離見の見ゼアッ(福谷投手の投稿を読んで)
自己客観視、世阿弥が言うところの「離見の見」です。ドラマ「俺の家の話」でも出てきましたよね。
世阿弥の時代から現代に至るまで、自分を客観視することの重要性はまったく変わりません。なかなか難しいものですからね。
記事の中で福谷投手は、頭の中のモヤモヤを文字にして紙に書き殴っています。文字に自分の頭の中をアウトプットして自分でそれを見るという「客観視」により、今の自分を俯瞰で見ながら分析したのです。
カッカきてるときになかなかできるもんじゃありません。
そこにこそ福谷選手の大切にしているものが凝縮されている気がします。
さらにそれをnoteの投稿にまとめることでさらなる客観視も得られます。
素晴らしい方です。いちどお話してみたい。
私のフィールドでも客観視の効果をまざまざと見せつけられる場面がよくあります。例えば生徒や保護者との出会いの時点から。
なんらかの理由で学校に行けなくなった。こんなことが自分たちに起こるなんて。もう普通ではない、人生終わった…
そんな状態。本人以上に保護者の方が取り乱していることがよくあります。まずそれを”自分たちだけに起こった理不尽な災難”と捉えるのでは無く、どんな要因で、なぜそうなったのか、本当にデメリットしかないのか、先行事例を紹介しながら紐解いていきます。
そうすると解釈のし直し(リフレーミング)ができ、現状に対する認識が少しポジティブに変わり始めます。そこからのスタートです。
もちろん簡単なことではありません。特に古臭い学歴主義に囚われた大人(比率は男性が圧倒的)は、生徒の変化という事実を時間をかけて受け入れ、我が子を認める、なんてことがあります。
現実を認めたくない人は自己客観視なんてしないですからね。でもそれは誰しも陥ることですよね。
だからこそ意識的に、特に状況や心のコンディションがよろしくない時こそ離見の見が必要だと思います。
「ドラゴンズの選手は何も考えていないのでは無く、なんとかしようと気負いすぎてカチコチになっている」
とラジオで山本昌さんが言っていました。打撃陣も福谷選手のように自分を客観視しながら打開策をとことん探ってほしいものです。
無心というものは考えに考え抜いた先に辿り着くものなのかもしれません。それもせず闇雲に無心になるだけではどうにもならないこともありますよね。
仕事問わず気にしておきたい事柄だと思います。