはいえ何なのかここにざっくり記すと、サイバネティクスとは、生物、機械、社会システムなど、さまざまなシステムにおける情報の伝達や制御の仕組みを研究する学問分野。フィードバックループを用いて、システムがどのように自己調整や制御を行うかを理解しようとする。例えば、温度調整をするサーモスタットや、生物の神経系による反応などがサイバネティクスの研究対象だ。(ChatGPT)

デジタル人類学の授業では、そんなコンピューターのはじまりである20世紀初頭から、現代まで発展してきたデジタルの世界についてのエスノグラフィーを読んでいた。

デジタル人類学の授業風景をお裾分け。学期末ころになると教授が授業にアメリカ版ミスドであるダンキンドーナツとコーヒーを持ってきて振る舞ってくれた。私はこの教授のデジタル世界に対するパッションがすごかったからこの分野に惹かれたと言っても過言ではない。すごく楽しそうに語るのだ。学期中の3ヶ月間、人類学の授業だったのかと聞かれるととたぶん違うのだが、歴史、政治、人類学、精神分析、物理をも扱う分野横断的なハイパー授業だった。

授業準備も兼ねて興味を持ち関連事項を調べているうちに、たまたま雑誌WIREDの技術哲学講義のという連載の、テクノロジーをデザインする人のための技術哲学入門、野生のサイバネティクスという記事に辿り着いた。

ここで筆者の七沢さんは、サイバネティクスを ”一言でいえば、自然や生命のような予測不可能な対象を、できるだけ予測可能にし、さらには制御可能にするための科学”と書いている。そして我々の生きる世界から不安定なものを減らしてきたサイバネティクスは、現在のAIのような精度にまで発展し、とうとう予測不可能なはずだった現実世界の出来事が完全に予測できてしまうような世界(デジタルツイン)がみえてきた。とのべる。

そこで再野生化の概念が出てくる。ここ数年WIREDは再野生化について熱心に記事を出していたので、私も何度か読んでいた。再野生化は、人間が管理していたものを自然のサイクルに任せる(戻す)という近年注目されている取り組みだ。森は自然のサイクルで再生するし、動物の食物連鎖がそこでは生まれる。連載筆者の七沢さんが唱える野生のサイバネティクスは、それを人間で行うという試みだ。

サイバネティクスが技術で自然を制御していくのに対し、Iriomote JUNGLE CLUBは、技術を持った状態で(=ナイフやテントや火を付けるマグネシウム棒を持って行って)再野生化する。つまりたんに人間が再野生化するのではなく、技術を持ったサイボーグの野生化を実験する。

大学の授業で技術と哲学の面白さに気がついたのでがぜん興味が湧いたが、これまで技術哲学というものを学んだことはなかったので自分がここに行ってついていけるのか不安があった。自分は気候変動畑の人間なので、西洋的キリスト教的な自然をコントロールするという価値観や、現在気候変動のおもな解決策とされるテクノロジーでさらに気候をコントロールしていくことについて、人類の歴史を振り返りながらその行き着く先について批判的に考えている。野生化や技術に関して興味はあるが、少し畑が違うように感じた。しかし、課題図書候補の中にLo-TEKと多元世界に向けたデザイン、現地の生物図鑑などがあり、これらの本を扱っているならばこのコミュニティと自分との親和性はきっと高いと確信できた。

ウェブサイトや詳細を確認してぜひ参加させてほしい!と思ったが、当然ながら参加してみようかな!程度の軽い気持ちで参加できるような準備と値段ではない。あきらめきれず参加するかは別にして勇気を出して連載筆者の七沢さんに興味がある旨をメールした。ら、時差にも関わらず日本の朝早くに返信をくださった。さらにトントン拍子に値段やアクセスなどの詳しい連絡が来て、私は暖かくウェルカムな姿勢に圧倒されてしまった。そしてああやっぱり行ってみたいと思い、参加させていただくことにした。結果的に、人生の進路も還るような素晴らしい体験や出会いができたので、ぜひ体験記を書いてみなさんに紹介したい。毎晩テントの中でランプを吊るして暑さと戦いながらその日おきた出来事を書いていたので、日記のような文章を、ところどころ直しながらそのままここに写す。

