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「傲慢と善良」を読むと、生きづらさを感じてた自分を抱きしめたくなる。
友達の記事にいいねがたくさんつくとなぜか嫉妬する。
そんな苦くてざらっとした感情を経験した人は自分以外にもたくさんいると思う。
気にしてないようで人のことを気にしてしまうし、評価されなくても良いと思っててもやっぱり評価してほしい。自分のことを見てほしい。
SNSはほんの一例だ。
大学入試や就活、仕事の内容や交友関係などありとあらゆる瞬間。
喜ぶ人がいる一方で、悔しんでたり泣いてたりする人もいる。
辻村深月さんのベストセラー「傲慢と善良」を読むと、そんな日常に潜む心の闇を暴かれるような気がした。
なんでこんなにも感情を描けるのか
筋だけを追ってもものすごく面白いのだが、同時に読んでいて嫌になるくらいに気持ちを言い当てられた気がした。
現代の日本は、一人一人が自分の価値観に重きを置きすぎていて、みなさん傲慢です。その一方で、善良に生きている人ほど、親の言いつけを守り、誰かに決めてもらうことが多すぎて、自分がないということになってしまう。傲慢さと善良さが、矛盾なく同じ人の中に存在してしまう、不思議な時代だと思います。
婚活でうまくいかない原因は何か。と問われた結婚相談業をしている小野里のセリフだ。
「自分なんて」いう割には、無意識に相手を上かしたかで評価している傲慢さ。
素直で良い人だが、反面では決めることができないという善良さ。
描写の仕方がリアルで生々しくて、自分の中の見るのも嫌な部分を暴かれていく気がした。
でもこの「傲慢と善良」。自分には関係ないと言い切れる人がどれくらいいるだろうか。
読了後の清々しさは、自分と向き合えたから
見るのも嫌なくらいのリアルな感情描写。
読了後に清々しさを覚えるのは多分、読んでる最中に自分の隠していた気持ちに気づけたからだ。
誰にだって、人に優劣をつけたくなる傲慢さはあるし、自分で決められず流される善良さを持ってる。
だけど一番苦しいのは、その感情を無かったことにすることだ。
無かったことにはできないから、モヤモヤがずーーっと残り続けるし、
劣等感といった形で息苦しさになったりする。
でもその気持ちと向き合うのは辛いししんどいから。
だから今回読んだ辻村深月さんの「傲慢と善良」のような小説に救われる思いがする。
登場人物に共感する中で、自分だけじゃ無かったんだ。と安心したり、
自分でも乗り越えられるかもと勇気づけられたりする。
人に打ち明けたくもないようなモヤモヤが一つでもあるのなら、この本がそっと寄り添ってくれるはず。