00~01
この文章を読んでくれている方へ
去年の夏、自宅から投身自殺を図りました。
結果的に半年間入院し、今はリハビリをしてはなにかと身体の不調で入退院を繰り返す毎日です。
今から書く文章は希死念慮が度々ぶり返す自分に向けてと、もしこれを読んでいる方の中に死にたい、飛び降りたい、と考えていらっしゃる方がいれば、私が経験者としてお話しすることで抑止力になれば、と思って書いています。
某掲示板サイトで飛び降りのスレッドを立ち上げた時にあなたの書き込みで思いとどまった人がいると書いて頂いたことも文字に起こしてみようと思った理由の一つです。
勿論そうでない方、普通の感性の方なら只の大馬鹿なやつの体験談だと思って読んでもらえたらと思います。
拙い文章なので読み難いと思いますが思い出しながら出来るだけ鮮明に、わかりやすく書こうと思います。よろしくお願いします。
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もう本当に後がない。絶対に死なないと、絶対に終わらせないと。私なんて生きてることが大恥だ。絶対失敗しちゃだめだ。
私は元々高所恐怖症で、小さい頃は歩道橋を渡ることもできず泣き出してしまうような子供でした。
故に飛び降りという行為は大変勇気のいる事で
言葉の使い方は間違っていますが偉業というか飛び降りを成し遂げれば絶対に死ねると思っていました。
一瞬痛いかもしれないけど、すぐに終わる。一瞬の我慢だ。
飛び降りる当日、明け方まで"自殺方法"と沢山検索していました。
決まって検索結果に反映されるのは相談窓口の案内。自殺志願者を防ごうと映る液晶画面をぼんやりと眺めていました。こんなものを見ても決意は変わらないのに…私はとことん冷めていました。
ここ何日か1時間ほどしか眠れておらず、頭の中は"死"という1文字に囚われていました。
遺書を書くか書くまいか少し悩みましたが、何せ感情的な性分なので決意が揺らぐと思って書きませんでしたし、好きだったゲームや音楽も上記の理由で触りませんでした。
そして私はお昼の2時ごろだったと思います。悩む時間も勿体ない。なるべく早く実行に移そう、と思い立ち家を出ました。
軽食を食べた両親が寝静まった後、
唯一起きていた兄に靴が無いかと聞いたそうです。
恥ずかしい話、前日から意識がおかしく帰り道に失禁してしまっていた為、私の靴を母が洗ってくれていたからです。
靴を出してきてもらうと、私は外に出てエレベーターに乗り7階でおりました。うちの最上階です。
その間、上司から「なんで生きてる?〇〇さんはちゃんと死んだよ。なんでお前は死なないのか」と幻聴が頭の中でコダマしました。
ああ。わかりました。死にますから。本当に迷惑かけてごめんなさい。
それは今思えば私自身が作り出した幻でしかないのですが私の中でどうにか理由付けしたかったのでしょう。導かれるように私は階段通路で立っていました。
常人の思考回路ではなく、もう私には死ぬしかない。少し怖いけど一瞬、一瞬だ。大丈夫。一瞬の我慢だ。だけどもし誰かに見られたら絶対に止められる。それだけは避けなければ。失敗して自殺そのものが未遂に終わるなんてかっこ悪すぎる。
だから早く飛んでしまおう。
両親、生き恥じを晒して本当ごめん、こんな最低な子供は今日でいなくなるから綺麗に忘れて初めから居なかったように暮らして欲しい。
会社の方、失敗続きで尻拭いばかりさせて、皆さんの時間を奪ってごめんなさい。せっかく正社員で採用してもらったのに。こんな形しか取れない人間の屑です。せめて潔く逝きます。
友達、私と仲良くしてくれてありがとう。楽しかった。みんな幸せでいてね。
私は本気で死ぬことが最善だと思っていましたが
残った者に掛かる負担など何も考えていませんでした。むしろ考えたくなくて、逃げ出した結果でした。
私は塀に足をかけて落ちました。
落ちるまでが異様に長く感じて脚に強い痛みとその後に顎に衝撃が走ったのを覚えていて鈍い音がした後、私はそのまま気絶しました。
あとで聞いた話によれば、日曜日のお昼間だったので向かいのアパートの主婦の方が落ちる瞬間を見つけてくれていたらしいです。それと、落ちた場所で人を巻き込んでなかったのは本当に幸いなことでした。
警察と消防の方が来て、私は救急車で運ばれました。
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01
2週間ほど意識がなくて目が覚めた時、私は蛍光灯の灯の中にいました。
全身が鉛の様に重たくて、痛くて、喉のところはチューブが刺してあるし、歯が何本も抜けていることにも気づき、それでも意識は朦朧としていて
私は生きているのか死ねたのか、理解ができませんでした。
連日いろいろな箇所の手術をした為、全身麻酔で沢山せん妄の症状も起こりました。
死のうとしたくせに看護師さんが自分を殺そうとしていると被害妄想に襲われて喚き散らしたり、本当に手のかかる患者だったみたいです。
トイレにも歩けないので尿道は管が入り、排泄はオムツの上。形が無い形状で出た場合はシーツがうんちの色で染まり、交換する羽目になります。
汚物を処理してもらいながら
「いつも汚いことをさせてすみません」
「これが仕事だから気にしないで。いいのが出て良かったね」
顔に出さずに淡々と仕事をこなす看護師さんを見る度に、みなさん口を揃えてそう言うものだから申し訳なさで居た堪れなくなりました。
縫い跡ばかりの脚。顎の手術の時にできた気管切開の穴の空いた喉。自由の効かない身体。
たまに精神科医の回診に回ってきて、気分はどうか何か不安はないですかと聞いてくる。気管切開で声が出ない状態の為会話は全て筆談ボードで会話をしていました。
自分の気持ちも正直よくわからない。助かってしまった。こんなに欠陥だらけになっちゃった。どうして昼間なんかにやっちゃうかな。というかなんでやっちゃったかな。なんで抑えられなかったかな。助かっちゃった。自分家から飛び降りなんて、もしかして損害賠償みたいなことになってないかな。会社になんて伝えてあるんだろう。どこまで回復できるんだろう。本当に死にたかったはずなのに、すこし安堵している自分もいる。
いろいろと考えは浮かぶのに、声が出せないことも強いストレスでした。
毎日ベットに横たわりながら刷り込みのように失敗した、死にたかったからやったのにこんなに沢山問題が増えて、人様に世話を増やして、もう何がしたいんだろう。本当多馬鹿者の生き恥。と。
「これから自分、どうなるんだろう…」