レトロパチパチ味と脱力系生き方の推奨
今年もパチパチの季節。
去年からパチパチデビューして、今年は限定品に手を出した。
お値段4000円。
高い。
高いのに、レトロな缶に一目惚れ。
息子はイチゴが好きだから、ストロベリー味はすぐに無くなる。
息子と二人で口の中でパチパチする音を耳のそばで聞き合いっこする。
楽しいチョコレート。
ただのチョコレートなら、4000円もするものは買わない。
高くても買ってしまうのは、それだけの価値があるから。
価値観は人それぞれ。
2025年は、自分を責めない。
楽しむ、楽する、頑張らない。
今まで頑張らないといけないと思って、無理して頑張ってきたけど、そんなことしたって何も良いことは無い。
いくつになっても頑張れる人はいるだろうけど、生きてるだけで頑張っているのだから、それ以外は頑張らないで良いのではないか?
風邪ひいても無理して仕事行って、またしんどくなって、目覚めると鬱になって、子育てして仕事しているとどうしてもお客様にも迷惑をかけてしまう。
3ヶ月に一回風邪ひいて、何にも思うとおりにならなくて、予定なんてリスケばかりで、頑張らないと何もこなせなくて、身体がしんどいと精神も病んでしまうことを痛感した。
育児はしんどくても休めない。
でも、仕事はしんどかったら休める。
頑張らないと出来ない事はやらない。
今日、頑張らないで出来ることをやる。
それを基準に生活を送ると、生きることが少ししんどくなくなる。
楽をする事を許す。
頑張った自分を褒めるより、頑張れなかった自分を責めない。
だって親ってだけで頑張っている。
頑張っていないなんて事はない。
だから、頑張れなかった自分なんていないんだ。
だから、責める必要もない。
生きていると頑張ることを強要される。
誰に?
社会に?
夫に?
自分自身に、だろうか。
これでいいのだ。
頑張る必要もない。
何もしていない自分なんていない。
生きている事が辛くなるときは、いつだって頑張りすぎた波が去った後。
洗濯もしてる、ご飯も作ってる、必要な物も注文した。息子も送り出したし、習い事の送迎もしている。
そういう小さくて当たり前に思えることも、存在意義として認めてあげる。
前に進んでなくても、足踏みしていても、ここにいるだけで良い。
楽しんでも良い。
どんなに不安な未来を抱えても、何が起こるかなんて分からない。
だからこそ、今の自分を大事にね。