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望む教育を選ぼう、創ろう。子供に影響するのは学校ではなく「お母さん」です。

家庭を平和にし、
世界を平和にする。
「現代版あげまんのすゝめ」提唱家、
古川裕子です。

元不登校児である私が、
長男の不登校を通じて出会った
気付きについて書いています。

こちらもご覧ください。

「元不登校児の、子供の不登校」

「子供を休ませて気付いたこと。
私はどんな「子育て」がしたい?」



私は、

「自分で選び、
 自分で意見を言い、
 自分で仲間もコミュニティも仕事も世界も
 何でも創っていける子に、
 この子を育てたい。」

そのために私ができることの中で、

普通の小学校に毎日普通に通わせることは
必要なことだろうか?

そして得策だろうか?

むしろ、
私がそうやってこの子を育てて来たから、

この子には普通の学校がフィットしなかっただけ
なのではないだろうか?

普通の学校に普通に通えない、

それは「普通の子」を求めなかった、

「個性的で多様性のある子育て」をしようと思っていた私にとっては、

子育て成功中!の、証でしかありません。



この発見は
私を心の底からワクワクさせました。



私が小3-4で不登校になった理由。

とにかく周りと同じタイミングで、
同じように、同じペースで物事をこなす生活が、
苦痛だったこと。

それは私にとって、
画一的な輪切り教育でした。
(今はそこまでとは思いませんが、当時は。)

私の苦痛は、
特に毎日の「給食」に現れました。

私は人一倍食べるのが遅く、
美味しいものは味わって食べたいし、
食べたくないものは食べたくないし、
お腹が減ってなければ食べたくないし、
あと少しだけど「お腹いっぱい」と思って
最後の一口を残すこともよくありました。

(今でもよくやります。
 「変なの」って言われて来ましたが、
 今では「だから太らないのね」って
 言ってもらえるようになりました。)

1人1人の趣向の違いや身体の違いによらず、
みんなが同じように
同じタイミングで食べるきること、

当時は「給食は残さず時間内に食べる」が
スタンダードだったので、

私にとっては苦痛の極みでしたし、
「給食」が怖くなりました。

当時「給食が怖い」とは言っていたものの、
その理由は今だからこそ、
こうして説明できるものです。

ただ、私は小4で復学できたので、
なんとなく「復学」がゴールのように感じていました。

でも、当時の私が、
もし他に選択肢があったとしたら?

