【日本一周 北関東編11】 富岡製糸場で生死を思う
・メンバー
明石、尾道、釧路、宮島
・絹100%の服の意味 筆者:明石
富岡製糸場へと続く道沿い、木枠のガラス戸の古い八百屋で驚きの値札を目にした。
山盛り5キロ入った新玉の網袋がひとつ500円。
安すぎる、、、。
観光地に限ってこういうのがあるんだよなぁ。でも、持って帰るの大変だし、諦め、、、ん?
レンタカーは地元で返すし、いけなくもないのか?
富岡製糸場を観光した帰りに、大量に新玉の入った袋を携えて車へ戻ったのは言うまでもない。
少し話が脱線したが、富岡製糸場へやってきた。東西にある置繭所はどちらも資料館になっており、操業当時の資料がもりもり展示してあった。
この資料館で初めて知ったのは、当時は女工や従業員の子供が通う学校等も製糸場内に併設されていたということだ。工場といっても無機質な作業場ではなく、1つの村みたいなコミュニティができていたのかもしれない。
また、女工を募集した際のこぼれ話として、技術者のフランス人の飲む赤ワインを血と勘違いした日本人が、「製糸場に行くと生き血をとられる」というデマが流れ、人が集まらず創業が3ヶ月も遅れたという。
日本人の外国人に対するバイアスは、恥ずかしいことに現在も多少なりとも残っているが、100年前はここまで荒唐無稽なものも信じられる時代だったのかと驚いた。
建物は木骨レンガ造による美しさはあったが、産業遺産というものは背景知識が豊富でなければ感動しにくい面があるため、“世界遺産”という肩書きの割には落ち着いた観光となった。
お土産屋の脇では生きた蚕が桑の葉をむしゃむしゃと食んでいて、その姿を見ていると生物を産業に組み込むということは殺生どころの騒ぎではないという恐ろしい実感が湧いてきた。
蚕たちはお蚕様として勝手に祭り上げられ、その感謝の裏で殺される。また、家畜として肉を頂く牛や豚に比べて、繭だけをもらうために殺すのは少し不健康であるように思う。
ましてや効率よく繭を採取するために品種改良され、空を飛ぶことのできない蛾として生を受けるなんて、神も仏もあったものではない。富岡製糸場は蚕にとってアウシュヴィッツそのものであるとの考えが浮かんで、背筋に寒気が走った。
しかし、現代人の生活には他の生物の死がぬぐいきれない部分まで浸食しており、それを解決しないままに同情だけを口にするのでは筋が通っていない。
だからといって、思っているのに何も言わないのも不自然だ。
ならば、なんとせう。
つまるところ、生活の中で生命の恩恵を受けたとき、胸の内に感謝を宿らせることが大切であると思う。そんなことをいちいちしていたら罪悪感で窒息してしまうという意見もあるが、できる限り加害者としてのスタンスも自分の中に存在させておきたい。
来るところまで来てしまった世の中で、失いたくない信条は意識的に守っていかなければならないと静かに決意した。
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