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子どもに自主性を求める前に、大人の自主性はどうだろうか?と思った話

「自主性」を育む学校

 昨日、町内にあるオルタナティブスクールの見学に行きました。

 「イエナプラン」というヨーロッパ式の教育を取り入れた学校で、夫が「ぜひ見に行こう」というので見に行ったのですが、正直私は見に行くまで懐疑的でした。

 「イエナプラン」は自主性を目的とした教育法ですが、日本の集団で育ち、日本の集団で生活してきた大人たちが、どこまでそれを実践できるの?先生や学校を作った人たちは、何のために新しい学校を作りたいと思ったの?本当に子供のためになるの?と疑っていたからです(辛口)。

 結果、現場と仕組みを見させてもらって、本当によくできた内容でビックリしたし、素晴らしい内容でした。試行錯誤しながら、よく学びよく研究して作られた内容だと感じましたし、まだ3年目なので、子供たちに効果が見られるのはこれからかもしれませんが、それでも子供たちはとてもイキイキとしているし、自分の目標に向かって邁進していると感じました。

 正直、あの学校の中だけ異空間にいるような感覚すらすると言うか、
 「毎日毎週、自分はこれをやると計画や目標を立て、仲間とともに実践していくなかで、自然と自主性が育まれる」と感じましたし、
 先生方自身も、そうやって人生を選ばれていると感じました。


「自分で決める」と、どうなるか

 なにをやるか「自分で決める」と、不満を感じることが少なくなると感じました。「やらされてる感」が無いので、イキイキとしてるんです。自分で決めて、達成できなかったことすらも経験の一つにして、そうやって自らの性質に理解を深めることもできます。

 私はこの「自分で決めること」や「時間の管理をすること」を、家庭で子どもたちに育んでみたいと考えて、子どもたち2人の生活スケジュールを一緒に計画して実践するというのを試みたことがあります。

 しかし「時間とスケジュールの管理」に関して、これをお母さんが指導者的にやると、家がリラックスできる場じゃなくなってくるんです。その意味でも、こうして教育現場でやってもらえるのは、とてもいいなと思いました。


普通の学校では教えてくれない

 お読みの皆様は薄々お気づきかもしれませんが、
・自分で決める
・自分で時間の管理をする

 これって、普通の学校では教えてくれないことです。
 柄付きの文房具が禁止され、勉強道具すらもほぼ「自分で選ぶ」選択肢はありませんし、時間はチャイムが管理します。子供はそれらに「従う」スキルが自然と身につきます。

 一方で、「自分で決める」と「自分で時間の管理をする」。
 つまりこれこそが「自主性」と呼ばれるものであり、
 とても大切なライフスキルでもあります。

 私は昨日の学校を見て、もう教育は選ぶ時代になっているし、子供に与える教育も含め、「私はどのようにして生きるのか」を自分で決める時代は既に始まっていると感じました。


あなたは何を選びますか?

 毎日「従うこと」に慣れる場所に行き、子供を通じてなんとなくそこに関わり続ける人生と、
 毎日でも、週何回かでも「自分で選ぶ」習慣を育てる場所に子供をやり、子供を通じてそういう場に能動的に関わり続ける人生。

 当たり前のことですが、子供だけじゃなくて、親の人生も変わっていきます。

 子供のため、だけじゃないです。
 これはもう、大人である私達が、どういう人生を選ぶかってことです。

 私達の日々の一挙手一投足が、世の中の潮流を作る一部になっていると言っても過言ではなくて、私達大人が選んだものが、それがどんなに目立たなく小さな選択肢であっても、将来の子供たちの世の中の一部になるのです。


不登校の取説?