私は本当はどうしたかったかな?
どんな私として在りたかったかな?と
ちょっと考え直してみました。

ただ、考え直してみても、
私の場合は、復学して普通の学校に通うことで

「私は影響を与えていく側の人間なのだ」と
自覚することができたので、

あれはあれでよかったのだ、
とは思っていますが。


一方で、
このような「画一的な教育、世界」から
抜け出すことを切望し、

英語を学ぶようになってからは
海外で生活することに憧れ、

より広く多様性のある世界に憧れて来ました。

学生時代はカナダに短期留学し、
社会人になってからタイに通算8年住みました。

そして今は私は
「海外に住むこと」には満足し、

多様性はどこに住むか?で実現されるのではなく、
その人の生き方や在り方、
表現するものでこそ実現されるのだ、
と知りました。

今は日本にいるからこそ
この国で「多様性」を体現していくことに
充実感を感じています。



そんな私が憧れて来たのは
「海外で子育てをすること」でした。

でもそれはなぜか?というと、
「多様性」を求めたから。

でも今の私は、
多様性は環境によって左右されるものではなく
本人の生き方、在り方、表現次第なのだと
知っています。

つまり、
「普通の学校に通っても発揮できる」と、
知っています。

むしろ普通の学校に通うことで、
影響を与える側にもなっていけるでしょう。

ただ、
「多様性や個性を培う」

となると、

「普通の日本の学校に毎日通わせること」が

彼の個性を育むことに繋がるか?は
今の時点では、ちょっと疑問符です。

3歳になったら幼稚園に入れ、
7歳になったら小学校に入れる。

これに関しては
何の疑問も抱かず、
何のビジョンも抱かずに
ただエレベーター式にやってきました。

だけど、
幼稚園選びって、
ある意味、たくさん選択肢がありましたよね。


保育園と幼稚園でも、だいぶ違います。

キリスト教系の幼稚園、保育園、
自然保育の幼稚園、保育園、
モンテッソーリ、シュタイナー、
インターに、小規模保育に、そのほかもいろいろ。

真剣に比べて選んだ記憶がありますし、

長男はタイのシュタイナー幼稚園と、
日本の自由なキリスト系幼稚園の2園、

次男は小規模保育の保育園と、
モンテッソーリの幼稚園の2園を経験しています。


でも小学校は、
たいてい学区内の公立小学校に
何の疑いも迷いもなく入れると思います。

というより、
あまり他の選択肢を感じないですよね。

でももし、
自分の実現したい子育てに対して、
私立に行くか?公立に行くか?以上に
いろんな小学校教育の選択肢があったなら、
幼稚園と同じように、
きっと真剣に選んでいたと思います。



そして私は今、

「毎日学校に通わない」

というだけで、

その毎日学校で過ごすために使っていた時間を
家庭での自由学習や
自由教育に充てられている、

つまり別な教育を得る機会になっている、
と感じています。


ただ映画を観ている、
ただ絵を描いている、
ただ弟とごっこ遊びをしている、

それだけかもしれませんが、
子供には「遊びこそ学び」です。

映画を通じて英語に興味を持ち、
英語を学び始める。

こんなに自然で無理のない学習って、
他にないです。

家庭は、
そんな自由学習ができる場です。

そんな場を作っている私自身のことを
私は今誇りに思っています。



「学校に行かないことで心配になること」って
「将来お金が稼げるのか?」
ということもあると思いますが、

「お金を稼ぐ能力」と「学力」は
全く比例しませんし、

(比例するならば、高学歴の人は
 みんな経済的に成功するはずですよね)

むしろ「お金の稼ぎ方」を学ぶのなら
学校より家庭、
実際にお金に触る機会を得る方が、
よっぽど賢いやり方です。





私はこんなことに気づいて、
長男にさっそく伝えました。

「お母さん、これまで知らなかったんだけど、
 学校に行かなくてもちゃんと大人になった人は
 少ないけれど、いるんだよ。

 あなたが学校に違和感を感じたなら、
 それはあなたのせいじゃないし、
 あなたが欲しいものに学校が合ってなかった
 っていうだけなの。

 学校に戻ることが目標じゃなくて良くて、
 他のやり方もたくさんあるし、

 どんな毎日だったらもっと楽しいかな?って、
 ちょっと考えてみて!
 お母さんも一緒に考えるから。」

親子で「こんな毎日だったらいいんじゃない?」って、
一緒に考える。

こんなに夢のあること、
こんなにクリエイティブな教育って、
他にあるでしょうか?


今、私はこんなことを考えて
とてもワクワクしています。

こんな風に子育てをして、
我が子たちが思いっきり個性的に、
自由に能力を発揮していくことを
確信できないはずがないです。

将来への不安も
子育てへの不安も1ミリも無く、

あるのは「目の前の子育て」への
楽しみだけです。

私がこんな風だからか、
ここ数日子供達が

「生まれ変わってもお母さんの息子になる」
って、
毎日言ってくれます。

母親として、
こんなに誇らしいことは、
他にない気がしています。

子供が本当に望むものを与える、
遊びも、お休みも。

こんな風に、たぷたぷに満たされた子が、
将来イキイキとした大人に
ならないはずがないでしょう?


子育てって、
どんな学校教育を受けたとか、
どんな習い事をしたとか、
そういうことじゃ、ないですね。

だから、本当に、
不登校なんて
なぁーーーんでもないですよ。

子供に影響するのは、
いつだって「家庭の在り方」であり
「お母さんの在り方」なのだと
つくづく感じています。


不登校をし始めた長男のことを、

「普通とはちょっと違う天才肌なのだ」

と自覚できたことで、


同じように「不登校児」であった私のことを

「実は私も天才だったんじゃん!」と、

私は気付くことができました。

不登校の経験のある私だからこそ、
子育てや不登校に悩む人たちや、
世の中に影響を与えていける。

息子の不登校のお陰で、
ようやく「元不登校児だからこそ」に
気づけました。
この記事参照)


子供達のやることは、
いつだって私たち母親の、
気付きの宝庫です。


どんな子育てがしたいのか?
何のために学校に行かせるのか?

一度考えてみると、面白いかもしれませんよ。




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