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第1回 『社会運動の現在』はどう生まれた?

————:座談会テーマは「2020年代の社会運動論」ということで、2020年に刊行された3冊のうち、まずは『社会運動の現在』から、お話をうかがいます。著者から、小杉先生コメントをお願いいたします。

小杉亮子:よろしくお願いします。青木さんと私は、『問いからはじめる社会運動論』『社会運動の現在』の2冊に、1章ずつ書きました。私自身は1960年代の学生運動の研究をしています。

私からは、まず『社会運動の現在』の執筆者の立場から、社会運動論を勉強するにあたってこの本をどう読めるか、という位置づけの話をします。そもそもこの本の発端は、長谷川公一先生が東北大学を退職するにあたっての節目に、ご自分で企画されたことにあります。長谷川先生ご自身が第1章を執筆し、編者を務められました。そういうわけで、長谷川先生の色が強く出ている本である、ということが大きな特徴といえます。

————:長谷川先生について、少しご紹介をいただけますか。

小杉:初学者向けに紹介すると、長谷川先生は「新幹線公害」の研究を出発点に、1980年代に「資源動員論」を日本に本格的に紹介された方で、これまで社会運動論の研究に強い影響を与えてこられた方です。その後は、日本の核燃料サイクル施設をめぐる問題や、あるいは米国カリフォルニア州の原子力発電所が住民投票で閉鎖された事例などについてモノグラフを発表されています。

————:『新幹線公害』『核燃料サイクル施設の社会学』をはじめ、ほかにも『社会学』など、編集部でも数多くお世話になってきました。

小杉:この座談会の準備として原田さんの『ロビイングの政治社会学』を読みましたが、NPO法が制定されるまでの1990年代の流れは、長谷川先生が40代に至って研究者として円熟味が出てこられる時期にあたるのではないかと感じました。大雑把な話になりますが、長谷川先生がお若かった1970年〜80年代には、社会運動は基本的には政治運動を指していたし、逆に言えば障害者運動や食をめぐる運動がすべて社会主義運動や政治運動のカテゴリーのなかで捉えられていた時期でした。

————:なるほど。昔からある「運動」のイメージですね。

小杉:それが1990年代になると、個別の運動がそれぞれの分野にあることが明確に認識されるようになり、抗議型の運動に加えて、NPOがつくられて制度化されていく時期に入る。この時期に40代を迎えて、長谷川先生は精力的に研究されていたと思うんです。原田さんの本を読むと、活気のある法律づくりのプロセスや局面があったことが伝わりますけれど、長谷川先生はこういうものを肌で感じてこられた研究者なんだな、ということがようやくわかった気がしています。(編集部注:座談会の後に長谷川先生による『ロビイングの政治社会学』書評が実現)

日本の市民社会がある種制度化されてくる、あるいはより多様になっていく過程を、肯定的に捉えて、実証的に研究してきたのが長谷川先生なのではないかと思うんです。社会運動あるいは市民社会について、基本的に育てたいと思っているし、「応援したい」というポジティブな姿勢がある。その姿勢が『社会運動の現在』にも表れているんじゃないかな、と。

————:研究者の立場から「応援する」というのは…?

小杉:この本では今の日本で起こっている、あるいは近年に起こった社会運動をマッピングしています。いろいろなテーマを扱う、いろいろなスタイルの社会運動が、それぞれ異なる著者によって16章分論じられているわけです。ですから、社会運動の広がりや多様性を知りたい読者や、そしてそれを研究者がどのように見ているかを知りたい読者にとっては、有用な本なのではないかと思います。加えて、長谷川先生から、それぞれの社会運動が多様な社会運動の中でどう位置づけられるか、ほかの社会運動がその社会運動から学ぶべきポジティブな点はどこかについても論じてほしいというリクエストがありましたね。

————:多様な事例を概観しつつ、研究の視点から意義づけや位置づけを行っている、と。とすると、既存の社会運動論の本や教科書のなかで、『社会運動の現在』はどんな位置づけになるでしょうか。

小杉:これまでに出ていた本を、教科書を中心に少し紹介しますね。まず、2004年に日本の社会運動論研究会が中心となって出した『社会運動という公共空間』(成文堂)があります。有斐閣からは『社会運動の社会学』が同じ頃に出ていますね。前年(2003年)には、東京大学出版会の「講座社会学」から矢澤修次郎先生編で『社会運動』も出ていました。『社会運動という公共空間』には、当時の社会運動論の理論と方法のフロンティアを紹介したい、と編者たちの狙いがはっきり書いてあって、そのとおりの本だと思います。いまも、とくに大学院生が社会運動論を学ぶさいには実用的な本だと思います。『社会運動の社会学』は、学部生に向けた体系的なテキストですね。

————:いまから見ると、全体的に理論的な関心に重心があるような…?

