キングダムⅡ…みました
キングダムⅡ…見てきました。
カタルシスの解放はなかったけど、
まぁ、面白かったです。
戦いは始まったばかりですからね。
まだ、海のものとも山のものとも分からない…。
争いなど無意味だと、綺麗事を言うのは簡単。
でも、紀元前から人は屍の上に命を繋いで来たのだと、
命を束ねて繋いで来たのだと、
長い長い良いとは言い切れない歴史を感じました。
それは、ガンダムの宇宙戦争を思い起こさせ、
爆発で起こる光ごとに命の火が消えるのと同じでした。
例え、破れ死んだとしても、
無駄な命なんかない。
残った者が、その命の火を繋いで行く。
そして命の火は、
E=mcニジョウ
まさに、物質はそれぞれエネルギーなのでした。
私は命の火を際限まで燃やし尽くして死にたい派です。
でも、縛虎申の様には生きれない。
その何たるかを信じ切ることもできないし、
冷徹にもなれず中途半端に良い人でいたいから。
敵の武将に
「偶然ここまでやって来た。」
と言われ、
「俺たちは人の橋を渡って来たんだ!!」
と言う、奥歯を噛み締めながら劣勢を凝視する強さはない。
…なので、燃やし尽くすにも、
線香花火の様なものだと思います。
ラストシーンは、
秦のhyokoと、魏のgokeiの一騎打ちで終わるのだが、
「小国だった国を秦に滅ばされ、俺は秦を滅ぼすため魏の大将軍に昇り詰めた。」
と、gokeiは言う。
またしても、屍の一つ。
「そんなもの、いくらでも転がっておるわ!」
と、hyokoは一掃する。
まさに、戦乱の世。
食い合いをしながら、強い者が大きくなって生き残ります。
始皇帝となる、嬴政は
「500年の乱世が続いて来た。次の500年も乱世が続くだろう。
その乱世を終わらせる為に王になる。」
と言ったが、
結果はご存じの通り。
始皇帝となっても、今度は疑心暗鬼に苛まれ、
次々と、強い武将や側近たちを処刑して行く。
そして、
エーティーフィールドとも言える万里の頂上を完成させる。
始皇帝は礎になってくれた人々よりも、
自らが奪った何かの亡霊に取り憑かれてしまったのでしょうか?
アレ〜? 戰の意味って〜?
…と、思える結末ですね。
大きくなりすぎると、
その大きさに自分自身が耐えられるパワーが残ってればいいけど、
残ってないと自滅しちゃうんでしょうね。
そう考えると…。
やっぱり、戦ってムダじゃね?
と、一周回って思います。
能力のある人達が巨大な花火を散らして死んでいく様は
美しいけれど…。
その花火、違う所で散らしたら、もっと平和になってた様な〜。
結末を考えると、キングダムの面白さ半減なので…。
キングダムの推しはどなたでしょう?
私は、王騎です。
…グフッ。
そこなのか?…と、思われそうですが。
どこか、ハンターハンターのヒソカっぽくないでしょうか?
きっと王騎は、ゲイですよね。
言葉遣いなんかもそうなんですが…。
ゲイの方って、
地上から3センチ浮いた視線で世界を見ている気がしてます。
(勝手な偏見すみません。私からすればリスペクトです。)
王騎は騎乗からですね。
王騎からすれば
戦場はロマンのたくさん詰まった世界に見えていたのかもしれません。
信はそんな王騎のロマンの一つ。
そこで一つ、疑問に思うのは、
信はまだ子供です。
戦況の流れを感じられるのは頷けます。
大人になると何故か見えなくなってしまう時が来るんです。
前園真聖が、「ボールの流れが見えなくなった。」
って言う、アレです。
大人になるのって、そこが怖いですよね。
見えない大きな分かれ目…。
王騎は信以上に見えています。更に大きな流れを。
王騎だって見えなくなった時があったはず。
本当に知りたいのはソコだったりしてます。
どうやって王騎は最強になって行ったのか…?
そんな王騎さえ、破れる時が来る。
そして、巨大な花火となって消えて行く。
その命は、美しく散る為に生まれた様にも感じます。
そう考えると、三島由紀夫も、
巨大な花火として散りたかったのでしょうか?
…飛びすぎて不明ですね。
才能あるものとはそうしたものかと…。
映画の後、駅前に買い物に行ったら、
平和憲法への署名活動をされてました。
でも、署名は殆ど集まってませんでした。
…そんなものなんですね。
沢山の屍の意味って、あんまないのかも?