再び腰痛になり結局感謝したこと
普段から、ストレッチや歩くのを心がけていたのに、再び仙骨部痛と股関節痛になり、歩く事も出来なかなった。
落ち込む事はない。
なんでかって、治ると分かってるから。
「なんで分かるの?」
と、疑問を持ちそうだが分かるのだから仕方ない。
でもね。
「ストレッチも運動もしてるのに、なんで?」
と、少し悲しくなった。
接骨院の先生にそう話すと、
「痛くなるのが普通なんです。」
えーーーーー???
痛くなるのが普通???
「それでもストレッチしてれば年間10回痛くなるのが、8回になったり、9回になるし、治りが早くなったりするんです。」
ん?ん?ん?ん?ん?ん?
よく分からないけど、結果的にはオッケーってこと???
思うに、『治る』と思う根拠は、自分がちゃんとストレッチや運動していると言う自負なのかな?
そして、
1日目は、歩いて、寝たら、今日はだいぶ楽になっている。
本当は、
痛くならずに過ごしたい。
でも、
痛くなっても毎回回復する。
動くのもやっとだからかなりゆっくり1キロほど散歩して、その後、ストレッチを軽くして、横になる。
腰にかかる重力が一気に解放されて、
「はー、重力解放!!」
と、腰回りの痛みが和らぐ。
こんな時しか、重力を体感できないよね。
いつのまにか眠って目を覚ますと、LINEに
「食べる物とか、飲むものある?
無かったら持って行くから、
遠慮なく言ってね。」
と、メッセージ何来ていた。
ありがたい…。
やばいよね。こうして人は誰かに助けられて生きている。
このLINEで、ふと気づいた。
普段は非常食なんて置いてないのに、
「非常食買わなくちゃ。」
と、先週私の中の何かが催促して来て、レトルトの買い置きをしていたことに気づいた。
しかも、
痛くなる前日、痛くないから自覚はしていなかったけど、体はもうこの仕事は無理だと拒否を始めたらしく、上司に伝えるよう催促して来て、上司に相談していた。
だから上司も、急な病休にも対応してくれた。
つまりは、
自覚は全くないのに、痛くなってもいいように、自分(?)で準備していたようだ。
痛くなるのは運命で、運命だけど、何とかなるように、何かが私を助けてくれている…としか思えない。
結局は、辛い事が起ころうと、誰かが手を差し伸べてくれたり、見えない何かに守られていたり、感謝するしかない。結果感謝するしかない。
起こるべき事は起こる。きっとそれは避けられない。受け入れるしかないらしい。悪い事が起こると自分を責めたり、明日からのことを心配したりするけれど、責めたり心配する必要はないのだろう。
多分、何かが助けてくれるから、逃げようとせず受け止めて、感謝するのが一番なのかもしれない。
そうこうして
元の場所に戻れることに
また感謝する。