 私は息子が学校に行かなくなってからの学校との関わりや子育ても、なんとなく自己流でやってきたのですが、

 「不登校児の取説があればいいのに」
 「学校に行かなくなったときの対応をマニュアル化したい」
 という意見を見聞きし、びっくりしたと言うか、初めは冗談と勘違いしてしまいました。

 「学校に行かない」ということほどマニュアル外なこともなく、
 私自身は「こうやりましょう」というマニュアルが元から苦手な方で、それゆえに小学校を登校拒否をしたくらいでしたので、学校に行かないことで子育てはより自由になれましたし、そこにマニュアルを作る発想がなかったのです。

 今では、学校とのやり取りに困る親御さんのために、学校に渡す文書のフォーマットもあるそうです。本当にビックリしました。

 それだけ「学校に行かずに学ぶ子ども」の人口が増えたということでもあり、必要なサービスに間違いはないのですが、私としては、ちょっと気にかけてほしいと思ったこともあるんです。

 取説も、マニュアルも、文書のフォーマットも、あっていいと思います。
 それで救われる、考え事を減らせる、大人に余裕が出る、それは子供のためにもなると思います。

 だけど、誰かの用意した取説や文書を利用しつつも、これは自分でやりましょう!と思うことがあります。

 それは「私はどうしたいか?」と、大人自身が考えることです。


「学校へ行かない」という、「予想外の展開」

 私達の世代は「このようにやりましょう」と手本を示されてやるやり方に慣れているので、「予想外の展開」に戸惑う方は多いかもしれません。
 手本を習う一方で、「わたしはこうしたい」と言う主張はしづらく、意見を言うことはまるでワガママだと感じるように教育されてもきました。
 なので取説を求める一方、自分がどうしたいか?は後回しになりがちなのは、仕方のないことです。

 でも、我が子を次世代にフィットするような自主性のある子に育てたいのなら、まずは親である私達自身がそう在ることです。 

 「学校に行かない」という「予想外の展開が起きた」、で、
 「親であるあなたはどうしたいですか?」ということです。

 いろんな行動の選択肢があると思います。

 母子登校を続けて様子を見る親御さんもいるでしょうし、
 専門家に相談しようと考える方もいるかも知れません。
 ゆっくり休ませようと考える方、
 休ませたいけど勉強はどうしようと考える方、
 100人いたら100通りではないでしょうか。


「予想外の展開」は、人生を別角度から考えられる良い機会 

 私の場合は、まず休ませたかったので休ませました。
 私自身に不登校の経験があるのもあって、休ませることに躊躇はありませんでした。学校の先生方にも、信頼して私の教育方針をお話しています。先生方との関係は、わたし自身も無理する必要がなく、良好と感じています。

 昨年11月から学校に行かなくなったので、新学年に上がる今までは様子を見つつ、もう給食はいらないと思ったので、今年度から給食費はカットしました。

 PTAについては、私は学校に行かずともお世話になっている先生方や、校庭など地域の遊び場でもある学校の環境整備、息子の友だちも含めた地域への貢献と考え、役職にはつかないけれど参加を選び、「在籍」しているから会費くらい貢献するぞ!と考えています。

 こんな感じで「学校へ行かない生活」は、子育てや自分の生き方について細かい点までいちいち考えられる、とても良い機会になっています。


マニュアルは悪者ではない

 マニュアルを否定する気は、全くありません。
 マニュアルがあることが大切な場面はたくさんありますし、これだけ学校へ行かない子どもが増えたので、そろそろ「対応マニュアル」を作ってもいいかもねって、私も思います。

 実際、世の中の半分くらいの人は、実際にマニュアルがある方がイキイキできると思いますし、マニュアルそのものは悪いものではありません。
 マニュアル対応ができるからこそ、この自然災害の多い日本でも、上手に周りと協調して生活しているとも言えますし。マニュアルも大事です。

 ただ、我が子に「自主性」を求めたいのであれば、まず自分はどうだろうと考える視点も大事だと思いますし、我が子がマニュアルのない生き方が得意なのであれば、そんな彼らを見守り、彼らから違う要素を学ぶのも良いかも知れません。

 マニュアルがあって、そのうえで「私はこうしたい」を選んでいっても良いのです。でも日頃から「私はこうしたい」があると、マニュアルの存在は忘れられるくらいになると思います。


さぁ、どんな人生を生きようか

 どこに住むのか、どんな教育を選ぶのか、どこにお金を使うのか、どんな仕事をするのか、どんな風に人と関わるのか。

 全部、私達は選べます。

 わたしもときどき「やらされている」と勘違いして苦しくなることがありますが、自分を振り返るようにしています。

 「より望むもの」でこの人生を満たし、より充実した人生を送るために、私はいちいち「選ぼう」と思います。

 選ぶことは、嬉しいことです。
 自分で決めるということが、自由だと思います。
 
 さて、あなたは何を選びますか? 

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