小杉:これらと『社会運動の現在』を並べてみると、現実にある社会運動の事例の多様性、つまり「こんなに社会運動の幅があるんだ」ということが、この本で知ることができる大事な点だと思います。そのうえで、実際に起こっているさまざまな社会運動にたいする各著者の分析まで書かれているので、たくさんのことを学べるのではないかと思います。

————:ありがとうございます。それでは青木先生、お願いします。

青木聡子:よろしくお願いします。小杉さんと同じく『問いからはじめる社会運動論』『社会運動の現在』の2冊を執筆しているという立場で、少しコメントします。

先ほども小杉さんからお話があった経緯から、基本的に『社会運動の現在』は、長谷川先生のもとで博論を執筆した人たちが主に(15章のうち10章分)書いています。そこでカバーできないテーマについては、ほかの方々に依頼して書いていただいたんですね。

————:門下生の方々を中心にしつつ、広がりを持たせた、と。

青木:先ほどの小杉さんのお話にもあったように、なるべくテーマを網羅することを心がけてつくられました。そのおかげで、長谷川ゼミの中でも、必ずしも社会運動研究をメインでやってきた人ではない人も書かれていて、その方々はけっこう大変だったかもしれません。社会運動という枠組みで、それまでの自分の研究活動をもう1回捉え直してみる、というかたちになるわけですから。

————:いつもと違う視点を求められた、と。

青木:ただ、そういう方たちは本当に現場を知り尽くしていて、そのフィールドの専門家みたいな方が、あらためて社会運動という枠組みでフィールドを捉え直していらっしゃるわけです。そういう意味で当事者というか、現場に非常に寄り添った、現場の目線からの論考が多いというのが、この本のアピール・ポイントかなと思っています。

————:本をつくるうえでには、多様であっても、一つひとつには深みをもたせたいわけです。何か1冊にまとめるうえで、工夫をされていたんでしょうか?

青木:各章でバラバラにならないように「4つの点を論じる」というルールが設けられていました。1つには「社会運動が社会のいかなる動きを背景に登場してきたのか」。2つめは「その社会運動がいかに社会を変えたのか」。3つめは、長谷川先生がこだわっているところなんですけど、「社会を変えるといったときに、政策的にどういう社会運動の効果があったのか」。最後4つめでは、「扱う社会運動の現状と課題みたいなところをきちんと書いて、それを現場にも還元しましょう」と。もちろん全員が全部をパーフェクトに応えて書ききれたかはわかりませんが(笑)、こういった狙いがあったように思います。

————:なるほど、すべてのハードルをクリアできているかは読者に判断を委ねるとしまして(笑)、もう少し具体的に本書の特徴を教えてください。

青木:長谷川先生は社会運動の研究者であるのと同時に環境社会学の研究者でもあります。ですから、さまざまな運動の中でも環境関連の社会運動はかなり比重が多めかな、と。環境教育とかダム、里山保全、反原発、有機農業、などが含まれていますね。もちろん、それらの各事例の話をするにあたって、各々の理論的な議論の展開もされているんですけれども。先ほどの4点、どういう社会的背景から運動が生じて、それがどんな社会的インパクトを持って、特に政治的な応答としてどういうものが引き出されたのか、そして現状と課題、この4点を中心に書かれています。

————:青木先生ご自身は、何か執筆の上で気をつけられたことはありますか。

青木:私の場合は、まず並行して『問いからはじめる社会運動論』の執筆をしていましたし、そちらでは因果関係を説明することが求められていました。そういった角度から自分の事例研究のプロセス、それを追体験してもらえるように書いたわけです。それに対して『社会運動の現在』では、「そもそも何が運動の成果なんでしょうか」といったことを問いたかったんですね。

————:先ほどの4点の3つめに関わりますか?