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月曜日の朝、石垣島からフェリーに乗って西表島に着いた。七沢さんは私のことを大学院生だと思っていたらしく、まだ専門分野も定まっていない者が来たことでがっかりさせてしまったかもしれないとおもい、申し訳ない気持ちになった。他の参加者に学部生はいない。自分が参加してよかったのか少々心配になった。

キャンプ場は広く、参加者が泊まれるよう気たときにはテントが複数準備されている。
ちゃんと一人一部屋あるので、けっこう居心地は良い。風通しはまちまち。

キャンプ場は広く開けたところで、海に抜けるジャングル道もあって、Starlink(今回私は使用しなかった)と充電ステーションがあり、ブックシェルフには読みたかったけどこれまで手が出せなかった本がたくさんあった。嬉しくて時間があればむさぼり読ませていただいた。


最高のブックシェルフ

ジャングルクラブは開催期間の2週間の間、自分が参加したい期間だけ参加するシステムになっている。朝の薪割りワークを終えたところで、お昼をいただきながらすでに参加している方にまずは自己紹介をした。高校時代に環境運動に携わっていたこと、西洋的な価値観が自然を制御しはじめ、その結果として気候変動を引き起こしたのだとしたら、気候変動の解決の糸口は、西洋以外の思想にヒントがあるのでは?という関心から現在はアメリカで脱植民地主義や哲学、マルチスピーシーズ人類学、土着建築などを学んでいる話をしたら、原島さんという方が関心が近いよ!と教えていただいた。夜にでもゆっくりお話しましょうという話になった。

午後のワークのあと、ブックシェルフにあった「思想」という雑誌で、原島さんの寄稿「感性と創造性についての基礎情報学的一考察」を見つけて読んだ。非常に感動した。哲学、情報理論、AIなどさまざまな分野がつながっており、春学期に人類学と哲学の授業を通して私が抱いた疑問の多くについて論じられていた。寄稿は気候危機と人道危機に関してから始まり、人間の美しい感性がどこに存在するのか、AIと人間の感性の違い、さらにウィーナーや西垣通などサイバネティクスの歴史についてなどかなり幅広く触れていた。勉強したばかりのカントの知性、理性、悟性についても論じられており、音読しながら反芻した。その論考は、愛とかなしみという概念についてで締めくくられていた。とても面白く衝撃的なものだったが、自分には難しい部分も多かった。その日の夜は結局疲れて、ご飯を食べて暑さにもがきながらなんとか寝た。たった5日間の宿泊で、夜しか使わなかったうちわがぼろぼろになるほど仰いだので、夏のギャザリングにいかれる方は命のために扇風機を持って行ったらいいかもしれない。

寝る時間、シャワーの順番待ちあたりの団らん。毎日ではないがドラム缶で風呂を沸かすので、贅沢な五右衛門風呂が堪能できる。だんだんドラム缶風呂を沸かすスキルがついて、早くつけられるようになるらしい。それ以外は水シャワーだけど、夏なのでめちゃくちゃ気持ちがいい。


二日目、目が覚めると右手がビリビリにしびれていた。どうやら横向きで寝てしまっていたらしい。また、昨日急に屋外で運動して体が驚いたのか、体中のむくみを感じた。実はこの一週間で体の調子が信じられないくらい整い、少し痩せて自宅へ戻ることになったのだった。また、朝は鳥の鳴き声も聞こえて涼しく気持ちよかったのだが、もしコットと呼ばれる網を張ったベッドがなかったら、下から来る風すらもなくて一体どうなっていただろうかと思う。顔を洗い、みんなでゆっくり昨日の残りの朝ご飯を食べて、9時半頃から、アキラさんのワークが始まった。アキラさんは、淡路島在住で、野菜の育て方や体の使い方や島での暮らし方についてのプロフェッショナルだ。

ワークはまず草を抜き、根っこを観察することから始まった。よく見ると、地上に生えているものと上下対称になっており、草がどのようにバランスを取っているかを確認できる。次に、猿が気を渡るように木に体重を乗せる練習を行った。力を入れずに、ふっと体重をかける。そして、柔道に似た方法で、4種類ほどのペアの相手の腕や体に力を入れるワークをした。古武術をやっているアキラさんに体の裁きを教わり、重心の変化に本当に驚いた。これまで柔道を5年間ほど(学校の部活で軽く)やってきたが、その当時には理解できなかったことだった。

