「後悔しない人生」について思うこと
今日書くことは、たぶんめんどくさいことだと思う&そんなにまとまってない(笑)
それを承知の上でよろしゅう(笑)
後悔する人生としない人生どっちを歩みたいと聞かれたとしたら、大体は後者を選ぶと思う。
個の時代と来て、次はコミュニティだとかなって、一個人が発信することが容易になってきて、自己啓発の本もすごい増えてきたなと思う。
そんな中でどうしても違和感を隠しきれないのが「後悔しない人生」っていう言葉だ。
そりゃ、後悔しないにこしたことはないさ。
でもぶっちゃけ、
「後悔しない人生って無理だと思う」
めんどくさいのはわかってるし、言い方の問題だと思うのもわかってる。それに全部が全部そうであるとは思ってない。
けど、どうしても違和感を感じてしまうんだ。
何に違和感を感じてるかって、まだ違和感についてを完全に言語化できてないんだけど、「それ、あとで後悔するよ?」とか「それ知らないとか人生損してるわ」とかそういう感じのことを話す人がいる。それに無理くり引き込もうとする人達。
そのような現場や人達を見て、
「放っておけばいいのに...。」って思うのだ。
【人生は選択の連続。そして過去は変えられる】
好きな小説の1つのセリフにこんな言葉がある。
「偶然でもない、流されてもいない。私たちはみんな、
自分で選んでここに来たの」
映画化にもなったから知ってる人も多いと思う。
そう、「君の膵臓を食べたい」だ。
小説で読んだ時は、めちゃくちゃ驚いた。まさか、自分と同じような考えが小説に載っているなんてって。
語彙力がない僕は、「運命」とか「偶然」という言葉を使ってしまうが、そもそもそんなものないと思ってる。
宗教信者の人には申し訳ないとは思うけど、神ってものも信じてない。
「運命」とか「偶然」という言葉を使うと大いなる意思などの別の力によって今がもたらされた、というような意味合いになってしまうように思える。
最初の話も交えて話をすると、生きていればいろんな選択を迫られる。
選択を迫られるけど、全てがあと先のことまでじっくり考える時間なんてない。
だから、直感や経験則で物事を決める。
それが後悔しようがしまいが、いい出来事になろうがならまいが、自分で選択したこと。だから、どんな状況になろうが人のせいや環境のせいにせずに受け入れなければならない。それが嫌であれば、なんでそうなったか、次そうならないために改善して行かなきゃいけない。
誰しも理想の人生というものがあると思う。何もせずノホホンとして、理想に辿りつけるなら、羨ましいかぎりだ。でもそう簡単には行かないのが現実だ。
話が少し戻るが、選択を全部あと先のことまでじっくり考える時間なんてない。
だから、直感や経験則で物事を決める。
いい選択をするには、経験数を増やさなきゃいけないし、失敗数も増やして行かなければならないと思う。
失敗は、怖い。
失敗したらどうしよう。失敗したら、周りからこう言われるだろうな。とか色々考える。怖いと思うのは、失敗をネガティブワードとして捉えてるからだと思う。
失敗を自分を成長させるものや挑戦した勲章として、捉えればワクワクしないだろうか。
実際、挑戦して失敗したら、周りからとやかく言われる。
けど、そんなんで諦めるくらいなら、その程度だったってことになる。
そうであれば、最初から諦めた方が時間の無駄にならない。
でも、失敗しながらも、だんだん成功しそうになってくると、とやかく言ってた人がだんだんと自分のことを応援しだす。
人が他人を見る時、過去や現在の自分しか見てない。
誰も他人の未来なんか見ちゃいないんだ。わかりっこないんだ。
だから、自分で作っていくしかない。
そして、成功すると、失敗続きの過去がポジティブに変化させられる。
あの時があったから、この失敗があるから今があるんだって。
だから積み重ねた「自分の意思」の結果として今がある、と考えると、自分の責任としてきちんと受け入れられる。そんな気がする。
過去を振り返って思うことだけど、チャレンジせず人の批判ばっかりしてた過去を思い返すと本当に惨めだなって思う。それにチャレンジしてる人が羨ましかっただけだったのだと思う。
長くなったけど、今の僕はこんなスタンスがあるから、いいことがあった際は過去の自分に感謝するようにしてる。
「運命でもなく偶然でもなく、自分の意思がもたらした結果」だから。
そう思える方が、ハッピーになれるしね。
後悔して、本当に自分のことを嫌いにならない限り人は変わらないよ。
だから、後悔しない人生より後悔をプラスに変える人生の方が僕はしっくりくる。
後悔は、改善の糧になる。
終わり。
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