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元不登校児の、子供の不登校。

家庭を平和にし、
世界を平和にする。
「現代版あげまんのすゝめ」提唱家、
古川裕子です。

夫と一緒にあがっていける「あげまん」は、
「子育て」にも、能力を発揮すると考えます。

そんな私の「子育て」のことも、
このnoteに書いていきます。


ウチの小2の長男は、
2021年11月くらいから、
学校にいくのをやめました。

その少し前から
「行きなくない」と言うようになり、

本音を言えば
実はもうその時点で
たっぷり休ませてあげたい気持ちがありました。

私は小3-4で不登校をしており
(当時は「登校拒否」と呼ばれてましたね)

自分が既に経験済みなことから
「学校に行かないこと」に対して
何の不安も持っていなかったので、

休みたいなら休ませたいな

と思っていました。


しかし一方で、

でも、そんな私の経験則だけで、
私の本音の判断だけで、
休ませていいのかな

と言う、一抹の迷いもありました。


「不登校という過去を持つ自分」に対して
引け目こそ持っていませんでしたし、

どこにでも公表して、
誰にでも話せる過去にはなっていましたが、

「不登校をした自分だからこそ」
というものも、当時はまだ持っていなかったんです。


ただね、当時、

「私は将来、学校に行けない子供のための
 カウンセラーになろう!」

と思った記憶はありました。

私は学校に行けない自分の気持ちを
言葉に表すことが
当時はまだできませんでした。

だから、

大人になったらそんな子供たちを守りたい、
私が気持ちを代弁してあげたい、

と思ったんです。

「カウンセラーなんて、
あなたは他人に感情移入しすぎるから無理」
って、母には諭されましたが。


「他人に感情移入する、
 感受性が豊か」

小学生の頃、毎年通知表に書かれた言葉です。

学校に行けなくなったのも、
そんな理由からだと思います。

だからこそ母も心配したのだと、
今の私ならわかります。

そしてやっぱり、

「学校に行きたくない、行けない、
 でも理由は上手く言葉にできない」

そんな長男の気持ちは
私には手に取るように、わかる気がしました。


長男をすぐに休ませなかったのは
10月の運動会は、
あの子がすごく好きなものだから、

運動会までは出ないと後悔するんじゃないか?
と勝手に母心に思ったこともあります。

運動会の練習をするために、
騙し騙し登校させていました。

それでも、1日置きくらいになってたかな?


でも、その運動会で、
これまでかけっこで1位しか取らなかった長男が
走る気を出せず初めて最下位を取ったのを見て、

もっと早く
ゆっくり休ませてあげるようにしても
よかったのかもって、
帰り道に思いました。

長男にとっての
「活躍できる楽しい運動会」を、

今回は出なかった方が、
そのまま保存できたんじゃないか?
と、一瞬思ったからです。

その結果、
長男にあの運動会はどう記憶保存されてるか?
は、後で書きますが、

こんな私の思考も
今思えば、
その場だけのあまり重要にならない思考だったなと思います。


運動会が終わって、
長男と合流してすぐに、

「ここまでよくがんばったね。
 大好きな運動会もやり切ったことだし、
 お母さんは、しばらく学校を休んでいいと思ってるよ。」

と、長男に伝えました。
少しホッとしたように見えました。


そこから3週間ほど、
「学校に行く」と言う選択肢をオフにして
ただ、がっちりと学校をお休みしました。

学校には、

「長男は少し疲れているから、
 しばらく学校はお休みします。
 プリント類だけ、金曜日にまとめて取りに行きます。」

と話しました。

これ、他人に話すと大笑いされるんですが、
本当の話です。

私は本当に「そのまま」を話しました。

学校の先生方も理解してくださり、
とても親身に気に掛けてくださいました。

次に続きます。

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