自然のバランスを模倣する。身体には常に空気やエネルギーがかかっており、誰かが入れた力はその一部、ほんの微細な部分に過ぎない。正座してうつ伏せになり、ペアに肩を押してもらう。腰をそらさず、首に力を入れずに、種が目を出すように起き上がる。腰から骨盤を一つひとつ立てるように。中高の柔道部の先生が言っていたこと、練習したことが、こういうことだったのかと初めて理解できた。ピラティスで背骨を一つ一つ立てるレクチャーを受けたり、中学時代、自分には到底到達できないと感じた柔道部顧問の手の捌きが、力を入れずに行われていたことを知った。力を入れない方が強い。相手の力を利用する。選手時代に気がつけたらなぁ、と思った。

さらに、この古武術のワークは、体の使い方だけではなく、今回の滞在の中でキーワードとなっていたシステムにも応用できると思った。多元世界に向けたデザインの翻訳者のひとり、Poieticaの奥野さんがいたので、料理や洗い物や野菜の収穫の時間を使って色んなことを質問させていただいた。古武術ワークをしたとき、だらーんとからだを緩めたあとで、背骨から一つ一つ立てていった体は極めて安定し、前からの力にも後ろからの力にも動じなかった。同様に、ピンと張った糸は外側から力を加えると壊れても、逆に力を入れていない糸の絡まりは、変形して全体として安定性を保つ。外から加わった力を流し、あわよくば利用する。システムやネットワークも、どれか一つが切れてたり崩れたりしても周りから支えあえる関係性だと、全体としては安定し続ける。ジャングル生活で何度も鍵となる本として登場した多元世界に向けたデザイン(Designs for the Pluriverse)の著者、エスコバル(Arturo Escobar)はコロンビア出身の人類学者で、本の中では南米の先住民などが事例として多く紹介されている。冬学期に一度スペイン語に挫折したのだが、南米を深める理由が、またできたように思う。

夕方は、歩いて海に行った。私は長いもりを持つ。砂浜をずっと歩く。自分はフィンを使えばある程度深くても泳げるのだが、近くのサンゴはどれも死んでいて、あの西表島でも私が生きているサンゴを見れることはなかった。泳ぐのに疲れて、浜沿いの森のなかにある小さな滝に寝っ転がって上空を見た。その瞬間、青空と、疲れ果てた体を這う水の冷たさと、木の隙間からみえる発光してるような緑の光の感覚がすごくて、この夏一番記憶に残る時間になるだろうと確信した。

翌日は朝5時半過ぎに起きて、ゆうほー!時間ー!と呼ばれて車に乗る。朝ごはんは食べていない。車の中で地元の甘いバナナを食べ、スーパーで2リットルの水を買う。これからマヤグスクという秘境にむかう。全部で7時間で、歩きで、山道で、夏で、過酷だ。フェリーでマングローブの上流までいき、着いてからすごいスピードで歩き出す。はじめ30分ほどして息切れして、やばいついていけないかもと思ったが体が温まるとぜんぜん大丈夫だった。滝に出るたび水分補給をする。さらに歩き、滝に出る。滝を浴びて汗を流す。ここからが本番です!と言われ、山道に入る。ここからはヒルが出るといわれ、しばらく歩いてから靴を見るとほんとについてる。てか、土の上で立ってる。なんじゃこいつら。途中から泥道があったりして、そこは植生も完全に我々がイメージするような熱帯だった。

これは上流に向かうフェリーからのマングローブの写真。
歩いてる途中は写真なんかとってたらヒルにやられるのでカメラすら出さなかった。

そんな苦労をしてたどり着いたマヤグスクは、壁一面、岩が何千年間もの水が流れる力によって削れて城(=グスク)のようにカスケードになっていた。更にそこを登ると(まず登れるのに驚き。修学旅行だったら絶対に駄目って先生に言われそう)、崖に囲まれた開けた場所にでた。さらに上があり、そこにはまた背の高い滝があった。これ以上は登れないが、こんなに奥地でネットも繋がらなくて何十にも仕掛けがある滝は初めてだった。

