2023年を振り返る(アート関連の感想・極私的メモ)
個人的メモ。もう新年ですが、昨年の「マイ感想ノート」を見返し、2023年「これリアルで見て良かったなあ」を振り返ってみようと思います。
▼シラス
ゲンロンカフェ完全中継チャンネル、私の感想としては、こんなかんじでした!!!
記憶のレコードグラフィック!!!!(力技)
▼展示企画編
(総括)2023年は美術館・展覧会がとても良かったです。
といっても私は行ける範囲でときどき行くだけですが・・・。
1月 弓指寛治 ”饗宴” (岡本太郎記念館)
初・ナマ弓指さん作品でした。
まずこの「岡本太郎記念館」という場所がめっっっっちゃいいです。
青山のハイファッションブランドが立ち並ぶ(絶対自分が行かない)住宅街に、ひっそりと、しかしデデンと建っている。
私は関西へ来て、岡本太郎の「太陽の塔」を見て衝撃を受けた。
タロー・ショックである。
美術館で太郎展を見てやっと太郎のことが少しわかった気がした。
そしてゲンロンで知った弓指さんと、私の「オオサカ体験」である太郎がつながった! 岡本太郎は大阪の人じゃないけど!
楽しかったです。
たぶん私はこれからも弓指さんと岡本太郎の作品がずっと好きだと思います。
4月 佐伯祐三 ―自画像としての風景 (大阪中之島美術館)
大阪で生まれた佐伯の一大回顧展。
絵のことは(特に日本美術は)全然分からないけど、なんかすげーよかった。
病気と闘いながら巴里で絵を描き続けた佐伯の一生が、絵と人生が重ね合わされながら分かるようになっていた。佐伯はわずか三十歳で客死した。
あの時代に巴里に(2回も)行くって、今では計り知れないくらいすごいことだったろう。まだまだ描きたいもの、試したいことがたくさんあったろう。
最期の絵(最後にかいた絵)が力強くてよかった。だから悲しかった。
私はユトリロとか荻須高徳も好きなのですが、それはこの時代の巴里の絵が好きなんだと思う。
その理由は、たぶん巴里という街(場)ではなくて、少なからずの悲劇(極貧、客死など)込で尚これほどまでに当時の人を惹きつける力、そしてそれに引き寄せられて巴里にわたった人たちの「気合い」とか「切実さ」に惹かれるんだと思う。うまく言えないけど。
11月 第75回正倉院展(奈良国立博物館)
めちゃめちゃめちゃめちゃ良かった。
とにかくまず、こんなに古いものがちゃんと残されていることへの感謝。
「公文書」に書かれた今でも読める漢字(意味は分からなくてもどういう文字なのかは分かる)。
そして今でも十分すぎるくらい美しい宝物たち・・・。
古いからすごいんじゃない(いや十分すごいけど)。
今でも螺鈿細工は光を反射し、ちいさなトンボ玉はキラキラとかわいい。
今見てもかわいいし細工がすごいし美しいのだ!
これらが今日本にあるのは、遣隋使(遣唐使)とか朝貢外交とか各国の戦略とか政治とかいろんな関係性があったのだろうと思う。
だが実際、宝物を見ると「こんなに昔から国と国が付き合っていて、命懸けで人が行ったり来たりして、それぞれの文化や芸術が伝播していったんだなあ」と素直に感動した。
次も見たい! あと、奈良国立博物館のカフェのごはんも結構美味しい!
▼交流
3月 総会
9月 ぶんまるin福岡
旅行としてもパフォーマンスとしても楽しみました!
ありがとう。ゲンロンとシラスとシラシー!
▼映画
「ぼくたちの哲学教室」
アイルランドの”荒れた貧困地域”にある私立男子校。
その地域がなぜ「荒れて」いるのかには歴史的な理由があり、環境から抜け出すのはとても難しい。
そこで生まれて育つ子どもたちを、哲学を実践しながら見守る先生たち。
教育の困難さを感じた。先生たちがどれだけ学校で頑張っても、地域の貧困は変わらず、男の子たちはあまりに簡単に暴力や死に引き寄せられていく。それでも逃げない大人たちのモチベーションはどこから来るのだろうと思った。
▼本
恥ずかしい限りですが、私は月1~2冊程度しか本を読まないような生活をしており、しかも今年出たものを読んでいるわけでもないので、ただの「読んで良かったぜええええ」を置いておきます。
積ん読(※ハカセに買ってもらったり貸してもらったりした本たち)がえらいことに。。。
でも辻田さんも言っていた。「買うことが大事。読むのは10年後でも良い」
積ん読を恐れない!
