敬愛する赤色巨星と白色矮星の2大巨匠
この世には心を鷲掴みする物が数多ある。
本当に雷に打たれたくらいの、自分の魂がビックリして飛び出すくらいの衝撃。
そんな、衝撃的な出会いをした2大巨匠。
2大巨匠を星に例えるなら、赤色巨星と白色矮星だ。
皆様は、彫刻はご覧になるだろうか…?
私が、ジャン ロレンツォ ベルニーニを知ったのは初めてローマのボルゲーゼ美術館に行った時のことだ。
それまでは全く知らなかった。
どうして日本の教科書にミケランジェロは載るのに、ベルニーニが載らないのか不思議でならない。
“プロセルピナの略奪”
他にも多数ベルニーニの作品が置かれていた。
大理石で作られた彫刻がまるで、肉感的な女体そのもので、弾力のある柔らかさを感じさせる。もはやもう大理石ではなかった。
「触ってみたい。」
痴漢する人の気持ちが分かった気がした。その衝動を必死で堪えた。
ベルニーニの彫刻は、これでもかと膨れ上がった赤色巨星。
ド派手なまでの官能美。
ストーリーから息遣い肌触りまで感じさせる。
それとは対照的な白色矮星は、黒沼令先生の彫刻。
出会いは空港展をみに行った時だ。
星が小さく小さく縮小し、コンパスの針の穴くらいの大きさに集約され、それはまるで“無”のような、恐ろしい静寂を放つのだけれど、ブラックホール寸前の吸引力で惹きつける。
余りの驚きに、友達たちに直ぐにみに行ってとLINEしまくった。
その次の週、LINEしまくった友達の一人に会ったら、
「黒沼先生は一階の彫刻室で教えてるよ。」
と言われてビックリ。
友達と共に会いに行き、緊張して何も話せなかった。天才が傍にいること自体信じられない。
彫刻も、凄いのだけれど、穏やかで優しくて非の打ち所がない方だ。
天才は安易と作品を作りそうだが、やはりそうではない。常に作り続け、厳しい目で自分の作品を見続ける。
天才の感性と作品に打ち込む時間、その両方で天才となり得るんだと感じる。
図々しく、先生の作成途中の女性の上半身の作品をモデルにアンドロイドを描かせて貰った事がある。
制作途中と言えど、私には完成作品に見えた。絵を描かなければ分からなかった事だが、描いてみると確かに歪み…とまでは行かないのだが、未完成な感じが分かる気がした。アンドロイドとしてそれは邪魔にならない不安定さだった。
とは言え、私の腕前と感性はそこまで凄くない。…残念ながら。
赤色巨星と白色矮星。
押し寄せる凄さと引き寄せる凄さ。
人の心を鷲掴みにするには、そのくらいの威力が必要なのだろう。
赤色巨星と白色矮星は、極端なようで本当は、全のようで無で、無のようで全で、表と裏のようなものなのかも知れない。
2大巨匠は恒星なのだ。
赤色巨星だろうと白色矮星だろうと、光を放ち続け、その先にまた新しい光を生み続けて行く。
スターダストは、その光に照らされて生きるのだと思う。