写真はあえて掲載しない。本当に初めてでマヤグスクをみてほしい。歩く価値が倍増する。何時間も歩いて、やっとたどり着いたマヤグスクにぜひ圧倒されてほしい。上級者コースは、夏だと暑くて普段はしないそうなので、秋推奨、だそうだ。

原島さんが帰る前日の夜、ようやくかなしみについて質問できた。私の日記での理解なので間違っている部分もあるということを十分承知していただきたいが、かなしみは、端的に、他者をも自己と捉えること、なのだという。となると、地球は自己である。自己が地球を構成し、自己もその中にいる。自己も、眼の前にいるあなたも、地球という大きなシステムの中にいる。そんなかなしみの気持ちを、めのまえにあるものに持つことができたら、人類がこの環境破壊を見直せるヒントになるのではないか---ということだった。

のちの夕食では、海に打ち上げられたプラスチックごみの解決策の話をした。余分なエネルギーを使わないような解決策をひらめいたのだが、たとえ自分たちが見えるところだけきれいにしても、自分たちには決して見えない、感じられないところにまで、すでに環境汚染は進んでいるのだ。そこの砂浜のプラスチックをすべて回収しても、この(入れない)山にはもっと大きな人間の影響がすでに起きていて、さらに自分たちが感知できないゆえに、手の施しようがない。そんな、人間の域を超えた不可知な存在、ティモシーモートンのいうハイパーオブジェクトとどう向き合っていけばいいのだろう。眼の前のことをやっていくだけでは、塵が積もって解決!にもならず、そもそも不可能な領域がある。絶望はある。でも、人類の与えた悪い影響を、例えばこの西表島からなくすことが、唯一の解決ではない、ということに気がつけた。

毎日夕ご飯を囲みながら話す

また、ジャングルクラブを通して、それぞれの地域には、それぞれの環世界がある。という自分の認識を改める話もできた。地域ごとの自然環境に合った思想や技術のあり方について話をしたときだ。イスラムなど一神教が生まれた背景は、厳しい自然の中で奪われることが多かったからだという。だから神にお願いする。逆に西表島のような風土は与えられることが多く、そのような自然環境の地域では多神教がうまれていく。おのずからとみずからという本に詳しく書かれているというので、読まないと。ということは、ユク・ホイが中国の技術哲学を語るように、一概に西洋文化を批判するのではなく、その地域にあった思想だっただけではないか?と考えたい。テクノロジーによる気候変動の解決を否定するのではなく、それが合っている地域もあるのかもしれない、と考えたい。

帰りの車の中で、私がいつか現代思想に寄稿してみたいんですと言ったら、原島さんからきっとすぐにできるよ、というお返事をもらった。えっと思ったけれど、好きな分野をこのまま走って、どうにかいつかそこまでたどり着いてみよういう気になった。この夏の経験を通じて、少なくともいまのわたしは、自分は人類学と哲学を基盤にやっていきたいという気持ちが定まったように思う。自分が通う大学は周りに進学やアカデミアの道ではなく就職という選択肢を取る人が多くて、かなり迷いやすい環境に自分は置かれていると思う。どうなるかはわからないが、このままいけるかな。
さて、ここに書かれていること以外にも、都市の空き地を利用してアーバンシェアフォレストをつくる小田木確郎さんのComorisだったり、その小田木さんに建築の相談をさせていただいて土地の見方を教えていただいたり、奥田さんらPoietica(ポイエティカ)だったり、映画監督に関する話、武蔵美の大学院でデザインのゼミや、プラごみ回収のはなしだったり、あとスペキュラティブデザインの長谷川愛さんに歯間ブラシをもらったエピソードだったりもある。沢山の人の出会いと会話とアクティビティがありここにすべて記したいのだけど、語りきれないので心に留めておく。気が向いたら書き足すかもしれない(実際、じわじわ書き足している)。

これを読んで参加したいと思った方がいたら(きっといるはずだ!)、年に3回(3月、6月、10月)にギャザリングしてるそうなので、Iriomote JUNGLE CLUBウェブサイトを熟読して是非連絡してみてください。ポッドキャストもあるし、私はKotowariサマースクールに参加した人との親和性は高いと思いました。若い人の参加も大歓迎とのことです!

#IriomoteJungleClub

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