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政治史の書き方,読み方,使い方 vol.2 ――『日本政治史講義』の場合 【上】

こんにちは,有斐閣書籍編集第二部です。

 昨年1月,ストゥディア・シリーズの一冊として『日本政治史』を出版しました。

 その刊行によせて,3月,牧原出先生(東京大学先端科学技術研究センター)をゲストに迎えて,座談会を行う予定でしたが,新型コロナウイルスの感染拡大により,延期しておりました。
 延期している間に,牧原先生は,御厨貴先生との共著による『日本政治史講義』を出版されました。


 そこで,あらためて座談会企画を再始動させ,この8月,オンラインのかたちで遂に座談会を開催するに至りました。

 座談会の出席者は,『日本政治史』の執筆者である清水唯一朗先生(慶應義塾大学総合政策学部),瀧井一博先生(国際日本文化研究センター),村井良太先生(駒澤大学法学部)と,『日本政治史講義』の著者の一人である牧原出先生です。

 この座談会の前半は,『日本政治史』を中心にご議論いただき,『書斎の窓』2021年11月号に掲載されております(「政治史の書き方,読み方,使い方――『日本政治史』の場合」
 
 後半は,『日本政治史講義』を中心にご議論いただいており,ここに,その議論を紹介したいと思います。


◆政治の全体像をとらえる

村井 早速,『日本政治史講義』のほうの議論を進めていきたいと思います。この本では,第1章が「日本政治と政治史学」となっています。それは放送大学の授業だからということもあるでしょうが,政治史/日本政治史は何を提供するのだろうという大切な議論だと思いました。

 さらに,そこから政治史というのは権力者の動きだけでは済まないんだということが感じられました。国同士の動きでも済まないし,権力者だけの動きでも済まない。ある種の社会史的な側面や生活史的な側面を,ポリティカル・コレクトネスの問題としてではなくて,政治の全体像って,そもそもこうですよねというのが非常に表われているのが面白いというか,優れたところだと思いました。これが,1つ目の感想です。

 2つ目は,非常に盛り沢山な本ですよね。この盛り沢山ぶりというか,サービス精神旺盛ぶりはすごいなと思いました。先ほど,少し,私たちの教科書(『日本政治史』)が高校の教科書を非常に充実させて大学生向けに書かれているのに対して,この本は大学院生が受けるような授業を大学生向けに書いているようなものだと申し上げました〔『書斎の窓』2021年11月号参照〕。大学院生って学部で数学を勉強していてもいいわけですよね。つまり,極論すれば,そこで新たに学び始めればいいということなんです。この本は,ある種の旅番組のような要素が入り,本編(通史編)があり,そして対話編があり,さらには資料紹介が入っているところもあるという,盛り沢山ぶりが本当にすごいなと思いました。


 また,それを支えているオーラル・ヒストリーです。さっきの社会史的,生活史的な側面が入るというのも,オーラル・ヒストリーを入れると当然そういう話が出てくるわけで,どういう生活をしている中でどう政治に関与するかが出てくるのです。それが政治史に深みや広がりを与えているんだなと思いますし,私たちの教科書もそういうようなところを少し背景に入れながら書かれています。

 3つ目は,たぶんこれは石油危機で分けるべきかどうかという議論(時代の切り方の問題)にかかわってくると思いますが,コンテンポラリー・ヒストリーが非常に充実していることです。この分厚い本の真ん中はどの時代だろうと思ったら,ページ数で分けると,池田時代(第九章 高度経済成長の政治)なんですよね。このことは,150年を書く本では画期的だと思います。

 しかも,通史を書くと,どうしても前で後ろを説明したくなると思うんですが,どうもこの『日本政治史講義』はそうはなっていないと感じました。つまり,通史を書くと,昭和期に侵略戦争をしてしまった,じゃあそれは明治が悪かったのかとか,これが悪かったから,その後こうなったと言いたくなると思います。しかしながら,どうもこの本ではそれぞれの時代の特徴というか,それぞれの時代の問題を扱いながら150年が俯瞰できるようになっています。無理に何かで何かを説明しようということをされていないのが非常に印象的でした。

牧原 ありがとうございます。

 ご存じのことと思いますが,本書は放送大学の印刷教材と映像教材(テレビ)を基にしています。放送大学はリタイアしたご高齢の方がもう一回振り返るために受講されるという面が強いです。そういう特徴が日本のオープン・ユニバーシティにはあるのだと思います。ですので,大学に行けないから大卒の資格をここで得ようという若い人よりは,ご高齢の方の学び直しを意識して構成しました。社会経験の中で歴史にふれている人がもう一度,学生時代に学習したことを,長い年月が経った後に振り返るという面が大きいのかなと思います。

 そうなると,例えば,古文書など歴史の一次史料も多少は読めるのではないか,何も知らないわけではないだろうという見通しから,この授業を始めています。何も知らずに高校から大学に入って,そして大学院に行くという人は,古文書の「こ」の字も知らない人がほとんどでしょうが,社会経験があると,どこかでそういうものにふれているだろうというわけです。あるいは,そういう人が関心を持って受講しているだろうという感覚がごく自然にあるんですね。ですので,史料から,田原坂は大変だったとか,こんなふうに岸信介が怒っていたとか,そういうような話を多少どこかで聞いている,全く知らないということはないのではないかという意識はありました。

 そうだとしたときに,ではそれをどういうふうに描くのか。やや講学的に,アカデミックに問いをぎりぎりと積み上げるよりは,少し幅を持たせようということを考えました。それが,社会史的な要素が入ってくるところなのだと思います。

 そのうえで,御厨先生もそう考えておられたと思いますが,いわゆる政治運動が政治を大きく変えるという運動史的な面は,全体的に比重を高くしていません。むしろ日比谷焼き討ち事件を書いているけど,そこでの叙述に加えて,連合艦隊が帰ってきてみんな喜んでいたとか,そういう議論をあえて入れているところがあります。

 あと一つ,私もあらためて村井さんたちの『日本政治史』の教科書と比較して感じるのは,トリックスターと御厨先生がおっしゃる人たちと,在野の政治批評,例えば本書が取り上げる馬場恒吾とか吉田健一といった人たちとの共通点というのは,啓蒙的ではない権力批判,権力批評だと思います。彼らは,吉野作造のように,大学の教壇から託宣をたれるように民本主義ということは言いませんが,こういう権力のあり方はおかしいのではないかということをはっきり言っています。だからこそ,知的権力の中心には位置せず,トリックスター的なのですが,そういう視点が本書に一貫しているという気がします。実は,そうした視点は,オーラル・ヒストリーとか,メディア政治の世界では,かなり広く見られます。また文学部的な政治史にはその傾向が強いと感じます。法学部的な政治史では,そうしたところは落として,あえて啓蒙的な政治批評を前面に出してくる傾向があるのではないでしょうか。そういうトリックスターを導入するというスタンスを,私と御厨先生は共有していたのかなという気がします。2人で意識的に話したことはないですが。

 そこが今おっしゃっていたコンテンポラリー・ヒストリーの扱いの話ともつながってくるところなのかなという気がしました。


(以下,政治史の書き方,読み方,使い方 vol.2 【中】 へ続く)



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