青木:ちょっと補足すると、先ほどの長谷川先生の志向(政治的な応答にこだわる)に対して、私はなんとなく「政治的な応答だけが運動の成果じゃないよね」と反発するところがありまして。だから、政治的応答以外の成果みたいなところを、もう少し考える視点というのを、自分の章では出しています。ちょっと「反抗期」かもしれないんですけど(笑)。結論としては、政治的な応答という編者の注文に応えるかたちで出してはいますが、それ以外の成果も考える章にしたつもりです。

————:反抗期(笑)。青木先生の考える社会運動論のおもしろさはどんなところなんでしょう?

青木:個人的には、私はいわゆる市民運動よりも、むしろ住民のドロドロした動きというか、「閉鎖的」あるいは「保守的」とは言われているけれども、それでも「自分たちの故郷を守りたい」だとか、そういった住民の運動が個人的に非常にひきつけられるし、心をつかまれるんですね。市民運動はもちろん重要なんですけど、意識や知識が高度でなくても、わかりやすい「資源」をもたなくても、「どんな人であっても運動はできるよ」という話をしたくて、私のところではあえて住民運動として展開された運動の話をしています。

————:取り上げられた「住民運動」というのは?

青木ドイツの反原子力施設運動の事例を扱っているんです。住民たちが無我夢中でもがいて抵抗した話で、その結果、強くは運動の目的としていなかった、つまり直接的な目標達成とは違ったかたちで、放射性廃棄物の搬入をストップさせることに成功した、意図せざる形で勝ち取った運動になっているんです。勝ち目がないかに思われていた、泥臭い抵抗がむくわれた、という話をしていて。これはドイツの話ですけど、その点で日本の運動の現場にもなんらかの還元ができるかな、と。そう思って書きました。

————:概要だけ聞いても、なんだかおもしろそうです。

青木:長谷川先生が強調していたのは、位置づけの話とも関連するんですが、あくまでも「社会運動論の現在」ではなくて「社会運動の現在」、そういった本にしたいんだと。それによって、現場の人たちに還元をしたい。さまざまな社会運動が今どういう課題を実際に抱えているのかとか、どういうマッピングになっているのか、そして研究者がそれをどう見ているのかを、実際に運動をしている現場の人に還元したい、そういった意図が強かったというのが、私の印象です。

————:書き分けるという面で、小杉先生はいかがでしたか?

小杉『問いからはじめる社会運動論』のほうは、私は基本的には方法論の教科書だと思っていたので、青木さんと同じように、自分の1960年代の学生運動に関する研究について、最初から一区切りつけて『東大闘争の語り』を書くまでに何をどうやったかということを書きました。『社会運動の現在』では、より論点を絞って、自分の研究の成果を報告するかたちになりましたね。「現在」というタイトルですけど、私がずっとやっているのは歴史研究なので(笑)。『社会運動の現在』という本で、じゃあ昔の学生運動を研究している自分に何が書けるだろうかと、現在性についてあらためて考えたわけです。

————:たしかに、問題意識を工夫せざるをえなかったでしょうね。

小杉:1960年代の学生運動は、当時すごく盛り上がったわけですが、どうしてあのように盛り上がったのかを、運動文化に着目して、特に空間に関する分析枠組みを用いて分析しています。背景には、いまの大学のキャンパスが自由な空間ではなくなっているんじゃないか、という問題意識がありました。学生が自由にそこで過ごせないというか。たとえば新型コロナウイルス感染症の影響で、各大学で学生のキャンパスへの立ち入りを禁止したりしている大学が出ましたよね。

————:そうですね。特に大学生は不自由な思いをしたと思います。

小杉:もし1960年代だったら「自分たちのキャンパスなんだから入らせろ」みたいな感じで、構内に入る学生が多くいたと想像するんです。今は「出入り禁止です」と言われたら「そうですか」となってしまう。

————:なるほど。なんとなく想像できます。

小杉:要は、キャンパスの主体が学生ではなっている。逆に、かつてあった、学生が自由に自分のものにできるようなキャンパスは、なぜ成立していたのか。このことを出発点に考えていったら、いまのキャンパスではなぜ学生運動が盛んではないのかということの理由がわかるんじゃないかという問題意識で書きました。

(以下、第2回へつづく)


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