『日本語練習帳』など(大野晋)
これらの知識を日本語教師として、授業にすぐに活かせるかは(私の技量が足りないので)分からないけど、言語の「骨子」が分かっているのはすごく重要だと思った。
私にとって日本語は母語なので何も考えずに使うことはできるが、何も考えずに使えるからこそ、説明できないルールがたくさんある。
「なんで、このときは「が」で、このときは「は」なのか」とか。
いやまじで! 感覚とかニュアンスとかなんとなくはダメなのだ。。
語学は最終的には「こういうもんだから」と言うしかないのだが、少なくともおおもとの意味と経緯を知っておくことは、教師の心の安定になるなと思ったのでした。
「そんなの先生なんだから当たり前だろう」と言われるかもしれませんが・・・。
この業界は語学や文法について訓練を受けたわけではない人間も教えることができるため、正直きちんと説明できないことが私には山のようにあり、しかも「国語(私たちが学校で勉強した日本語)」と「日本語(外国人が外国語として習う日本語)」って全然教え方(アプローチ)が違うので、とにかく、不安でいっぱいのまま日々授業をしているのです。。。
大野先生! もっと早く知りたかった! 先生の本は読んで血肉にしなけれなばならんと思った。思ったまま1年終わってしまったが、気持ちだけはある!
『居るのはつらいよ』(東畑開人)
『野の医者は笑う』の前日譚と言えると思う。めちゃくちゃ面白い。
精神医療に関わらず、「人と人との関係」の話。イタいことも辛いことも書いてある。人間って面倒だけど、でも面白いんだよなあと思える。
たぶん「沖縄」という地が面白いんだと思う。一度住んでみたい。
『世界は五反田から始まった』(星野博美)
名著。家族の話は、空襲(戦争)と継承の話へ。
弓指さんの鉛筆の絵が合う。
というか、この絵がこの本の語りにスタイルを与えている気すらしてくる。
この本を手に五反田近辺を歩きたくなる(私はものすごい方向音痴なのでたぶん迷うけど)。
『訂正可能性の哲学』(東浩紀)
きっと何度も読み返さねばならないと思う。
私が人生で2冊目に読んだ哲学書です。(1冊目は『ゲンロン0 観光客の哲学』)
これは愛だと思う。
愛にもいろんな愛があるけど、これは東さんが提示するセカイ愛・人間愛なんだと思う。
愛がなければこんな本書けない。
『ふしぎな君が代』(辻田真佐憲)
これも今年出た本では全くないのですが、読んで「良かった」と思う本はあれど、「ありがとう」と思う本ってなかなかないのでご紹介。
私はずっと君が代が嫌いだった。
なんでこんなトロくてださい曲が国歌なの?
全然盛り上がらない。
ほぼすべての音に母音がつくという日本語のせいでもあるけど、1音に1文字ずつしか乗らないから、めっちゃ間延びする。
「き~み~が~よ~を~わ~」。。。
他の国歌のメロディはもっと明るくて、昂揚する、かっこいい、ババーンとしたやつで、「この国に生まれて良かった!」と思えるだろうに。
歌詞もやばい。
天皇賛美の歌、いやいやただの恋の歌、と揉める。
この曲がかかるたびに、戦争のこと、っていうか、先の戦争について国内で評価が割れていることが思い出させられる。
「君が代」という言葉すら口にすることがはばかられる。
そんな私が、君が代を「納得」できるようになった。
最高の国歌かどうかはわからないし、この国歌がいいと思うようになったら真正保守・右翼みたいだし、全然右翼になりたくはない!
ですが、これを(かなり苦労して)作った人たちがいる(しかも諸事情により結構いろんな人が関わっている)ということが分かって「OK」と思えるようになった。
そして辻田さんの「聞く国歌」(積極的に歌わずとも流れている歌を静かに聞くスタイル)も暫定的にいいと思う。
ほんとは歌える国歌が良かったけど。でも、いろいろ歴史見ていくと、確かに一朝一夕に新しい国歌が決まるとは思えない。
たぶんそれが決まっても君が代は「第一国歌」「元国歌」として流れるような気がする。
本当に読んで良かったというか、知って良かったと思った。
学校現場ではこれをざっと説明した上で、教職員も生徒も自分で歌うか歌わないか各自で決めたらいいと思う。
歌わないにしてもまず経緯を知ってほしい。
私は右翼になりたいわけではないが(いやマジで)、自分の国の国歌が「嫌い」という状況から「どうしてこの曲なのかざっと説明できる」ようになったことで、ちょっと心が楽になった。
歴史大事。ありがとう。
この本は、私のような、「君が代嫌い・君が代やばい」と思っている読者にも、とことん寄り添った作りになっていて、全然右翼ぽくないし、むしろ「昔の(明治の)日本、いろいろ大変だったんだな」と思えます。
とにかく公平中立(リベラル)な作りになっていますので、(いろいろ)大丈夫です!!!
・・・こんな感じでした。2024年も素敵なアートに出会えますように。
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